そんな日が来るといいなあ
私が呼びに行くと、哮くんは何か言いたそうに私の袖を咥えて引っ張る。広間の方を気にしてみたが、陛下と皇后様はまた大福を食べ出したようで、注意が逸れていた。静かに扉を閉めて、哮くんの前に座る。
「どうしたの、哮くん。何かあった?」
「ねえ、みこ。ぼく、あの人の宮にいっちゃダメかなあ」
「あの人って……皇后様の方? 行くって遊びに行くってこと?」
「うーん……たぶんもっと長い間」
月兎よりかは喋れるけど、哮くんは使える言葉が多くない。言っていることがいまいち分からず首を傾げたら、奥からトトトと白ちゃんがやって来た。
「あれだけ弱っておったからのう。こやつは、あの者がまた巣喰われやせぬか心配なのだろう」
補足説明に納得いった。そして、当然オッケーを出す。そう言えば、鬼車を祓い終わったあとも、哮くんは皇后様を気にした様子だったし。
「ありがとう、みこ! あげるね!」
何を? と聞く前に、哮くんの鼻と私の鼻がぶつかった。正確に言うと、ぶつけられた。どこからともなく現れた白澤図が、いつもの如く哮くんのページに名前を刻む。
「いつでも呼んで。すぐに行くよ。ぼく、けっこうつよいんだ」
いやにあっけなく簡単に行われた儀に、私も白ちゃんも笑わずにはいれなかった。
「うん、いってらっしゃい。哮くん」
哮くんと一緒に広間へと戻ると、哮くんは真っ先に皇后様の元へと歩み寄り、隣に座った。
「まあ、お利口さんね。こんにちは」と皇后様は哮くんの頭を撫でる。
「皇后様、よろしければ、その犬を宮につれていかれませんか?」
「え、ええっ!? ですが、こちら巫女様の……」
皇后様は目を丸くして驚いていた。そりゃ、いきなり犬いりませんか、とか言われたら誰だって驚くだろう。しかし、彼女の反応を見る限り嫌というわけではなさそうだ。
「その、あー……白い犬には古来より魔を祓う力がありまして。魔を祓ったとはいえ、まだご不安でしょうし、私が傍に置いていてもらったほうが安心といいますか」
「よろしいのですか、巫女様」
「ええ。その子も皇后様のこと好きみたいですし。ほら、子供みたいに懐いてます」
「子……のように」
撫でる手に頭を擦り付けていた哮くんを、皇后様はぎゅっと抱きしめた。
「あなた、わたくしの宮に来ますか」
「わふっ!」
ちゃんと犬のフリしてる。
「巫女様、この子の名はあるのですか?」
「えっと……哮です」
皇后様と陛下は驚いたように顔を見合わせ、そして陛下は深く頷いた。
「わたくし達の子も……黄羽といったの。なんという偶然かしら」
よろしくね、と皇后様は哮くんを抱きしめた。
◆
「何か感じ取っていたのかもしれぬなあ」
陛下達が帰った後、広間に戻るなりポソリと白ちゃんが呟いた。
「哮くんのこと?」
「ああ。ワシら瑞獣は……いや、瑞獣に限ったことではないな。ワシら神と呼ばれるものは、人間という生き物を……生き物に親しみを抱きやすい」
言い直した言葉に、少し胸の痛みを覚えた。
なんと言おうとしたのか、なぜ言葉を変えたのか。白ちゃんの過去を知った今では、その理由がわかる。
(きっと、好きって言おうとしたんだろうな……)
言い換えても、充分に優しい言葉を使ってくれているあたり、本当に神様というのは人間に寄り添ってくれていたのだろう。
「あの皇后の心に残る傷を、あやつは埋めたいと考えたのだろうよ」
「陛下が、皇后様は昔子供が流れたって言ってたもんね」
どれほど昔の話かは分からないが、哮くんは皇后様が笑顔で隠している、未だ癒えない傷を感じ取ったのかもしれない。
「まあ、お主が口から出任せに言った『魔除け』というのも、あながち間違ってないがな。あやつがおれば、皇后の宮にまた鬼車が近付くこともあるまい。仮に他の妖魔が現れても、哮天犬なら簡単に片すじゃろうて」
出任せってバレてた。
「あんなに可愛くても、やっぱり神様なんだねぇ」
「二郎真君の供もしておったからな、実力は折り紙付きじゃぞ」
二郎真君が何者かはわからないけど、哮くんが強いのは鬼車との一件で身に染みて知っている。二郎真君については、あとで白澤図で調べておこう。
「それにしても……不思議な感じ」
「何がじゃ?」
「白瑞宮以外の後宮の中に、神様がいるなんて」
皆はただの犬と思うだろうが。
「ずっと昔は神様と人間が一緒に生きてたって話だし、そんな光景、見てみたいな」
それはきっと、とっても賑やかで綺麗で楽しいはず。
「…………お主が願うのなら」
白ちゃんはそれだけ言うと、残っていた大福をひとつ口に収めた。




