逃げる者を追いかけたくなるのも犬の習性
さすがに、いつ現れるかわからない瑞獣のために陛下を足止めするわけにはいかず(「陛下は滅茶苦茶忙しいんだからな」と冬長官にも言われた)、白瑞宮には冬長官だけが残った。
それでも、さすがに当日には難しいかな~なんて、皆でお茶しながら白ちゃんの帰りを待っていたら……。
パッコーン! と裏の方から小気味よくもけたたましい音が聞こえてきた。
「な、なんでしょうか、今の何かがはじけ飛んだような音は……」
「裏庭に積んであった桶じゃないか? そこに何かが突っ込んだような音だったな」
私も菜明も冬長官もここにいる。
三人して、広間から奥へと通じる扉へと目を向けた。
すると、何やらバタバタとした足音が近付いてくるではないか。全員が何事だと、固唾をのんで扉に注目する。
そして、扉がバンッと開いた。
「――っと、冬花ァァァァァ!!」
悲鳴と同時に飛び込んできたのは、今にも泣き出しそうな必死の形相をした子牛。
「白ちゃん!?」
飛び込んだ勢いのまま子牛は、もとい白ちゃんは、綺麗な放物線を描いて私の腕の中に収まった。白ちゃんは頭を隠すように膝の上で丸くなって、「うっ、うっ」と泣いている。いや、牛って泣くっけ? まあいいや。
「どうしたの白ちゃん。こんなに震えて何があったの?」
「ぅう……っあ、あやつがずっと追いかけてくるんじゃぁ……ぅうっ、ひっく……っ」
短い前脚が、『アッチ』と白ちゃんの後ろを示した。気付けば、部屋の入り口に白い犬がいた。犬種で言うとサモエド。
「もう、大福はないと言うに……ずっと……っずっと全力疾走して背中を狙ってくるのじゃ」
白ちゃんの背中に結んでいた風呂敷は、行きはパンパンに大福を詰めていたのだが、今はぺしょんとしぼんでいた。
「ということは、あのサモエドはもしかしなくても……」
「こんにちは、みこ様! お団子もっとちょうだい!」
喋る白い犬――間違いなく哮天犬様だった。
◆
陛下を通じて、玉衡宮には人払いの命を出してもらった。
とは言っても、広大な宮の外に出て行けというわけではなく、寝殿の建物には人を近寄らせないように、玉衡宮内の離れたところに移動してもらっただけ。
そうして、私達は寝殿にある皇后様の寝室へと来ていた。
前回の面子に加え、今回は冬長官と哮くんも一緒だ。
哮くんっていうのは、もちろん哮天犬様のこと。
あの後、果物大福たくさん作ってあげたらとっても気に入ってくれて、なんか仲良くなった。おかげで今や『哮くん』『みこ』と呼び合う仲だ。
本当は、陛下も皇后様が心配だからと一緒に着いて来たがったのだが、そこは丁重にお断りした。
だって、白ちゃんもいるし。陛下がいたら白ちゃんは、ぬいぐるみか、ペットの子牛を演じないといけないくなる。
梅さんの姿は見せてあげたけど、あれは特別対応だ。お祭りだったし。
白ちゃんが良いと言うまで、白瑞宮の住人以外に神様の存在は内緒。
さて、皇后様の寝室だが、一昨日来た時よりもまた一段と空気が重くなっていた。猶予はあるといっても、悠長にはしてられない。
天蓋の薄布を上げる。
横たわる皇后様の姿を見て、冬長官は息をのんでいた。
「し、死んで……」
「ちゃんと生きてます、大丈夫ですよ」
そう見間違えるのも無理はない。最初に私が見た時ですら、同じように思ったのだから。
「哮くん、お願いできる?」
「大丈夫だよ、ぼく、できるよ」
隣にいた哮くんは、軽く床を蹴ったと思った次の瞬間には、皇后様の寝台の上にいた。もっふりとした重そうな身体なのに、ふわりと花びらのように軽い着地だ。音すらしなかった。
やはりこういうのを見ると神様なんだって実感する。よく考えたら、白ちゃんも大小どっちの姿でも重さはほとんど感じないし。
哮くんは、皇后様の足元に移動するとクッと鼻先を上げた。




