冥府の妖魔
「これは、鬼車だな」
「鬼車?」
私が首を傾げると、隣の菜明が小さく「あっ」と声を上げる。
「その妖魔でしたら、昔からよく聞きます。確か、精気を奪っていくという……」
「そうじゃ。精気を食らい、次に魂を食らう妖魔だ」
「よく村では、誰かが亡くなると『鬼車が迎えに来た』と言っていたものです」
どうやら、この国の人達にとってはなじみ深い妖魔のようだ。
死神みたいなものかも。
「じゃあ……もう皇后様は助からないの……?」
布団がほんの僅かだけ上下している。それでやっと生きているのがわかる程度にしか、彼女からは生の気配がしない。
見ている方が胸を引っ掻かれる、今にも泣き出しそうな陛下の笑みを思い出した。
「――っどうにかならないの、白ちゃん」
「落ち着け、冬花。まだ、少しばかり猶予はある」
白ちゃん曰く、鬼車はまず精気を食べ、その精気が尽きたら次に魂を食べはじめるらしい。てっきり精気も魂も同じものだと思っていたけど、別物という話だった。精気は『生きている者が持つ生きる力の強さ』で、これが尽きたから死ぬというわけではない。
すっごく簡単に言うと、元気かどうかってのが精気の量によって決まるって話だって。
一方、魂はというと、生死関係なく『その人が存在するための核』だという。
ただ人が死ぬ時は、精気が尽きて魂は残る。そうして、残った魂を持って生まれ変わるのだとか。魂にその人の全ての情報が刻まれていくんだけど、その魂がなくなると生まれ変われなくなるという話だった。
元の世界でも輪廻転生とか言うし、なんとなく生まれ変わりについては理解はできる。だけど、生まれ変わりなんてあるのかな~程度で、半信半疑にしか考えたことなかったから、神様である白ちゃんにはっきりと肯定され驚いてしまった。
「ねえ、白ちゃん。猶予があるってことは、皇后様って今精気が食べられてるような状態なんだよね? もし、今助けられても精気がなくなってるんだし、その後は大丈夫なの?」
もし、一命を取り留めてもずっとこのままなら、それは陛下の望むところではない気がする。
「安心せい。精気は減っても養生しておれば勝手にもどっていくものだ」
「なんだ、良かったぁ」
「ただ、魂はそうはいかん。魂はその者の連綿とした記憶だからの。少しでも欠ければ、目が覚めたとしても、それはもう本人ではない。お主らは『人格』というが、元は『人核』と書く。人格が変わるとはそういうことなのだ」
「それじゃ、生き残っても意味ないって! そんなの……絶対に陛下はもっと傷つくことになる」
外見は同じだが、中身が違えばそれはもう愛する人ではない。形式的に結婚しただけだったら、そんなに気にすることはないのかもしれないが、陛下と皇后様の場合は違うと思う。
陛下の様子から、彼がどれだけ皇后様を愛していて、皇后様もどれだけ陛下を受け入れていたか伝わってきたから。
「ねえ、あとどのくらい皇后様の精気って残ってるの」
「ワシが見たところ、あと五日は問題ないじゃろう。王宮全体に張ってある結界のおかげじゃな。鬼車も普段より時間がかかっておるようじゃ」
あと五日という時間が、多いのか少ないのかは分からなかったが、少なくとも今日明日に死ぬわけではないと知って少しだけホッとした。
だって、皇后様の様子からすると、今この場で呼吸が止まっても不思議じゃないように見えるんだもん。皇后様も鬼車に必死に抵抗しているのかもしれない。
「だったら、今のうちに早く鬼車を祓わなきゃだよね」
梅さんの時みたいに、白ちゃんの力を借りればできるはずだ。私は皇后様の顔を覗き込んでいる白ちゃんをひょいと抱き上げ、顔の前に持ってくる。
はやく力貸してよ、とばかりにおでこを差し出す。
しかし、白ちゃんは太い首を横に振った。
「鬼車は冥府の妖魔じゃ。地上の妖魔とは違い、ワシの力でも祓うのは難しい」
「じゃあ、私達はやっぱりこのまま見てることしかできないの」
白ちゃんは「いや」とにやりと口角をつり上げる。
「あちらから出て行ってもらえば良い」
自信満々に言った白ちゃんは、私の額にチュッと鼻先を当てた。




