裏:居心地がいい……というだけだ
「長官大丈夫ですか!? ――っていや、くさ!」
内侍省長官室から漏れ出た煙を見た瞬間、青沁は水桶片手に飛び込んだ。扉の向こうは煙によって真っ白に染められていた。
「ちょっと長官、これは何事ですか!?」
「ああ、青沁。ちょうど良かった。そろそろ焼けるから、お前も食べるか」
煙をかき分けて進むと、窓辺の下で七輪を使っている雷宗に出くわした。
「食べる? はぁ……どうやら火事ではないようで良かったです」
手にしていた水桶を床に置き、青沁は窓を開けた。部屋に溜まっていた煙を外へと追い出したおかげで、視界が晴れる。
「ああ、干物を焼いてたんですね」
「知っているのか?」
「漁港の街じゃ、普通に売ってますよ。そういえば、確かに王都じゃ見ないですね。それで、その干物はどうしたんですか」
「白瑞の巫女殿にもらったんだよ」
「えっ、ずるい! 僕も食べます! 巫女様からもらったものって、絶対神聖な力が宿ってますって。巫女様の肌見ました!? つやつやできめが細かくて! ほとんど化粧してなくてあの肌つやですよ!」
「お前、そんなところを見てたのか……」
なぜだか、腹の底がもやっとした。
「……お前にはやらん」
「えぇ!? さっき食べるかって自分から聞いてきたじゃないですか」
「知らん。腹が立ったから、お前には食べさせん」
「僕、そんな悪いこと言いました!?」
わいわいと叫ぶ青沁の声をよそに、雷宗は抱いた感情を必死に分析していた。
この不快感は、つい最近も感じた。というより、今日の午後に感じたばかりだ。
(俺は、あの時いったい何をしようとしてたんだ……)
思い出したのは、厨房の外で干物を焼いている時のこと。
彼女に一緒にいる男がいると知って胸が苛ついた。しかし、子供の頃の話だと知れば、多少はその苛つきも収まった。
その後、自分の髪に彼女が触れてきた時、驚いた。彼女の行動に驚いたのではなく、自分が髪に触れられても、嫌悪を抱かなかったことに驚いたのだ。多分、耳に髪を掛けようとしていたのだろう。何度も何度も同じ場所を指先で撫でられていたが、不思議なことに不快を覚えるよりも安らぎを感じてしまった。
しかも、気を遣うなと……格好良さを求めてないなどと言われた。
衝動的に、彼女の手首を握っていた。
あの時、はたして自分はどのような顔をしていたのか。正直、自分でもよく分らない感情に苛まれ、表情にまで気を遣う余裕がなかったのだ。
あの娘は、他の女人とは違う。
自分に色目を使わないし、下心も政争になりそうな後ろ盾もないから、色々と面倒なことを考えずにいれる。それは、ちょうど『居心地が良い』とも言えた。
この世は自分にとって息苦しいものでしかない。
後宮では長官としての責務を負い、女人達の好意を上手く躱さねばならない。下手をして恨みを買ってしまえば、どのような罠を仕掛けられるかわからない。
だったら外へとも思うだろうが、皇国四家のひとつ、冬家の長男というのもなかなかに枷が多いものだ。後宮の中も外も、自分が息をつける場所はなかった。常に気を張り詰めて、他人に弱みを握らせないようにと生きてきた。
だから、裏やら表やらと考えずに済む彼女の隣は、居心地が良かったのだ。
それは薄っすらと前々から感じていた。
だが、今回はどうしてか、少し…居心地が悪かった。
先に部屋に戻っていて良いと言われ、普段であれば最後まで付き合うのに、あの時はその言葉に素直に従った。厨房へと戻った自分は、菜明達がいる広間へは行けなかった。しばらく厨房で天を仰いでいた。
「……青沁、俺の顔色は悪いか?」
「顔色はいつもと変わりなく見えますけど、性格は悪いですね」
「一年減給な」
「いやああああああっ!」
青沁の悲痛な雄叫びをよそに、雷宗は窓の外に見える青空を仰いだ。
「……格好良さなんて求めてない、か……」
であれば、彼女は自分に何を求めているのだろうか。
何を差し出せば、求めてくれるのだろうか。
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