裏:天上の夫婦
白瑞宮での楽しいひとときを過ごし、魃は天上へと戻っていた。天上世界といっても、風景は地上と大差ない。家もあれば山も川もある。魃は、屋敷に戻るとまず夫のいる部屋へと向かった。
「雨師ー! 帰ったぞ」
「ああ……お帰り、魃」
部屋に入ってきた魃を、柔らかな笑みで迎え入れたのは、しっとりとした空気を纏う、白皙の美男子だった。なだらかな眉に薄らと笑む目元、腰の辺りで纏められた黒髪は、絹糸のような輝きを放ち、彼が動くにあわせて薄衣のごとく靡く。
「どうだった、地上は? 私のそれはちゃんと使えたかな」
雨師は鷹揚とした足取りで魃へと近付くと、彼女の腰に手を添え長牀へと誘う。
「はじめて花精と喋ったのじゃ! 冬花の宮にいたのは梅の花精だったんじゃが、ふわふわしていてとても愛らしい娘じゃった。妾が魃だとわかると少し驚いていたが、冬花がこの羽衣があるから大丈夫と説明したら、笑ってよろしくと言ってくれたのじゃ」
「それは良かった。だけど、私にとっては、魃もとても愛らしいよ」
興奮しているのが丸わかりな魃を、雨師は可愛いねと肩を揺らした。
「私はほらジメジメした暗い男だから。あなたのその明るさが眩しいんだ」
先に長牀に座った雨師は、開いた足の間に魃を座らせ、後ろから彼女を抱きすくめる。冬花や白澤達は、魃のほうが雨師に惚れていると思っているが、二人きりの時の雨師を見れば、彼も魃に勝るとも劣らずということがわかるだろう。
「妾は雨師のことを、そのように思ったことなど一度もないぞ。確かに昔は干戈を交えた仲じゃが、だが、天上に来た妾をお主は笑顔で迎えてくれたではないか。どこも何もジメジメなどしておらんぞ。妾にとって、お主は白澤様と一緒で光なのだ」
「あなたの光だなんて……私は幸せ者だな」
魃を見つめる雨師の目は、ずっととろけっぱなしだ。魃の頭に頬ずりして、口づけを落とす。
「妾が明るいのはお主の前でだけじゃ。あ……いや、もうひとつ新たな場所ができたのう」
「白瑞宮?」と聞く雨師に、魃は頬を掻いて照れたように頷いた。
「ふふ、あなたをこんな顔にさせるなんて、少し妬けてしまうな」
「雨師も、今度はゆっくりと訪ねるといい。面白くて……温かい場所じゃぞ」
「そうだね……そのうちね」
何かを請うようにずっと頭に頬を寄せてくる雨師に、魃は振り向いて口づけをした。
白澤が天上へと連れてきて、最初に魃に手を差し出したのは雨師だった。
同じ神でも魃を恐れる者は多い。だのに、かつての敵であり痛いほどに魃の力の恐ろしさを知っているというのに、雨師は『久しぶりだね、魃。よろしくしてくれ』と、この柔らかな笑みと共に魃を受け入れたのだ。
その瞬間に魃は恋に落ちた。
ああ、この人を誰の隣にも置かせたくない、と思った。自分と正反対の性質の神だから、遠慮なく近づけたというのもある。しかしそれ以上に、向けられた優しさが心地好かったのだ。媚びも、同情も、謙遜も、嫌悪も、侮りも、蔑みも、畏怖もない、純粋な『よろしく』が嬉しかったのだ。
「地上に行ってもいいけど、私をあまり放っておかないでくれよ、魃」
「妾の旦那様は可愛いのう。安心しろ、神ではお主が一番じゃよ」
「含みのある言い方だねえ。じゃあ、神以外では誰が一番なんだい」
魃は「さあな」と、もう一度雨師の口を塞いだ。
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