はじめての自由
「何を!?」と驚いている中、彼女に手を取られた。細く長く美しい指が、私の手をキュッと握りしめる。
「妾は魃。灼旱の熱を宿す日照り神なり。妾の名を白瑞の巫女に預けよう」
手の甲に、彼女の少し熱い唇が触れた。
すると、目の前に光球が出現し、中から白澤図が出てくる。白澤図は魃様のページを開き、中にはっきりとした濃い墨字で『魃』と記した。
「これで白澤様を使わずとも妾を呼べるな、《《冬花》》」
「――ッふうぅ!」
思わず胸を押さえてしまった。
「ど、どうしたのじゃ、冬花!?」
「顔が……熱い……」
「わ、妾のせいかのう!? 妾の熱がやはり……!?」
「違……っ」
騎士のように片膝を立てて跪く強気美女に、上目遣いにウインクされれば、誰だって心臓を射抜かれるというもの。
私は三回深呼吸をして息を整え、平常心を取り戻す。
「はー……キュンってしちゃった」
「わかります、冬花様。これは同じ女人でもときめきます」
魃様は「きゅん?」と分かっていない様子だったが、決して彼女の力のせいではないということは念押しした。
「おい」
「はい――ぎゃっ!?」
隣の冬長官から声を掛けられたと思ったら、振り向くより先に頬を掴まれ、強制的に首を回された。
「な、なんでふか」
「俺と目が合うだけで女人は赤面する」
「はあ? まあ、しょうでふね?」
急に何を言い出すんだか。彼が後宮の女の人達からモテモテだということは、とっくに知っているが。というか、頬を掴まれているせいで喋りにくいんだけど。
「……ならないではないか」
「にゃにに? 干物?」
「干物にすら恍惚とした顔をするというのに……っ」
あれ、会話してるよね? 間に何か挟まってる? 時空歪んでる?
「いい加減手をはにゃし――って、ちょ!?」
グッとさらに頬――というより顔を引っ張られた。
首が抜ける! 何をする気だ! と思った瞬間。
「ヤー!」
「痛ぁ――っ!?」
突然、天井から月兎が落ちてきて、私の頬を掴む冬長官の手首に直撃した。
「月兎大丈夫!? え、なんで!? さっきまで菜明のところで野菜チップス食べてたよね!? なんで天井から!?」
いくら小さくとも、上から子兎が落ちてきたのだ。冬長官は直撃した手首を押さえながら、痛そうに背中を丸めていた。
「オチター」
「でも、綺麗にまっすぐ足から落ちてこなかった?」
「オチター」
「でも……真上に梁はないんだけど」
「オチター」
「……そっか、よしよし。今度からは落ちないように気を付けてね」
「アーイ」
月兎に怪我がなくて何よりだ。うん。
「クッ、月兎様……っ」
「ライソー、メッ」
被害にあった冬長官のほうが加害者に怒られるという、不思議なことが起きていたが、神様が絶対だから仕方ないのだろう。
「……白澤様、この宮は実に面白いのう」
「じゃろう?」
と、魃様と白ちゃんが、野菜チップスをボリボリ食べながら笑っていた。
◆
「そういえば、干物部屋にいる時も思いましたけど、魃様がいても今日はそんなに宮は暑くないですね。ここまで調整できるのなら、あんなに怖がる必要はなかったんじゃ」
隣まで来ると仄かに熱を感じはするが、宮の中にうだるような暑さはない。普通の夏の暑さだ。
「いや、妾が調整しているわけではない」
「え、そうだったんですか」
てっきり、彼女が力をセーブしているからだと思っていたが。
「雨師に、妾が白瑞宮にいる間、宮の気温を下げるようにお願いしたのじゃ」
「よっ! おしどり夫婦!」
「当然じゃぁ」と魃様は、嬉しそうに身体をくねらせた。前回は確かその雨師様と喧嘩したとか言っていたと思うが、彼女の様子を見ると喧嘩するほど仲が良いというやつなのだろう。
「今も、天上から宮を見守ってもらっておるぞ」
そういえば、暑さだけでなく渇いた感じもない。雨の神様ならではの潤いの力のおかげだったようだ。
「でも、魃様が地上に来るたびに、雨師様は地上を見張ってないといけないってのも大変そうですね」
「ふぅむ。確かに、それはそうじゃな」
「なんか、こう小さい……持ち運びできる雨雲とかあったら良いんですけどね」
なんて、ただの思いつきで言っただけだったのに。
それから数日後――。
「できたぞ、冬花!」
いきなりやって来た魃様は、身体にふわふわのショールを巻いていた。成人式で見るような、白い毛のアレを長くした感じ。色は白じゃなくて薄い灰色だけど。
「この間、冬花が言ったことを雨師に話してみたんじゃが、そしたらやってみると言って、こんな便利なものを作ってくれたんじゃ!」
魃様は、お気に入りのワンピースを見せるみたいに、クルクルと回ってショールを見せてくれた。よっぽど嬉しいのか、満面の笑みだ。
「雨師の力が込められた、雨雲もどきらしい。妾の熱や渇きを相殺してくれるから、これでどこへでも行けるんじゃぞ」
声を弾ませ、踊るように身体を揺らす彼女を見ていると、こちらまで幸福感に包まれる。
(ああ……良かった)
きっと、生まれてからずっと我慢ばかりだったはずだ。自分より周りをずっと優先してきたはずだ。はじめて得た自由を喜ぶ彼女を見て、どうかこの先もその笑顔が陰りませんようにと願った。
「それじゃあ、梅さんに会いに行きましょう。他にも、裏庭には畑もあって色んな薬草とかあるんですよ」
私は、魃様の手をとって、一緒に裏庭へと駆けた。




