熱中症にはご注意を
「はぁ!? どいつって、言ってもわからないじゃないですか」
「……元の世界でのことか」
「当たり前じゃないですか。十年くらい前の話ですよ。ここで、誰が私に一緒に帰ろうとか言うんですか」
帰ろうと言われても『どこに?』としか言いようがない。この世界での私の居場所は白瑞宮しかないし。
「それは衛兵とか……いや、そうか。十年前……」
冬長官は、ひとり何かブツブツ言っていた。
「ひとまず手を離してくださいよ。焦げちゃう」
「ん、ああ」と、気の抜けた返事と共に手は解放された。
急いで私は焼いていたアジの干物をひっくり返して、皮目を下にする。炭火に当てる順番は、海の魚は身から川の魚は皮から、である。
しばらくして、皮が焼ける香ばしい音がしはじめた。
「あわぁ……っ、美味しそう」
「これは、酒が欲しくなるな」
それはわかる。つい、ゴクリと喉の音で同意してしまった。あまりにも欲に忠実な自分の身体が恥ずかしくて俯いたら、隣からははっと冬長官に笑われてしまった。
「これだけ美味そうなら、喉が鳴っても当然だな」
「こ、こういう場合は、聞かなかったふりをするのが紳士ってものですよ」
「へえ……俺に優しさを求めるか?」
横目でニヤリと、意味深な笑みを向けられた。
「あ、すみません」
後宮に勤めてるのに、后妃全員嫌いとか言う人だ。優しさなんかないに決まっている。というか、優しい冬長官は想像できないし、優しくされたらされたで、何かとんでもない見返りを要求されそう。
こんな話題はさっさと流すに限る。
私は、目の前で美味しそうな匂いを漂わせる干物と向き合った。
黄金色になった身の表面で、プツプツと滲み出た脂が弾ける。弾けた脂によって黄金色はさらにテラテラと輝く。皮もジリジリと焼かれ、さらに水分が飛んだことで魚の香りが濃くなる。
「白瑞宮に来いと呼ばれた時は何事かと思ったが、ごちそうにありつけるとは。外出の許可を出して良かったかな」
「ていうか、ちゃんと食べてますか?」
「……まあ」
なんだその間は。まったく信用ならないな。
「机の上の書類の山、前に見た時よりも高くなってましたけど? どうせ、深夜に抜け出す暇もないくらい根詰めてるんでしょ」
「たまたまだ。それに夏で食欲がわかないから問題ない」
「何が問題ないですか」
冬長官の横顔に掛かっていた長い髪を、私は「ほら」と手で払った。
「目の下にクマができてますよ。顔色も悪いですし。夏だからじゃなくて寝不足になるくらい忙しいんですよね。食べる時間がないくらい」
耳に髪を引っ掛けるが、艶々しているせいで彼が少し動いただけでするりと落ちてくる。何度掛けようとしてもするり。羨ましい髪質だ。しかし、こうなったらなんとしてでも、髪を耳に掛けたくなってくる。
「干物は栄養たっぷりですから、しっかり食べていってくださいね。あと、野菜チップスも作ってますから。片手で食べられて携帯食にもちょうど良いんで、帰りにお土産で持たせますよ」
「よく……気付いたな。俺の顔色なんか」
「どうせ、この間訪ねて来たのもお腹空いてだったんでしょう? でも魃様の件でバタバタしてたから何も言えずに帰って……遠慮なんて冬長官らしくないじゃないですか。あれですか? 部下の前では格好いい長官でいないととかですか。じゃあ、ここでは気にせず美味しいものたくさん食べて帰ってくださいね。ここでは、誰も冬長官にかっこよさなんて求めてませんし」
というより、卓に突っ伏して腹の虫を盛大に鳴らす姿とか見ているし、たとえ彼がげっそり顔で「めしィ」とか言いながら、地面を這って現れようと驚かない。
「気を遣うのも結構ですが、まず自分の身体を優先してくださいよね――――おっ、引っ掛かった! やった」
やっと彼の横髪を耳に引っ掛けることに成功した。
私はうんうんと満足げに頷き、七輪へと向き直ろうとした。しかし、彼の髪から手を離した瞬間、その手を髪の持ち主――冬長官に掴まれてしまった。
「え……っと、冬長官?」
冬長官は眉間に皺を寄せ、口をへの字にしていた。何か怒ってる?
しかも、薄らと顔が赤くなっていた。ハッとした。
「冬長官、暑い日はうなじを出すと効果的です! 髪って意外と熱が籠もるんですよね。熱が身体に籠もると頭もぼーっとしますし、倒れちゃいますよ」
私はいつも三つ編みに結っているから気付かなかった。確かに、髪を下ろすと首元が滅茶苦茶熱くなるし、熱が発散されなくなって熱中症になってしまう。
そう、まさに今の冬長官のように。
「髪が長いって大変ですよね。冬は逆に温かくて重宝しますけど、夏は結ぶのをおすすめしますよ。冬長官はサラサラした髪だから、高い位置から結うのが似合いそうですね」
冬長官は相変わらず小難しい顔をしたまま、私の手を掴んだ方と反対の手を伸ばしてきた。
「お前は……」
そして――。
パチンッ、と七輪の炭が弾けた。
思わず、ビクッと二人して肩を跳ねさせた。七輪を見遣ると、干物が限界を迎えているではないか。
「きゃああっ、焦げる焦げる!」
「皿! 皿!」
ばたばたと皿に干物を救出し、無事に事なきを得た。
それから、用意した全ての干物を同じように焼いていった。その間、熱中症の疑いがあるからと、冬長官には先に正殿の中に戻っておいてもらうようお願いした。
冬長官は珍しく「そうだな」と、素直に言うことを聞いて、背後にあった厨房の扉から中へと入っていった。
ふと、何か彼が言いかけていたような気もしたが、重要なことならまたあとで言ってくるだろう。
私ひとりだけになったところで、火にあぶられた干物だけがプツプツと何か言っていた。




