これが異世界転生ってやつ!?
その日は、本当にいつもと変わらない日だった。
いつも通り、起床したらおばあちゃんに線香をあげて、ひとり分の朝ご飯と昼食のお弁当を用意して仕事に行く。
ごくごく当たり前の日常を、その日も繰り返すつもりだった。
あの犬を助けるまでは。
『やっと見つけた』――そんな声が聞こえた気がした。
もしかしたら聞き間違いかもしれないし、私あてじゃなかったかもしれない。
でも、私は声に呼ばれるようにして振り返った。
振り向いた先には、どこからか逃げ出したのか、毛足の長い白い大型犬がいた。
道路の真ん中に。
気付いたら私は道路に飛び出していて、犬を抱きしめていて、車が来ていて。
ああ、これでもう……なんて思った次の瞬間には異世界にいた。
◆
『あ……えっと、ここはどこ?』
自分の口から、何百万回と擦られてきたお約束の言葉が出るとは思わなかった。
しかし、問いかけても答えてくれる人すらいない。
さっきまで家の近くにいたはずなのに、景色がまるで違っていた。しかも、出勤途中だったから時間は朝のはずなのに、見える空は星が瞬く夜空だ。
空に浮かぶ満月のおかげで周囲は明るく、否が応でも、見たこともない景色だと分かってしまった。
『あ、眼鏡は無事だ。良かったあ』
石畳の道の両側には瓦が乗った白い塀がどこまでも続いていて、薄暗い場所に吸い込まれていっているようで、ゾクッと恐怖で背筋が寒くなった。
『――って、いやいやいや! うそ……え、もしかしてこれって死後の世界……とか……えぇ!? 私、死んじゃったの!? じゃあここ地獄ってこと!?』
確かに、犬を助けに道路に飛び出したんだから、死んでいてもおかしくはないけど。
『はあ!? ど、どうしよう……』
もしかしたら、この道の先は……。
ゴクッと喉が鳴った。
地獄と言えば閻魔様と鬼だが、そんな怖いものに会いたくない。
だが、まだギリギリ地獄とは確定していない。もしかすると三途の川付近で現世に戻れる可能性があるかも。
『よし、歩こう。そして川を見つけよう』
歩いていればここから出られるはずだ。もし、誰かいれば道を聞くこともできる。
よっこらしょと立ち上がり、川探しに一歩を踏み出そうとした時。
『そこにいるのは誰だ』
背後から声を掛けられ、飛び上がった。
まさか鬼が追ってきた!? なんて思いながら振り返った先には、芸能人のように美しい青年が立っていた。なんだか顔色が悪いし、目の下には濃いクマがあるし、生気がないようにもみえるが、死後の世界なんだから当然かもしれない。
ひらひらとした着物のように丈の長い服をきているせいで、中性的な雰囲気がある。
地獄の鬼にしては、えらく美しい。
こんな鬼に罰せられるのなら、苦痛のいくらかは割り引かれそうだ。
『ど、どなたでしょうか……?』
『俺を知らないのか、宮女のくせに……いや、宮女にしては珍妙な格好をしているな。なんだ、その地味な髪型にでかい眼鏡は。随分な芋娘だな。もしや、妖魔か? それとも神……いや、それは今更この国に現れるはずがないし……』
鬼って日本語喋るんだ。しかも、しれっと失礼なことを言われた気がする。芋とな?
それにしても、鬼なんてキエーとかギョアーとか阿鼻叫喚系だと思っていたが、ちゃんと言葉を喋るんだ。
何やら独り言をブツブツと呟いているようだが、話が通じるようなら川の場所を聞くチャンスだ。
『あの、ここはどこですか? 気付いたらここにいて。出口を教えてもらえると助かるんですが……できれば川への行き方も』
会話ができるというだけで、安心感がすごい。ついずけずけと聞いてしまう。
『出口? 変なことを聞くな。後宮に入った者が出られるわけ……』
眉間に皺を寄せても、美しい顔というのは美しいらしい。
すると、男は何か思い至ったのか『あーなるほど』と口端をつり上げた。
『やはり、お前は後宮の者ではないな』
『後宮?』
それって、華流ドラマとかで見る、皇帝の奥さんがたくさん住んでいる場所のことでは?
『そうですね、ここの住人ではないです。だから出口が知りたくて……』
途端に男の目つきが鋭くなった。