やだっ、困ってる人(?)がいる!
廃宮と言われるだけあって、屋敷も庭もどこか寂々とした空気が漂っていた。
本来であれば石ひとつないだろう石畳も、隙間から草が茂り、石板が割れて散らばっているところもある。
当然だが、明るさとか人の気配とか、そういったものはない。
「ここの宮は、数代前から廃宮になっていてな。昔、宮の主だった妃が亡くなってから、女人の悲しげな声が聞こえると噂になり、使うことも壊すこともできず放置されていたんだ。死んだ妃の無念だとか、妃殺しの犯人として処刑された侍女の怨念だとか色々と騒がれたようで、以降宮を閉じたという経緯がある」
「待ってください。妃殺しって、ここで殺人があったんですか」
「ああ。侍女が妃に毒を盛ったとかなんとか。昔の話だから、俺も記録でしか知らないが」
本当に幽霊かもしれない、とサーッと顔から血の気がものすごい速さで失せていく。
「泣き声は、確かこの辺りから聞こえてきたよな」
一方、私と違って生き生きとして進んでいく冬長官。
さっきまで肩を丸めていたのに、どうしてこうも楽しげに、まったく恐怖を抱かずにどんどんと廃宮の中を進んでいけるのか。ここが殺人現場だというのに。
(やっぱり、無神経だからかな……)
乙女の部屋の扉をいきなり開ける人だし。
「……何か失礼なことを思ってないか」
「オモッテマセン」
無神経なのに、変なところが鋭くて困る。
「はぁ……仕方ないですね。私のことを『良き相談相手』と思ってくれているようですし、今回も手伝ってあげますよ」
「く……っ、不本意な部分を蒸し返しおって」
ここまで来たら腹をくくるしかない。本当に宮女が泣いているのであれば心配だし(決して、今からひとりで廃宮を出るのが怖いとかじゃない)。
そして、辺りに視線を配りながら歩いていると、一本の木の下で倒れている女性を見つけた。
「えっ! 冬長官、あそこに誰か倒れてますよ!」
私の声に気付いたのか、女性は顔を上げ、か細い声で呟いた。
「……助け、て……」
彼女の言葉にも、上げた顔にも私はギョッとした。
顔の右半分が、煤でも塗りたくられたように真っ黒になっていた。
ただ事ではない。見た目だけでそう判断できるレベルの異常だった。
何かの病気だろうか、ぐったりとしている。
気付いたら私は、幽霊かもしれないとかそんなことすっかり頭から飛んでいて、彼女の元へと駆け寄っていた。
「大丈夫ですか!?」
よく見れば顔だけでなく、袖や裾から見える手足も右半分が黒くなっている。彼女は涙を流した左目で助けを訴えてくる。
「おい、いきなり走り出してどうしたんだ! それに、そんなところでしゃがみ込んで……そこに何かあるのか」
追いついてきた冬長官が、怪訝な目で私を見ていた。
「何かって……」
薄々は気づいていたが、やはり彼女は人間ではないのだろう。
しかし、彼女が件の幽霊だとしても不思議と怖くはなかった。
私は冬長官に、木の下に倒れている女性がいることと、その様子がとても普通とは思えない状態だということを伝えた。
彼は、しばらく木の麓を眉根を寄せて眺めていた。
しかし、フッと息を吐くと一緒に、眉間の皺はなくなった。
「それで、そこにいるのは妖魔なのか? それとも霊なのか?」
どうやら懸命に見えないものを見ようとしていたらしい。
けど私にも彼女が何かは分からない。チラッと目線で彼女に問う。
「あ、あ、わたくしは梅花精と申します」
「花精様ですか!」
私が「ナニソレ?」言う前に、冬長官が驚きの声を上げた。どうやら、姿は見えないが声は聞こえるらしい。
冬長官が何やら知っている様子だったので尋ねてみると、花精というものは、花の神様である花仙の眷属にあたる者達なのだとか。読んで字のごとく、花の盛衰を司っている神様らしい。
「つまり、この枯れ木は梅の木ってことですか」
季節は春ど真ん中。
廃宮には青々とした雑草が逞しく生い茂り、木々には青々とした葉や、可憐な花々が咲き誇っている。
その中で幹と枝だけで茶一色の木は、悪目立ちしていた。
「なんでこの木だけ、枯れてるんです?」
「この木だけじゃない。この国にある梅の木は、もう百年以上も咲いていない。俺は生まれてから一度も梅の花を見たことがない。文献で、ある程度どのようなものかは知っているがな」
「ええ!? 国の梅の木全部がですか!? しかも、百年以上も!? どうしてそんなことに……」
冬長官はさらりと普通に言っているが、それってかなり異常なことでは。




