うぇぇぇぇん! 鬼ぃぃぃぃぃ!!
昔話で聞く皇帝という存在は、言葉ひとつで人間の命なんかどうとでもできる恐ろしいものだったが、存外この皇帝は良い人なのかもしれない。
「聞きたいことがあるのだが、冬花殿はどのようにして後宮に入られたのかな。冬内侍長官の話では、夜中にひとりで後宮にいたそうだが」
(あれ? 白ちゃんが私を連れてきたことは、冬長官が陛下に伝えたって話だったと思うけど……)
不思議に思いながらも、誰でも物忘れはあるよね、と私は答える。
「白澤様に連れて来られました。私も気がついたら後宮にいたので、その方法は分からないんですが。白澤様は私を冬長官に任せた後は、そのままどこかへと行ってしまい、今はどこにいるのかも分かりません」
陛下は皺すらも渋い色気を醸し出している口元に手をやり、視線を下げ沈黙した。
(私、何か言っちゃいけないことでも言った!?)
隣の冬長官に視線で聞いてみるも、冬長官は小さく首を左右に揺らしただけ。
「冬花殿は、白澤様から何か……この国、いや私に言付かっている言葉などはないか」
「何か……と言いますと?」
基本的に、白ちゃんから言われることといえば、食事の催促くらいだが。
今日の件だって、「皇帝陛下に挨拶に行くの」と言えば、「そうか」としか返ってこなかったし。気にした様子も何もなかった。
「……いや、思い当たるようなことがなければそれで良い」
陛下は微笑んでくれたが、なんとなく喉に小骨が引っ掛かった感じは否めない。
しかし、陛下相手に無理して聞き出すような真似はできないし、したくもないので、ここは素直に話を終わらせる。
それから、日々は何をして過ごしていたのだとか、そんな雑談に近いような話ばかりだった。
「ほう、冬内侍長官の悩みを解決したのか」
「いえ、解決というほどでは……。ちょっと私が知っていることを話しただけで」
領収証がないと経費は落ちませんからね。
「良かったな、冬内侍長官。良き相談相手ができて。これで相談できるような使える官吏がいないと愚痴らずにすむな」
「な、なぜそれを陛下が!?」
「お主の父から聞いておるぞ」
冬長官は「げえっ!」と今にも口にしそうな顔を、手で覆っていた。手の隙間から小さくため息を吐いているのが聞こえた。苦労人のようだ。
「冬花殿、この国は神去りの国だ。だから、其方だけでもどうか末永くここにいてくれ」
目を細めて、どこか懇願の響きすらある声で陛下が言うものだから、私はつい「分かりました」なんて言ってしまったんだけど、言っている意味はあまり分からなかった。
◆
「まさか、あんなことまで陛下に伝わっているとは……はぁ、これからは父上の前でも迂闊に愚痴は言えないな」
「お疲れ様でーす」
「他人事のように……」
「他人事ですから」
黄檗殿からの帰り道、冬長官の肩はすっかりと丸くなっていた。
ただの私の付き添いなのに、変なダメージを受ける羽目になって可哀想に。足取りもいつもの颯爽としたものではなく、トボトボとしている。
彼の愚痴など私にとってはいつものことで驚くようなものではないのだが、もしかしたら、よそでは真面目を取り繕っているのかもしれない。
(一応、後宮官吏の一番偉い人だしね)
威厳とか色々と保つべきものがあるのだろう。大変だ。
なんて、他人事のように長い長い白塀を眺めながら歩く。
この長い塀の向こう側ひとつひとつが、それぞれの后妃様達のための屋敷だというから驚きだ。ひとりでどんな豪邸に住んでるんだか。
白瑞宮に住んで、最初に冬長官から「勝手に白瑞宮を出ないこと」と注意を受けたが、今ならそれが私を『閉じ込めるため』ではなく、『守るため』ということがよく分かる。ひとりで出歩いたら、絶対に迷子になる広さと入り組み方だ。
「そういえば、どこからか女性の不気味な声が聞こえるっていう苦情が来てたんじゃないですっけ?」
つい先日、そんなことを彼は言っていなかっただろうか。
「ああ、廃宮の件か。ちょうどここら辺りにあってだな」と、彼が右手にある白塀へと視線をやった時だった。
ひっくひっくと、か細い女性の泣き声が聞こえてきたのは。
「と、冬長官! いぃいい今、女の人の泣き声が聞こえませんでした!?」
思わず、隣の冬長官の腕に飛びついてしまった。
白塀の向こうで、間違いなくナニか……いや、誰かが泣いている。
「だ、誰か先輩宮女とかにいじめられて、こっそりと泣いているんですかねえ……」
そうであってほしい。
お願い「そうだな。この声はどこどこの宮女だな」とか言って!
そんな願いを込めてチラと冬長官を見上げたら、彼は私の顔を見るなり、ニヤリと片口を上げたのだ。
嫌な予感しかしない。
「ちょうど良い。調べに行くぞ」
逃げようとした時には、しっかりと手を掴まれていた。彼の腕にしがみついていたことがあだとなった。
「やだやだやだ! 心霊現象とか一番無理なんです!」
「お前が言ったとおり、どこかの宮女が忍び泣いているだけかもしれんぞ」
「そ、それは可哀想ですけど……いや、やっぱり幽霊っていう可能性が半分あるから無理です!」
首を横にブンブンと振りながら、必死に掴まれた手を外そうとするも、全然外れない。顔は綺麗でも力はゴリラだな!
「さあ、四の五の言わず行くぞ」
「ひとりで行ってええええええ!」
私の嘆きなんか無視して、ズルズルと引っ張っていく冬長官。
彼が、鬼の長官と呼ばれる理由が分かった気がした。




