批判家
「はーあぁ、くだらねぇな……」
『え、今、何ておっしゃいましたか?』
「はぁ……しょーもない番組……」
『はい?』
「はぁ……」
『あの、ちょっとこちらに来ていただけますか?』
「あーあぁ……ん?」
『あなたですよ。あなた』
「……は? ん?」
『そうです。あなたです。ぜひ、こちらまで』
「え、あの、おれ……?」
『そうです。テレビの中に入ってください。さあ、早く。放送中ですよ』
酒を呑みながらワイドショーを見ていたら、突然、テレビの中の司会者に呼びかけられ、おれは驚きでひっくり返りそうになった。司会者だけでなく、椅子に座っているコメンテーターもおれを見つめている。
「いや、あの、え? おれ?」
『だからそう言ってるじゃないですか!』
『早く早く! 放送中!』
おれは自分を指さし、司会者に確認した。とても信じられないが、司会者とそれからスタッフらしき者の声までも、おれを急かすものだから、おれは慌ててテレビに駆け寄り、そして中に入った。
「やあ、どうも。よくお越しくださいました。席にお座りください」
「ああ、はあ、どうも……」
おれは腰を低くしながら用意された席まで歩き、椅子に座った。
隣にはスーツを着たなんらかの専門家らしき中年の男と、小奇麗な恰好をした中年の女が座っているが、いつも番組を見ているわけでもなく、冒頭から見始めたわけでもないので、おれにはどこの誰かわからない。
ふと、空中に浮かんでいるテレビモニターに目が留まった。あれはどうやらこのスタジオとおれの部屋を繋ぐ出入り口のようで、そこからおれの部屋が見えた。
「えー、では先ほど、あなたはこの番組を見ながら、くだらねぇなと仰られましたが、それはどういった意味なんでしょう」
司会者の男が少し腰を落とし、そのニヤついた顔を前に突き出すようにして、おれにそう質問をした。
「えっと、いや、それは……」
「この番組がくだらないという意味でしょうか。ははは、我々はこの仕事を誇りを持ってやっているんですがね。いやぁ、くだらねぇ、ですか……。では、さぞかし高尚な趣味をお持ちなんでしょうね」
司会者がそう言うとスタジオ内に笑いが起きた。だが、どこか怒りが込められた笑いだとおれは感じた。
「どういったところがくだらないと思うか、お聞かせ願えますか? 貴重なご意見として参考にさせていただきたいので」
「いや、その、それは……」
「どうしましたか? さあ、どうぞ。ほいっ」
「ほいって、いや、ですからね、芸能人の不倫とか、そういうのばっかり嬉々として取り上げて、その、視聴者の怒りを煽ったりとか、焚きつけるようなのは、ちょっとあまり良くないんじゃないかというか……」
「はぁー、そうですかそうですか。そればかりじゃないんですがねぇ。じゃあ、もっと大きな問題を話し合いたいんですね? 待機児童問題とか、政治家の裏金問題とか、ええ、あなたはどうお考えになりますか? ん? ん? お聞かせください」
「い、いやー、ちょっと、おれ、いや、ぼくにはわからないんですけどもぉ、でも」
おれはこうなったら覚悟を決めるしかないと思い、椅子に座り直して腕を組んだ。
「いや、わからないってあなた、もういい大人でしょ?」
横に座っていた女がおれの話を遮った。耳がキンキンする声だった。
「いや、ちょっと、ははは、お恥ずかしながら学がないものですから……でもね――」
「はー、あなたね、いや、あるわよ。そういう枠。視聴者目線というかね。でもね、そういう枠はね、もっと若い男性や女性が入るでしょ。あなたもうおじさんでしょ? もっと自分の無知を恥じたらどうなの? ほんと、平気な顔してよく座っていられるわね。恥って概念がないのかしら」
「な、で、でもしょうがないじゃないですか!」
「学がないのが? あのね、あたしは何もね、今から大学に行けって言ってんじゃないの。学ぶ努力をせずダラダラしてたあなたが悪いんでしょう。なんの専門分野もない、一芸もないそれをなんですか。アウトロー気取りで、ちょっと意外な視点から物が言えますよなんて顔して座ってさ」
「お、おれはただ、急なことだったから真似をしただけで……」
「真似って? 誰の?」
「お笑い芸人のコメンテーターの、その、さよなら!」
おれは椅子から立ち上がり、机を乗り越えた。そして、制止しようとするスタッフを押しのけ、テレビモニターの中に飛び込んだ。
『いやぁ、彼、どうしちゃったんですかねぇ。ははは』
『ああいう人、結構いますよね。冷笑系っていうんですかねぇ』
『ほんと、みっともないわね』
部屋に戻ったおれは、連中がまだおれの話をしているのを見て、慌てて他のチャンネルに替えた。その局ではテレビドラマがやっていて、おれは息を整えながらぼんやりとそれを眺めた。
「……演技下手糞だなぁ。棒読みじゃないか」
『……はぁ?』
「えっ」
『おい、来いよ。来いよ、来いよ、来いよ! 来いっつってんだよ!』
呼ばれようが行かなきゃいいのに。おれ自身そう思ったのだが、凄まじい剣幕に気圧され、おれはまたテレビの中に入った。
向こう側に少し出た途端、胸ぐら掴まれておれは全身を引きずり出された。
「おい、今おれの演技を下手って言ったか?」
「いや、あの……」
と、おれは今さらながらまずいことになったと思った。どうやらこれは学園ドラマで、しかもこの男はヤンキー気質のある役らしい。しかし演じている自覚がありながら、その役柄に影響されているというのはどういうことなのだろうか。役に入り込んでいるのならあんな演技になるはずはないと思うのだが、ではここはそういう世界なのかもしれない。現実とフィクションの狭間にあるのではないだろうか。
「あの、ただちょっと思っただけで」おれは宥めようと笑みを浮かべながらそう言った。
「お前がやってみろよ」
「……え?」
「おまえがやってみろつってんだよー!」
「いやそれ、プロが言っちゃいけないセリフじゃ……」
「いいからやれよ!」
「え、えっと、さっきのあなたのセリフですか? えと、なんだっけ、ああ。あーあ、ちきしょーなんだっぺんだよーあいつ」
「噛んでんじゃねえよ!」
「す、すみません、すみません……」
「全然ダメだな。下手糞」
「で、でも、あなたもこんなもんじゃ……」
「ふざけんなよ……みんな、命をかけてこのドラマを作ってんだよ! てめえになにがわかんだよー!」
「い、今も棒演技……。あ、あなた、事務所ごり押しのアイドル俳優でしょう……? テロテロの安いコスプレみたいな衣装で命かけてって、キャスティングありきで適当な漫画原作をいじっただけの、あ、あ、あ、失礼します!」
おれはまた自分の部屋に逃げ帰り、チャンネルを替えた。もう何も言うまいと思っていたのだが、つい口から「つまんねぇバラエティ番組だなぁ」と出てしまった。すると、もはやお約束とばかりに番組出演者が吠えだし、おれはまたまたテレビの中へ入る羽目になった。
「で、なんや? この番組がつまらんて?」
「あ、はい、その……」
「演者もスタッフもみんな一丸となって企画を考えてんねんで! それをつまらねえってなんや! 頑張っとる人に対し、失礼やないか!」
「い、いや、だから頑張ったとかそんなの視聴者には関係ないじゃないですか……馴れ合いがひどくて見てられないですよ。皆さん、いい歳なのにどこか若者ぶってるし、今噛んだだのどうでもいいし、わざとらしいリアクションなんて見ちゃいられな――」
と、言ったところで掴みかかられそうになったおれはそれをかわした。後ろから「素人が!」と罵声を浴びせられながら、おれは自分の部屋に逃げ帰り、テレビを消した。
一騒動を終え、汗をびっしょりかいたのでおれは服を脱ぎ、風呂に入ることにした。湯船につかり、先ほどの喧騒からようやく離れられたことに安堵し、そのままぼーっとした。
「……つまんねぇ人生だな」
ふと、口から零れたその言葉は、水面に映ったおれの顔に降りかかった。
途端、酒を呑んでいたせいだろうか強い眠気に襲われた。
頭が重い。眠い、眠ってしまう。……しかし、あるいはこれまでの一部始終が風呂に浸かり、見ていた夢だったのではないだろうか。そもそもテレビの中に入るってなんだ。今さらだが、あり得ないだろう。そういった夢を見ていて、それで今目が覚めて、それで、それで……ああ、バランスが取れない、手足に力が入らない……。
そう思ったときにはすでに遅かった。おれの体はテレビに入ったときのように、どんどん水の中へ沈んでいった。