魔女の拾い子とワスレナグサ
彼女は森に住んでいた。人里離れた一軒家で、一人で静かに暮らしていた。彼女は、魔女だった——。
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小鳥のさえずり、川のせせらぎ、葉が風に揺られて音を奏でる。そんな静かでどこか寂しい森で彼女は出会った。
彼女の目の前にいる少年は珍しいものを見るように、でもどこか警戒するように様子をうかがう。
「君、どうしたの。迷子?」
彼女が手を差し伸べようとすると少年は後ろの木の陰に隠れ、威嚇をするような素振りを見せた。木の幹を掴むその手は震えていて目も少し潤んでいるようだった。
彼女はローブの内側から木の枝のようなものを取り出し一振りさせた。すると少年の頭に花の冠が現れ、少年は驚いた様子を見せた。そして彼女は口を開いた。
「君、名前は?」
少年はまっすぐ彼女の瞳を見つめた。
「……名前、ない」
風が強く吹き付けたとき、彼女の口角がほんの少しだけ上がった。
「じゃあ、私がつけてあげる」
彼女は少年の前まで歩み寄り、目線を合わせて言った。
「私と一緒に暮らす気はない?」
少年は考えるように黙り込んだ。
「私は君に危害は加えない」
「……家、ある?」
目を見開いてそう聞く少年に、彼女はあるよ、と優しく言い、ゆっくりと手を伸ばした。
「私はクロエ・シュレード、魔女だよ。君の名前は——」
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「——アギス、また塩と砂糖間違えたでしょ」
「はぁ?!んなことねぇし」
クロエに拾われてから何年か経った。あのときは片言でしか話せなかった言葉も、アイツに教えてもらって幾分か流暢に話せるようになった。
「じゃあ、なんでこのクッキーしょっぱいの?」
「そ、そう書いてあったんだよ!レシピに!」
当然それは嘘で、多分アイツも分かってるんだ。
(ていうか砂糖と塩ちゃんと書いといてほしいんだけど)
アイツは魔法を使わない。前にその理由を聞いたことがあったがはぐらかされてしまった。今は簡単な魔法しか使えないのだそう。
「おはよー、クロクロ!家の外にもいい匂いが広がってるんだけど何作ってたの?」
いつもどおり満面の笑みでノックもせずに家の中に入ってきたのはレベッカ。なんでもアイツが俺を拾う前からの仲らしく、毎日ではないものの二、三日に一回ほどの頻度で遊びに来る。
そしていつも大きなかごを持ってくる。その中身を盗み見たことがあったが、食べ物や消耗品が多かった。
アイツは街に出ようとしない。買い物に行かないと不便だろうと俺が行くと言ったこともあったが、その時ばかりはアイツに必死になって止められた。あそこまで焦るところを俺は見たことがなかった。
「アギスがクッキーを焼いたところだ。塩と砂糖を間違えたけれどね」
「うるせぇ!次は間違えねぇわ!」
「クロクロのために作ってあげるなんてアギスちゃん優しいじゃない」
「だから“ちゃん”ってよぶな!それに、コイツのためじゃないし……」
顔に熱を感じたため急いで顔をそらした。レベッカに、照れてるのぉ?とからかわれたが適当にあしらっておいた。別に恥ずかしくもないはずなのに、何故か調子が狂う。
すると何かを思い出した様子でレベッカが、そうだと言った。
「今日はね、美味しい紅茶とお菓子を持ってきたのよ。せっかくだし、久しぶりにアギスちゃんもどう?」
「誰がお前なんかと……」そう言いかけてレベッカの方を向くと、これでもかというくらいに瞳を潤ませ、上目遣いで“お願い”をしていた。いくら彼女も魔女とはいえ見た目は少女のよう。その仕草に惑わされるものかとアイツの方を見れば、いいんじゃない?とお茶をすするばかり。
「……ん〜、あぁもう!今日は特別だぞ!そしてこれから俺のことを“アギスちゃん”と呼ぶのはやめるんだな」
じゃあアギスくんでいい?と呼び捨てにはしない様子で、これは切りがないと俺は諦め半分で承諾した。
*
開かれたお茶会ではアタシが持ってきた紅茶やお菓子の他、案の定アギス“ちゃん”、改めアギス“くん”が間違えて塩を入れた——否、甘さ控えめ塩分高めのクッキーも並べられていた。アタシはそれをひとくち食べたけど、やっぱりしょっぱくて手元のお皿の上にそれをそっと置いた。確かに甘いはずのものであるそれはとても美味しいとは言い難くて、でもクッキーではない別の何かだと言えば食べられなくもなかった。まぁアタシはもう食べないけどね。
一方で紅茶をゆっくりと飲んでいたクロクロは何のためらいもなくクッキーの方へと手を伸ばし、そのまま口に運んだ。
「……レベッカが持ってきてくれた紅茶がちょっと甘いから、これを食べるとちょうどいいね」
そして美味しいと言い、もう一口食べた。
アタシが持ってきたという紅茶はクロクロが言うほど甘いわけではない。おそらく優しさからなのだろう。
クロクロはレシピを見て一生懸命作っていたアギスくんの姿を見ていたはず。彼の頑張りを褒めてあげたいけど、素直になれないのよね。
ホントに、似たもの同士だよ。君たち二人は——。
*
あれから半年ほど経ったある日、俺が部屋の掃除をしていると扉が叩かれる音がした。レベッカが来るときにはノックなんてしないから知らない誰かだろう。
俺が扉を開けようと近づくと、私が出る、と言ってアイツが手で俺の行く手を制してきた。
扉を開けると知らない男たち、そしてレベッカがいた。すると、一番前にいた髭をはやした男が口を開いた。
「クロエ・シュレード。お前は次の魔女に選ばれた」
こいつは何を言っているんだと、正直思った。アイツは端から魔女じゃないか。
俺は家の外に出ないから全てアイツやレベッカから聞いた話だけど、ここは人間の住むところからはかなり離れていて、魔女以外に見つけられることは殆どないという。そしてレベッカもいるということは、いま目の前にいる奴らも魔女やその存在を知っている者なのだろう。
状況が飲み込めない俺が本人の顔を見れば特に驚いたような素振りもなく、平然と男の方を見ていた。
「お、おい。なんのことだよ。選ばれたって——」
「——魔女狩りだよ」
魔女狩り。本で読んだことがある。簡単に言うと、魔術を使ったとされるものを処罰するというこの辺の地域で昔から行われているものだ。それが……
「それがなんでアンタになるんだよ」
「……私が魔女だからに決まっているだろう」
——意味わかんねぇよ……。
俺はその後、何も聞き出すことができなかった。しかし、目の前のアイツは自ら男たちの方に向かって歩き出していた。動揺を隠せない俺の首筋に汗が流れた。
「ッ、……おい、待てよ!」
アイツが何だなんて知ったこっちゃない。まだ、まだ俺はアイツに何もやれていない。何も返してない。
俺がとっさに追いかけようとしたとき、後ろからロープが伸び俺の体をきつく縛った。
「?!レベッカ、離せよ!」
ロープの伸びてきた方を見ると、レベッカの持つ杖の先からそれが伸びていた。
「ごめんなさい。アタシも仕事なの」
「ドクトレンくん、その少年をよろしく」
一人の男がレベッカに冷たくそう指示する。
どいつもこいつも俺の邪魔をする。ガキのときもそうだった。俺にはアイツしかいないのに……。
俺はアイツに助けられた。アイツに守られた。こんな別れ方なんて——
「クロエ!!」
——死んでもゴメンだ。
「……やっと、名前呼んでくれたね」
アイツはそう言って笑った。いつも無表情で感情を表に出さないアイツの素を初めて見たような気がした。
その笑顔を最後に、俺の視界は暗転した。
*
「お前は本当に手がかかるな。本来ならあのボウズはお前のもとに置くなどしてはいけないんだぞ」
「でも《村長》さんは許可してくれたのでしょう?……あの子を拾ったのも育てたのも私の気まぐれで、ただの暇つぶしに過ぎなかった。それだけよ」
「《小鳥》がよく言う」
本来、《小鳥》——つまり受刑者である私が人間の子供を保護し、育てるなど許されざる行為である。しかし、日頃の行いとこれまでの罪の償い方から、レベッカの監視来訪の回数を増やすということとその人間に危害を加えないということを条件に、《村長》と呼ばれる魔女の罪人の取締や断罪をする組織の長より許可を頂いたことで可能となった。
「……あのボウズ、お前の弟に似ていたな」
「じゃあ、情が移ったのかもね」
アギスは何も知らない。否、知る由もない。聞くことも許されないまま、レベッカによってあの結界の外の安全な場所に出されるのだろう。
「おい、魔女を見つけたぞ!」
そして私も、アギスに何も言えないまま——
「お前を火刑に処す」
——この世から消えてしまうのだ。
柱にくくりつけられ、足元の藁に日が灯される。迫りくる熱さを感じながら、あの子のことばかりを考えていた。
本当に本当に——
「——ありがとう」
頬に一筋の雫が流れたとき、視界は赤で埋め尽くされていった。
* * *
『ねぇクロクロ?なんであの坊やに“アギス”って名前つけたの?』
『……フェアギスマインニヒト』
『なぁに?それ』
『ドイツ語でワスレナグサのこと』
するとブロンド髪の女は、へぇと紅茶の入ったカップを持ち上げながらニヤついてみせた。
『クロクロもいい趣味してるねぇ』
『変なこと言わないで。……特に深い意味はないから』
ホントかなぁ?と黒髪の女をからかい話すその様子は、“鳥籠”の中ではないようだった。
『そんなに弟くんに似てた?あの坊や』
黒髪の女は少し考えた様子で紅茶を飲んだあと、青く澄んだ瞳を同じ色の空に向けた。その下には少年が遊び疲れて寝息を立てている。
『私なりの罪の償い、とでも言っておこうかな』
そう言うと女は席を立ち、少年の元へ歩み寄る。その細い腕にはいくつか痣が見えている。女はそれを優しく撫でたあと、少年を抱き上げて家の中へと入っていった。
* * *
僕が目を覚ましたときは、知らない小屋の中だった。それ以前の記憶は一切なく、小屋の周辺をさまよっていたところをおばさんに助けてもらった。
「おーい、おいてくぞ!」
「待ってて!今行くから」
一つだけ、懐かしく感じたものはあった。
『……ワスレナグサ?』
『そう、花言葉は——』
僕が眠っていたベッドの窓辺に置いてあった一輪の花。その青い花弁を見ると、知らない誰かの記憶が流れ込んできた。
でも嫌な気分にはならなかった。それどころか、心が暖かくなるような気がして——
——僕はその人に会いたいと思った。
誰かにとってはハッピーエンドかもしれないけど、誰かにとってはバッドエンドかもしれない。
ハッピーエンドの裏には必ずバッドエンドもある。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
考察要素を含めて一度は執筆してみたいと思い、挑戦も兼ねての作品となりました。ストーリーの展開が早かったり、過去と現在がわからなくなってないかと今も心配しております。客観的な意見があると小説の質も高まるので、ぜひお気軽にどうぞ。
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(別にそこまで花が好きなわけではないけれども話に組み込みやすいですよねっていうメタです。今度は星でも使ってみようかな……)