白白逃亡放浪記
一
フェリーへ乗るのは、おそらく人生で2度目か3度目だとは思うのだが、その時の心持ちは初めてと言わんばかりの胸騒ぎであった。
波が大きな動物に見え、これから行く島はまるで緑の点。鳥が低く飛び、耳を切り裂くかのように風が強く吹いていた。フェリーにはおそらくテスト帰りの高校生が多く乗っていた。カーディガンを制服の下に着て、マフラーを首にしている。明日もテストなのだろう、赤いシートでオレンジの文字を隠している。
島生まれ、島育ち。彼らもいずれ故郷を離れ都会に出ていくのだろうか。
そんな若さを振りまく高校生の会話を打ち消すように、フェリーは轟音で走っていた。
やがて緑の点だった島の街並みが見えてきた。港に船、錆びれた旅館、やってるのか分からない店、小さな学校、破れた旗に、ようこそ○○島へと書かれている。自分が乗った本土は既に見えなくなっていた。
島へ降り立つと、フェリーに乗っていたからか地面がやたら固く感じた。それはまるで、自分が来たことを祝福されていないような気持ちだった。
高校生たちはみな自分の自転車に跨り、帰路へとついた。
自分は宿も行き先も何も決めずに来たので、島に着いたはいいものの、何をすればよいか全く分からなかった。
ひとまずフェリー乗り場にある喫煙所へと向かいタバコを吸った。
「兄ちゃん、帰省か? 見ねえ顔だが」
タバコを吸っていると、フェリー乗り場のおじさんに話かけられた。
「いや、初めて来ました、ひとり旅中でして」
そう言うと、おじさんの顔は曇り始めて、なんだか不安がっているように思えた。
「兄ちゃん宿は?おさえてあんのかい?」
「いいえ、これから探そうかと」
「そうかい、」
そう言うとおじさんは奥の部屋に戻ってしまった。
確かに不安がるのも無理はない。なんせ自分はスマホと財布とタバコくらいしか今持っておらず、ほぼ手ぶらで、しかも1人で島に来ている。
タバコを吸い終えると、やはりまずは宿の確保をした方が良いだろうと、街を散策がてら宿を見つけ次第空いてるか聞いてみようと思った。
それにしても静かだ。狭い島で一周するのに1時間もかからない、また無人島という訳でもあるまい。しかしここまで人の声がしないものだろうか。するのは海の音と、名前の知らない鳥の鳴き声のみ。そしてどこへ行っても海の塩の匂いがした。
途中宿らしきものを見つけて、とりあえずと思い中へ入った。ごめんください、と言うとしばらくして中から女将であろうおばさんが歩いてきた。
「1人なんですが、今日部屋空いてますか」
そう自分が言うと、女将は急いでロビーにある黒電話をかけた。
「もしもし、例の子、来たかもしれない」
小声で話しているつもりだっただろうが、自分は地獄耳を持っているので、そう言っているのがまるで分かった。
「ごめんなさい、今日は部屋全部埋まってしまっているわ、他をあたってちょうだい」
そう言われたので、ありがとうございましたと言い、宿を出た。
何となく嫌な予感がした。
だからもう一軒宿を見つけ、中に入り同じように部屋があるか聞いた。
するとその宿の女将も同じように誰かに電話をかけ、そして部屋は全て埋まっていると言った。
なるほど、狭い島だから、しょうがない。
こんな男が手ぶらで1人で島へやってきた。しかも見たこともない顔。宿の確保もできていない。確かに、自殺志願者だと思われてもしょうがない。
なんせ狭い島だから、噂は一瞬で広まるのだろう。
どうすればよいのだろうか、このような時は、どうすればよいか。まだ時間はある。海へ行って頭を冷やそう。焦ってはいけない。冷静に考えて考え尽くすしかないだろう。
ニ
2月というのもあり、海辺はかなり寒かった。これが頭を冷やすどころではなく、頭が凍ってしまい、脳がもはや機能しなくなるのではないかと思うほどだった。
波が足にかからない、ギリギリの所まで海へ近づいた。海はとても広く、なんだか空が丸く感じた。当たり前のことだ、地球は丸い。でもそれは普段住んでる所ではなかなか実感のできないことだ。
宿のことで解決策を考えていても、自分はまず島のことを何も知らない、この場に知り合いなる者も1人もいない。そして島の民からは自殺しに来た青年と思われているこの状況。もう噂はほとんどの宿の耳に入ったであろう。だから手も足も出ない気がしていた。もういっそ山に篭り野宿でもするんだろうかと考えた。飯はどうする、布団代わりのものはどうする、今にも頭はパンクしそうだった。
そうしていると突然後ろから声をかけられた。
「あんたか、意外と若いな、まだ早いって」
歳は35くらいの女性の方だった。
「あ、、、やっぱり自分の噂、島の中で広まってますよね。安心してください、そんなんじゃないですから」
「本当かい?なら良かった、でもこんな所になにしに来たんだい」
「ひとり旅ってやつです」
「変わった子やなあ、こんな所に旅行しにくる人そうおらんで、ましてや1人旅なんて」
「そうらしいですね、ここ来るの初めてで何にも分からなくて」
そう言うと少し間が空いてから、女性の方が話はじめた。
「宿ないんでしょ、ここいても寒いしうち来な、宿じゃなくて軽食屋だけど、多少時間は潰せるし島のこと教えてあげるわ」
「ありがとうございます、そうしたらお邪魔させて頂きます」
「よし、あ、その前に写真撮る?旅行記念に、この海背景に、どうよ」
「じゃあ、お願いします」
そうして2人で軽食屋へ向かった。その道中、自分が大学生であることや、普段東京で暮らしている事を話し、女性の方の名はミキさんということも分かった。
軽食屋へ着くと、珈琲を一杯頂いた。その店は喫煙可能店だったため、タバコも吸った。
「宿見つからなかったら、どうするつもりだったのよ、君」
「ほんとに何も考えてなくて」
「まあ行き当たりばったりが面白いって気持ち分かるよ、私もよく分かるけど、計画性って意外と大事なのよ」
「本当そうですね、実感しました」
ミキさんはサービスねと言い、バウムクーヘンとクッキーをくれた。
「ありがとうございます、でもちゃんとお支払いしますよ」
「いいのよ、あ、じゃあその代わりに、暇だったらでいいんだけど娘に届けて欲しいものがあってね」
「娘?」
「そう、一応母親やってて小学4年生の娘がいるんだけどね、ナツキっていうの、今日提出期限の宿題、さっきたまたま部屋で見つけちゃって、これ出さないといけないのに忘れて出て行ったんだと思うのよ、それ届けてくれたらすごい助かる。私これから少し予定あって」
「全然いいですけど、突然自分が行っても大丈夫ですかね」
「大丈夫よ、今から学校に電話入れとくから」
ミキさんは携帯電話を手にとり学校に電話をかけた。
「もしもし、先生?ごめんなさいナツキ今日提出の宿題忘れちゃってますよね。ごめんなさい本当に。今宿題届けますので。え、いや私じゃなくて、先生聞いてるかしら、あの噂の青年。そうそう、あ、いや違うのよ、聞いたら全くそんなんじゃないって。うちの店遊びにきてくれて。ええ、そうなの、いや信用できますって、話してみたらごく普通の青年よ。とりあえずその子に学校向かってもらうから、よろしくね。はいじゃあ失礼します。」
なんだか複雑な気持ちになってしまってはいるが、とりあえず学校へと向かった。手にはプリントが2枚入ったクリアファイルを持っている。
狭い島のため、小学校はすぐ着いた。門の前でどうすればよいだろうと立ち尽くしていると、先生らしき人がこちらへ走ってきた。
「もしかして、ナツキちゃんの宿題持ってきてくれてます?」
「あ、はい、ミキさんに頼まれて」
「なるほど」
そう言うと先生は自分の足から顔を一通り見渡し、とりあえず中へと言い職員室へ案内された。
三
失礼します、そう言い職員室へ入ると、先生達は自分の方を見てざわざわし始めた。噂の広まり方が、一周回って面白くなってきた。まるでこりゃ見せ物だ。
しばらくするとナツキちゃんらしい女の子が職員室に入ってきた。
先生がナツキちゃんに、宿題次はちゃんと持ってこなきゃダメだよと言い、それに対してナツキちゃんはごめんなさいと答えた。
そうえば自分はなんで職員室にいるのだろうと戸惑っていると
「この人は、、」
とナツキちゃんが自分の方を指差して言ったので、何と言えばいいかと模索していると
「お母さんのお店のお客さんで、お母さんの代わりにこの宿題、持ってきてくれたんだよ」
と先生が答えてくれた。
するとありがとうございます、とナツキちゃんはお礼を言ってきたので、どういたしましてと返した。
先生が宿題のプリントを見ていると、
「ナツキちゃん、ここ間違ってるね」とプリントをテーブルの上に置いた。
自分とナツキちゃんはそれを覗くように見た。
どうやら歴史の問題らしい。
織田信長の家臣である明智光秀が
[ 1572 ]年に起こした[ 本能寺の変 ]により織田信長は暗殺された。
確かに間違っている、本能寺の変は1572年ではなく、1582年に起きた。あと10年遅い。惜しい。
ナツキちゃんはどこが間違っているのだろうと不思議がった顔をしている。
「ナツキちゃん、どこが間違ってるか分かるかな」
そう言う先生の目は、ナツキちゃんを見ながらも、たまに自分をチラチラと見ている。
試しているのか。噂の青年の学力を。なめるな。自分はこれでも日本史選択で大学に受かった男だぞ。
ナツキちゃんはどうやらお手上げのようだったので、自分が声をかけてあげた。
「これ、かなり惜しいんだけど、あと10年遅いんだよ」
「じゃあ、1582年ってこと?」
「そう、正解。1582年で、これはイチ ゴ パン ツ。 苺パンツって覚えるんだよ」
「なにそれ、むちゃ面白い」
ナツキちゃんが笑うと、それにつられて先生と自分も笑った。
「君、私よりも教えるのが上手かもしれませんね」
そう先生が言うと、周りにいた先生たちも笑った。
「ありがとう、もう覚えた。今からまたお母さんの店おいでよ、次はきっとバウムクーヘンサービスしてくれるよ」
そうナツキちゃんが言うので、さっき既にもらったんだよなと思いながらも、嬉しがるフリをしておいた。
そうしてナツキちゃんと2人、学校を出てまた軽食屋へ戻った。
「どこから来たの?」
軽食屋までの道中、ナツキちゃんがそう聞いてきたので、東京だよと答えると、少し前に旅行で行ってきたよと返してきた。
そうえば小学生ってのはこんなにしっかりしていたっけと自分は感心していた。
ナツキちゃんは続けて聞いてきた。
「1人で?」
「そうだよ」
「お母さんは?」
「いるよ」
「一緒じゃないの?」
「うん、今離れて暮らしてるし、ひとりで旅行したくなって」
「えーナツキはお母さんとずっと一緒にいたいよ」
「でもいずれ1人になりたい時がくるかもよ、あと10年くらいすればね」
「ふーん、大人になりたくなーい」
「僕もなりたくないよ」
「もう大人じゃん」
「そうか」
軽食屋へ着くとミキさんは居なかった。
「そうえばミキさん、あ、いやお母さん予定あるって言ってたよ」
「あーそっか、なんかあるって言ってた気がする」
でもミキさんはすぐに帰ってきて、今度はバウムクーヘンどころか紅茶までサービスしてくれた。
「まあ最悪、うち泊まればいいさ、空いてる部屋が一つあるからね」
ミキさんはそう声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
「そうだ、君大学生だったよね、ナツキに勉強教えてあげて」
そうミキさんが言うと、ナツキちゃんは算数のプリントを自分の前に出してきた。
今日は算数の宿題があるらしい。
残念ながら数字は本当に苦手なのだが、小学生だもんなと思って問題を解いてみようとした。しかし、小学生で習う算数というのはここまで難しかっただろうか。
ナツキちゃんも途中から一緒に考え始めてもらった。どうやら自分の算数の偏差値は小学4年生のそれとほぼ同レベルらしい。
そうこうしてる間に、外は真っ暗になっていた。
四
算数の宿題を終わらせるのに、大学生がいるにも関わらず約1時間もかかった。もう時間もいい時間になっていた。そして宿のことを完全に忘れていた。しまった。
ミキさんが店の締め作業を終え、宿題終わりの僕らの元へやってきた。
「夜ご飯、どうする?」
そう聞かれて、飯のことも完全に忘れていた自分はなにも答えることができず、どうしようかと考えていると、
「家で食べればいいじゃん」
とナツキちゃんが答えた。するとミキさんも
「いやせっかく島に来たのに、うちの飯かい、なんか海の幸ってやつ?食べさせてやりたいよ」
と言ったのでナツキちゃんは
「じゃああそこのマグロのお店行こうよ」
と返した。
「君、お腹空いてる?さっきバウムクーヘン食べたばかりだけど」
とミキさんに聞かれたので、空いてますよと答えた。
じゃあ、という事で、僕ら3人はそのマグロの店とやらに向かった。
店に着くと、ミノさんというマグロ屋のおばさんが迎えてくれた。
「はいはい、噂の青年ってこの子ね、なんだい普通の子やないの、まあまあ中入って」
そう言われ僕らは店の中へ入り席に着いた。
すると驚いたことに、店内にはフェリー乗り場のおじさんがいた。おじさんは僕らの向かいの席に座り話しかけてきた。
「兄ちゃん、ごめんよ、変な噂流しちまってよ」
やはりこの人からだったか。
「全然大丈夫ですよ、もうその誤解も解けてきたみたいですし」
するとミノさんが水を席に運んできて、
「本当よ、このおじさんが馬鹿なこと言うからね、苦労したんだもんね、もっとちゃんと謝りなさいよ」
と言ったので、全然大丈夫ですからと答えた。
フェリー乗り場のおじさんはまだ続ける。
「だってよ、背骨曲がってらあ、完全後ろ姿はあれ絶望した人だったぜ兄ちゃん」
「たしかに、姿勢はかなり悪い方ですね」
「冬ってのはな、人を馬鹿にさせるもんなんだよ、何も無いなんてのは当たり前なのに、それが余計に寂しく感じちまうんだよ」
そうおじさんが言うとミキさんが隣から
「また長話になりそうですね、またナツキが眠くなってしまいますよ」
と口を挟んだ。
それに対しておじさんは、
「ナツキちゃんが大人になったら長話も聞いてくれるようになるか?それまでは死ねねえな」
と言った。
「やだ、大人になりたくない」
とナツキちゃんも口を挟んだ。
ミノさんがテーブルへマグロ定食を運んできた。これがかなり美味くて、まるで旅館で出てくるかのような料理だった。
「今日の宿は見つかったのかい?」
ミノさんがそう聞くので、まだ見つかってなくて、と答えると知り合いに旅館を経営してる人がいるから、部屋の交渉をしてやると言ってくださった。
どうやらその旅館は団体客専用で、社内旅行などで使われる事が多い旅館らしい。今日は団体客を見てないから空いてるのではないかと言っていた。
「え、家来るんじゃないの?」
ナツキちゃんがそう言うと、
「ひとり旅しに来たんだもんな、兄ちゃんは、それに気遣うやろ、今日会った人の家にお邪魔するってのもな」
とおじさんが返したので、自分もそうですねと返した。
しばらくしてミノさんが戻ってきて
「部屋空いてたよ、食べたら迎え来させるから言ってな」
と言ってくれたので、ありがとうございますと頭を下げた。
「まあ色々あったけど宿見つかってよかったよかった、本当どうなる事かと思ったよ」
とミキさんも言ってくれた。
マグロ定食を食べ終え、お会計をしようとするとミノさんが
「明日朝起きたら、また来な、朝飯食べさせてあげるから」
と言ってくれたので、
「本当に何もかもありがとうございます、でしたらまたお邪魔させて頂きます」
と答え、お会計をした。
店を出ると、旅館の車がもう既に停まっていた。
「ミキさん、色々とありがとうございます。ナツキちゃんも、ありがとう」
「いえいえ、今日はゆっくり休んでね、ナツキのことも色々とありがとう、ほらナツキもお礼言って」
「ありがとう」
2人に手を振り、旅館の車へと乗り込んだ。
五
「お願いします」
そう言い車に乗り込むと、
「いらっしゃい、噂の青年」
と言われた。ミキさんと同い年くらいの男性の運転手。
「本当に島の人みんな僕のこと知ってるんですね」
「1日限りの有名人やな。ほとんどの宿断られるだろうから、まさかと思ったけど、本当にうちに来るとはね」
「すいません、お世話になります」
「いいよいいよ、ゆっくりしてって」
旅館まで送ってもらい、着くと早速部屋に案内してもらった。
さすがは団体客用の部屋だけあって、とにかく部屋がでかいでかい。フットサルくらいならできるんじゃないかと思えるくらいの部屋だ。
そして風呂、これもやはり大きいのだが、それを自分1人で貸し切り。風呂で泳ぐのはいつ以来だろうか。人目を気にせずでかい風呂に入るのは優雅だ。
風呂を出て少しお酒を飲んだ。するとだんだん眠くなってきた。まあそりゃ疲れるだろう。初めての場所、人、経験。
この酒が飲み終わったら歯をみがいて、すぐに寝よう。
あしたは早く起きて、今日のマグロ屋に朝食を食べに行こう。
六
いつも朝は弱い自分も、今日は目覚めが良い。しかも朝の7時前。なんて健康的な朝なんだ。
歯ブラシを持って風呂へ向かう。そして今日も風呂は貸し切り。なんて豪華。昨日風呂に入ったのは夜だったので分からなかったが、風呂場から見る海の眺めは最高だった。そして海を散歩したくなった。マグロ屋へ行く前に少し寄ろう。
部屋に戻りさっさと身支度を済ませて、旅館のフロントに向かった。フロントには昨日車を運転してくれた男の人がいた。
「早いね、もっとゆっくりしていけばいいのに」
「昨日行ったマグロ屋に朝食を食べに行こうと思いまして」
「そうか、島の人と打ち解けられたみたいでよかったよ、またいつでもおいで」
「ありがとうございます」
そう言い支払いを済ませて、旅館を出た。
文句のつけようもないくらい、真っ青な空だった。海風が気持ちいい。
もうこのままここにずっと居ようかななんて思った。昨日おじさんが言ってた、冬は人を馬鹿にさせるとはこの事だろうか。でもそんくらいが丁度いいのかもしれない。
マグロ屋へ着くと、ミキさんとナツキちゃんは既に席に座っていた。
「おはようございます、来てたんですね」
そう自分が言うと2人もおはようと返してくれた。ナツキちゃんは今にも寝そうな顔をしていた。
朝食も朝食で、昨日の夕食に負けないくらい豪華だった。朝にも関わらず、店の中にはたくさんの人で賑わっていた。こんな店が家の近くにあるのは本当に羨ましい。
「今日もう帰るのかい?」
そうミキさんに聞かれたので、今日帰るつもりですと答えると、ミノさんが
「いつでもまた来たらご馳走するわ」と言ってくれた。
フェリーの便は2時間に1本。およそ40分後に1便くることが分かったのでそれに乗ることにした。
「お支払いお願いします、40分後のフェリーに乗ります」
そう言いミノさんにお金を渡して、礼を言った。
「ひとり旅って言ってたけど、こっからまたどっかに行くの?」
そうミキさんに聞かれたので、
「いや、なにも決めてません」
と答えた。
「相変わらずだね、計画性の無さは。今回何とかなったけど、本当気をつけなよ」
「ありがとうございます、まずは宿の確保ですね」
「そうだね、じゃあフェリーに乗り遅れないように、またいつでもおいで」
ミキさんがナツキちゃんの方を見ると、ナツキちゃんは気持ち良さそうに眠っていたので、起こすのもなんだか申し訳なくなって、
「ミキさん、ありがとうございました。お世話になりました。ナツキちゃんにもそうお伝えください。撮ってもらった写真、大事にします」
そう言いミキさんとナツキちゃんと別れ、店を出た。
七
フェリー乗り場は昨日乗った所と同じだった。乗り場に着くとフェリー到着までまだ10分あったので、喫煙所に行きタバコを吸った。
「兄ちゃん、なんだいもう帰るのかい」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきた。
どうやらこの島の話は、このおじさんから始まり、このおじさんで終わるようだった。
「はい、お世話になりました。ありがとうございました」
「もっとゆっくりしてけばええのに。まあ、ひとり旅だもんな、気ままにやるもんだな」
「そうですね、気ままに」
遠くからこちらの乗り場まで、少しずつフェリーが近づいてくる。
「また時間ができたら遊びに来るかもしれません」
「いつでも来ればええ、みんな何年たってもここにおるわ、ほんできっと何も変わっとらんと思うでな」
そう言いおじさんは笑ってた。
自分は長い夢でも見ていたのだろうか。いいやこれは現実だ。何年たってもここにいる、何も変わっとらん、その言葉の安心感と愛おしさに救われたこの気持ちがある以上は。
フェリーが大きな音を鳴らし、乗り場へ着いたことを知らせていた。
「それじゃあ、行きます。色々本当にありがとうございました。楽しかったです」
「おう、またな」
フェリーへ向かって歩いていると後ろからおじさんの声が聞こえた。
「おい兄ちゃん!」
「はい」
「また背骨曲がっとる、シャッキっとな。次会う時はその背骨なんとかしてこいよ。そしたら死のうとしてる奴とは、もう誰も思わん」
「ありがとうございます、次会う時は」
「ひとり旅、最後まで楽しんでな」
そう言うとおじさんは手を振ってくれたので自分も振り返した。そのままフェリーへ乗り込み、島から足を離した。
もう一度島を眺めてみると、同じ島でも昨日とはまるで違って見えた。自分が歩いていた道、ミキさんの喫茶店、ナツキちゃんが通う小学校、マグロ屋、世話になった旅館、昨日は知らない場所だったそれらが、今では意味のある場所へと変わっていたから。
そしてフェリーは轟音をたてて進みだした。
正直なところ何をとは言わないが、島の人達には自分の心の中を全て悟られているような気分になり、少し恥ずかしい気持ちだった。しかしそれと同時に、人とこれほどの距離で関わるのが久しぶりに思えて、あっという間に時が過ぎていった。
そうえばと思い、携帯を久しぶりに開くと誰からも連絡はなかった。まあそんなもんだろう。
後ろを振り返ると、さっきまでいた島は既に緑の点になっていた。そんな小さな点の中に、今自分が求めていたであろうものの全てが詰まっているように思えた。
上手くできている、そんで多少意地悪。そんなものに自分は生かされているのだろうか。
また夏には行こう。
今はそんな事思ってるけど、こんな気持ちは一時の産物かもしれない。タバコの残り火が一滴の水で終わるように、少しの経験で得たこの感情と余韻が、いつもの日々によって消し去られてしまうかもしれない。そうなってしまう自分を自分がよく知っている。だからせめて、昨日今日あった出来事をここに残しておこうと思う。
2020年 2月19日 白白逃亡放浪記 トミー健心
登場人物は存在しませんが、このような経験をした俺はここに存在しています。




