修行編 第9話 バンコクでの苦悩 その3(36)
3
店主の城山源次郎に窘められ、口論はやめたものの、
カウンターでは天田と健一が睨みあったままであった。
数秒後、店のドアが開いた。
「いや、毎度!源さん。やっとバンコクに帰ってきましたわ!」
大声で入ってきたのは、軽快な関西訛りのオーケン土山であった。
「あっ、オーケンさん。お久しぶりです」
健一が、嬉しそうに視線を送る。
「おう、大畑君。今バンコクやったんか」
「ええ、僕は4月からバンコクで働いているんです。オーケンさんもタイで仕事なんですか?」
「そうなんや、いや先週まで香港の仕事やったけど、あの仕事結構『長い!』
やっと終わって、バンコクに戻ってきたんや。
やっぱりバンコクが好きやなあ。何かホットするわ。
あっ源さん。氷入りのタイビールね」
「はいよ、オーケン。又賑やかになるね」
源次郎も嬉しそうであった。
「バンコクがそんなにいいんですか?」
冷静さを取り戻した天田がオーケンに質問をした。
「いや、どなたか、わかりませんが。そりゃいいですよ。何しろ食いもんが『うまい!』」
そういいながら、オーケンは、氷入りのグラスに注がれたタイのビールを美味そうに飲むのだった。
「食い物ね・・・。私はタイ料理を、まずいとは思いませんが、やっぱり日本人ですからここ源次郎さんの日本料理がいいですね」
しずかに語る天田に、再び健一がケンカを売る。
「あなたは、タイ料理の本当のよさを知らないんでしょう。僕はかつて、源さんに教えてもらった事が縁で、今、一流のシェフの道を歩んでるんですよ!」
「健一君!いい加減にしなよ」源次郎が思わず大声で叱る。
「いや、オーケン。健一君が2ヶ月前からバンコクのレストランで働くようになったんだけど。やっぱり外国人には厳しいんだよな。
雑用ばかりやらされて、毎日ストレスが溜まっているようなんだよ」
源次郎が、頭を掻きながら困った表情になる。
「そりゃ、普通やったら厳しいやろうな。
大畑君。この際待っても中々厳しいやろうから、その時のために、独自で動いたらどうやろうか」
「どういうことですか?オーケンさん」
「いや、あんたは明確な夢があるから、その実現のために動くんや。
あっそうだ、明後日、早起きできる?
僕、君を面白いところへ連れてってやるわ」
「ええっ。それでは頑張って、明後日早起きします」
健一は、オーケン土山から意外な提案を聞き、なにやら新しい展開になりそうな直感を感じたのか、表情が緩む。
「オーケン、健一君を変なところに連れて行くなよ」
「源さん、わかってますがな。行くのはクロントゥーイ。市場ですよ」
2日後、健一は早朝6時にオーケン土山と、待ち合わせの場所である。“居酒屋源次”の店の前にいた。
前の日は、居酒屋源次に寄らずに早く眠ったので、
眠気は全く無かった。
「いや、おはよう大畑君。これに乗ってね」
オーケン土山は、トゥクトゥク(3輪タクシー)に乗って登場し、健一が乗り込むと、軽快に動き出した。
「おはようございます。何かすみません。僕のためにわざわざ・・・」健一が申し訳なさそうに頭を下げると、「いや、そんなん構いませんがな。大畑君がこっちで修行しているのを聞いたら応援したくなったんでね」
朝からやけにテンションが高いオーケン土山。
15分ほどで、クロントゥーイの市場の前に到着。
2人が中に入ると、たくさんの店と多くの人のうねりで、市場中が活気に満ちているのだった。
「うわあ!いろんな魚がいるんですね」「すごいやろう。俺もここに来ると元気になるんで、バンコクでは一番好きかなあ」
健一は、市場内の魚介類をはじめ、豚や鶏肉などの精肉。野菜も現地特有のハーブ類が、“これでもか”と言わんばかりに大量に置かれているのを見て感動した。
「うーん。確かに僕もなんとなく元気が出てきました」
「そうか、では一通り見学したから、ごはんを食べよう」とオーケンが健一をとある食堂に案内する。
連れて来た所は、市場の中心からやや外れたところにある内臓料理の屋台であった。
店の前には、いろいろな内臓が置かれていて、お粥やスープを味わうものであった。
「ちょっとマニアックかなあ。でも、このお粥おいしいんや」そう言いながらオーケンは食べ始めると、「やっぱり『うまい!』」と大声を張り上げる。健一も横で食べ始める。
「美味しい。うーん、こんな料理も、あるんだ。まだまだ勉強不足だなあ」そういいながらも美味そうにお粥をすする健一。
「オーケンさん、前から気になってたんですけど、何で“オーケン”なんですか?」リラックスしてきたところで、質問をする健一。
「あっこれ、いや手短に話をすると、僕の名前は健次。つまり土山健次が本名やけど、生まれが名古屋の大須と言うところ。大須観音いうのが有名なところで、小学校の2年くらいまでそこにおったんやけど、父親の仕事の関係でそのあと大阪に引越したんや。
この大須の思い出が、中々良いところで東京の浅草みたいなところやったんや。
今でもあの風景思い出すと懐かしくてたまらんなあ。
それで大須の“オー”と健次の“ケン”を合わせたわけですわ」
「お名前健次さんなんですね。僕も健一ですから名前も一文字共通ですね」
「ああ、そういえばそうやなあ。じゃあ“ケンケン”コンビやなあ。ハハッハアハハハ!」
オーケンが大声で笑うのだった。




