修行編 第73話 タイの源を見て日本へ その3(99)
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夕方は、ターベチェンマイのバンコクサイアム店に最後の挨拶。中に入ると、社長のウイチャイが自らで迎えてくれて、社長と店長の2人の同席で、送別の食事会を開いてくれるのだった。
スタッフが心なしか寂しそうな表情で仕事をしているように健一は見えてしまう。
帰り際、健一は、スタッフ一人一人に
「また戻ってきますよ」と握手をしながら最後の挨拶をするのだった。
健一が店を出ると、ウイチャイに呼び止められた。
「大畑、チェンマイでお前に初めて会ったときから、お前のことを非常に期待していたんだ。実は俺の父が戦争でやってきた日本の兵隊さんと、非常に良いかかわりがあったことを、よく自慢していた。
そのため、俺は日本への興味をずうっと持ち続けていた。妹も日本人と結婚して東京へいったし、お前のような優秀なものにも出会えた。非常にいい縁を感じている。
日本で何か困ったことがあればいつでも戻って来い。俺はいつでもお前を迎え入れてやるからな」というと、背中を軽く2度たたくのだった。
健一は振り返って、「コープンクラップ(ありがとうございます)」小さく両手を合わせて、
再度ウイチャイに背を向けると、健一の目には、今まで我慢して溜め込んでいた涙を抑えることなく出し尽くすのだった。
翌日は帰国の前日。
健一は、午前10時にモンディの指示でサパーイ料理学校に向かった。
講師サパトラが健一を出迎えてくれたが、健一が今まで見たことの無いような正装姿に、「まさか!」とあることが頭によぎるのだった。
一瞬にして手のひらが濡れてきた。「モンディ先生への帰国の挨拶なので、一応スーツ姿で来たものの、まさかあの方が!」
中に入った健一は、その予感が見事に的中するのを確認した。
調理室の中にある大きなテーブルの奥の真ん中にあのシーダマン大師が、座っているのだった。
大師の左側にはモンディが、右側には健一が始めて見る年配の男性の姿が、さらに左右両側の隣にも見知らぬ男性が正装をして座っていた。
後ろには、シーダマンの邸宅に訪問したときにもいた使用人が立っていたが、その横になぜかこの雰囲気には似つかわしくない、カメラを持った日本人がいた。それは吉野一也の姿であった。
「大師が、直々にこんな所にまで来られて、私も緊張しているのよ」心なしか表情の硬いサパトラ。
長いテーブルのいちばん手前、シーダマンからいちばん遠いものの、真正面の位置に健一は座った。
「今日、大畑に来てもらったのは、明日お前の母国の日本に帰国すると聞いたからである」モンディが大声で、形式ばった言い方であった。
「わが師シーダマンが、大畑が日本でタイ料理人としてこの国の文化を広める意味も込めて、今回特別に第15番目のシーダマン大師の直弟子の認定をすることになった。これは、かつてオーストラリア、イギリスの両国に続いて外国人では3人目。我々タイ人と同じ髪、目、肌の色をしているアジア人の外国人では初めてである」
健一は、いったい何が起きているのか良くわからず、横にいるサパトラの顔を見る。
サパトラは、ヘアバンドを少し手直ししながら小声で、「大畑、あなたは凄いわね。今回シーダマン大師の直弟子として認められたのよ。モンディ先生の弟子ではあるけど、タイ料理界の神シーダマン大使の15人しかいない直弟子の一人として、モンディ先生の兄弟分ということになるのよ。凄い名誉なことよ」
ようやく自分の状況・立場がわかった健一は、
大声で『コープンクラップ』と両手を合わせて何度も頭を下げるのだった。
それを見ていた、モンディとシーダマンはお互いに顔をあわせて大笑いする。
「大畑、調理場以外ではまだ緊張癖があるようだわね。まあいい、日本でタイ料理と文化を広めてるように」モンディがそう言い終ると、席を立ち健一の元に行くと、タイ語でかかれた認定書とバッチを手渡した。
「そのバッチはシーダマン一門の直弟子の証。おまえもモンディ以下、ここにいるものをはじめとする直弟子の一員であると同時に、われらのファミリーでもある。だから、日本で何かあったら何でもモンディに相談するが良い」シーダマンがゆっくりとした口調で、しゃべり終わると、健一は慌てて立ち上がり「ありがとうございますといいながら、昨日に続いて涙が零れ落ちるのだった。