修行編 第72話 タイの源を見て日本へ その2(98)
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この後、2人で残りの遺跡を回るのであった。
吉野は一つ一つの遺跡を時間をかけて撮影していく。この間健一は、今後について一人で考えを巡らせているのだった。
一通り、遺跡を見終えた時には、夕方になりかけていた。
気が付けば健一は有意義な一日を過したという「満足感」に心が満ちるのであった。
吉野とピサヌロークに戻り、オーケン土山から聞いたお勧めの食堂へ、夕食を取ることにした。
川に浮かべられた大きな筏のようなレストランで、料理を食べていると、健一の頭の中では整理が付いていき、
“結論”が見えてきたように感じた。「タイ最初の王朝の遺跡は素晴らしかった。これで思い残すことはなくなった。
そろそろ泰男にも会いたくなったし」
「吉野さん、今決めました。僕、やっぱり日本に帰ります」
吉野は笑顔でうなづき、「東京なんですね。日本でもよろしくお願いします」と軽く頭を下げながら頭の中で考える。「彼の日本での活躍は非常に楽しみだ。これは、これから彼の記録をとり続けよう」
バンコクに戻った健一は、社長のウイチャイに日本に帰る事を告げるのだった。
ウイチャイは、残念そうな表情で、「うん、仕方が無い。わかった日本のカニタに話をしよう。原澤には私から伝えておく」
日本への帰国は、8月下旬。残り3週間ほどの滞在となった。健一は日本の母京子にその旨を連絡。泰男を再度引き取り東京に戻る事を伝えると、「わかったわ、泰男の転校の手続きとかはこっちでやっておくから、あっそれから東京の福井のおばさん。真理にも伝えておくから」と言ってくれた。
バンコク滞在の残り期間は、引継ぎや報告などの日々が続き、非常に忙しくなった。
料理学校を一緒に立ち上げた原澤由紀夫への引継ぎや、モンディ師へ日本への帰国の報告。
そして、健一にとって最も言いにくかったのは、”居酒屋 源次”の城山源次郎であった。
「源さん。僕は日本に帰ることになりました。
ごめんなさい。またしばらく来れなくなりますが、必ず戻ってきますので」
源次郎は、ゆっくりと静かに口を開く「そうか、仕方ないね。いつかこういう日が来るとは思っていたよ。俺のことは気にするな、それよりも健一君がタイでパワーアップした姿を日本で見せつけてやれよ」
年々お互い涙もろくなっているらしく、2人とも涙が止まらないのだった。
「あっ壮行会やろう。健一君の日本での活躍を祝して、みんなに声かけるよ」
健一の帰国が5日前に迫った日、サパーン料理学校の講師サパトラを通じて、モンディ師からの伝言を受け取るのだった。「帰国前日の午前10時に料理学校に来るように」とのことであった。「師匠やサパトラ先生には本当にお世話になったから最後にきっちりと挨拶をしなければ」健一の気持ちが引き締まった。
この頃になると、引継ぎも終わり、日本への引越しなどの手続きも大詰めを迎えたので、最後の挨拶に奔走しはじめた。
帰国2日前の午前中は、健一をチェンマイのターベチェンマイに導いてくれた青木貿易のバンコクの事務所へ。日々タイ国内を走り回っている。中堀幸治も事務所にいたので、お別れとお礼の挨拶をする。
中堀は、もはや毛の生えることもないと思われる頭部をゆっくりとさすりながら、「そうか、健一君いよいよ一人前やなあ。あんたが、ノンカーイで鍋屋やっておった時のことが思い出すなあ。日本の連中らに健一君の実力を見せなあかんで」と力強く見送ってくれた。
午後は、ターベチェンマイクッキングスクールへ。原澤夫妻をはじめ、先月まで一緒に仕事をしたスタッフたちに最後の挨拶。
拍手で見送られ、スタッフから花束。原澤登美子から水彩で書かれた絵を一枚頂いた。
絵はファランボーン(バンコク中央)駅。
健一は、この5年間この駅での数々の出来事を思い出すと、感極まってついに涙が出てしまうのだった。