修行編 第63話 息子と母 その5(89)
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夕方、母・京子と合流しホテルへ。2人はこの日の深夜便で日本に帰るので、ここで再び別れる事になった。
「健一、いつまでこの国にいるの?」「母さん、今僕はどんどん高い仕事を任されているので、当分日本には戻れないかも」健一の返答に対して不満そうな表情を見せる京子。「泰男はもう4年生。できれば中学に入学するまでに戻ってきて欲しいわね」
「うん、それはわかっているよ。でももう少し待って欲しいんだ」健一は、どうにか母を説得しようとする。
「じゃあ、もうそろそろ時間だから。泰男、お父さんとお別れよ」京子に促されるものの、泰男の表情は寂しそうであった。
「泰男、もうしばらく我慢してくれ。お前が中学に入学するまでには必ず戻ってくるから」そういって、
泰男の頭を撫でるのだった。
その日の夜、健一は一人で“居酒屋 源次”で飲む事にした。
「今頃、空港で出国の手続きをしている頃かなあ。2日間じゃ少ないなあ」「でも、良かったじゃない。4年ぶりの再会、立派になったところを見せることが出来たし、俺なんかもう親も子もいないから羨ましかったよ」
源次郎も、健一に付き合うつもりでいつもより早く飲み始める。
「ですよね。明日から頑張ろう。でも日本にいずれ帰らないといけないのか・・・それも寂しいなあ」
健一の想いは複雑であった。
京子と泰男が日本に無事帰国した次の日から、健一は今まで通り料理学校の責任者として日々の業務をこなしはじめた。
長期コースの方は、1年間に2回試験を実施することになっていた。
内容は筆記試験と実技試験で、悪い成績の者はもう一度基礎からやり直さなければならない制度を導入。
そのため生徒たちの熱心さは特別の物だったし、責任ある立場としての健一としても非常に神経を使うところでもあった。
10月、原澤由紀夫は、登美子と正式に結婚。
結婚式には、健一はもちろんの事、モンディ師やウイチャイ社長も招かれた。
ターベチェンマイのバンコクサイアム店を貸しきって行われたので、式の規模としてはどちらかと言えばこじんまりとしたものであった。
しかし、手作り感覚で調理スタッフが心をこめた料理の数々や店のメニューに無いケーキまで特別に作ったので、
原澤は感激のあまり途中から目が真っ赤になっていて、今にも泣き出しそうであった。
対照的に妻になる登美子は、堂々としていて、笑顔で出席者に愛想を振り撒いていた。
最後は、原澤のお礼の挨拶。
「私は・・・本当に幸せ者です・・ううう。
これからも、未熟者の2人をおお、支えてくださあ・あ・・い!」とどうにか言い切るとついに大泣き。
登美子が支える姿は、出席者に感動を与えるのには十分なものであった。
健一も、この光景に感動しながら、ふと自分の結婚式のことを思い出す。「あれから10年かあ・・・。短いような長いような。泰男も10歳になってこのバンコクにこの前やって来たんだなあ。俺は仕事ばかりでほとんど面倒を見る事ができず、千恵子、福井のおばさん、で母さんと・・・やっぱり早く日本に帰って泰男の面倒を見ないと。
でも今はこの原澤さんと一緒に料理学校を成功させないといけない。長期コースの一期生が全員無事に卒業するまで」
健一は、右手を握り締め自分自身に言い聞かせるのだった。