修行編 第59話 息子と母 その1(85)
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大畑健一は、師匠であるモンディ師の師匠で、タイ料理界の神とも言われているシーダマン大師と面会した日を境に、
大きな自信につながったため、仕事に対する気合の入り方が格段に上がった。
原澤相手に、次々と料理学校の運営について提案と意見を述べていった。
これは、もちろん社長ウイチャイの意向でもなんでもなく、健一自身の考えによるものであって、
むしろウイチャイが相手の時も報告を兼ねた提案を積極的に行うのだった。
一例を挙げると、健一は先日居酒屋源次で、天田がつぶやいていたことを思い出し、
「どうせなら、日本人のスタッフも入れて下さい。タイ人相手だけでなく、日本人の駐在員の奥様は暇なので、
きっと大勢来ると思いますし、お金も沢山持っているはずですよ」
原澤とウイチャイの双方に提案し、健一の熱意も伝わったのか、異を唱えられることは無かった。
健一と原澤の持っている様々なルートを通じ、タイ語が話せる日本人のスタッフを数名追加で入れてもらった。
料理学校開校までの3ヶ月間。健一は休みを返上し、忙しい日々が続いた。
生徒募集は既に行っていたが、日本人スタッフ常駐の文言も新たに追加したのをはじめ、料理のカリキュラム作りに、レシピ作り。
製本するのに1ヶ月かかるので、
スタッフ総出で夜遅くまでの作業となった。
教科書作りに目処が立つと、今度は教え方の指導。
この間、まさにかつて日本でタイ料理研究会(TFRA)で、メンバーにタイ料理を教えていた頃を思い出すのであった。
慌ただしかったものの、無事8月に、”ターベチェンマイクッキングスクール”という名前の料理学校が開校した。
コースは1年間かけてじっくり学ぶ本格的な「長期コース」と、旅行者や駐在員の奥様方が気軽に学べる「短期コース」の2種類。
前者の方はプロを目指す人達が基礎をここで学んでから、本人が希望すれば優秀者に限り、“ターベチェンマイ”の料理人として雇い入れるという方式を取った。
つまりある程度基礎を理解した者が入店するので、店内での指導の負担が軽くなるという仕組みでもあった。
健一は、主に長期コースの講師を担当。
講義の際には必ず助手が3人付くのだった。
長期コースには一期生15名が参加。
全員タイ人で、ほとんどがプロの料理人を目指す若者であった。また、短期コースの方は、原澤がメインの講師を担当し、タイ人の上流階級の娘さんの姿も見られたが、
むしろ日本人の旅行者や駐在員の奥様の受講も多く、健一の思惑通りであった。
長期・短期コースいずれも基本的に、受講生には、近くの市場やスーパーに買い出しに行かせてから、講師のデモンストレーション。
その後、実際に受講生に作ってもらうという手順を踏むのだった。
ただ長期コースの中には、座学だけの日もあり、タイ料理の歴史や調理道具の解説なども行った。
一連の流れは、健一のこれまでの経験が主であったが、事実上助手の立場になっていた原澤がそれを理解し、積極的に動いてくれたことも幸いした。
さらに、2人が認定証をもらったサパーン料理学校の講師サパトラが、その都度適切なアドバイスをしてくれたのも非常に大きいのであった。