修行編 第55話 神との対面 その3(81)
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翌週の火曜日、健一はモンディにカービングのことを質問した。
モンティはリラックスした表情で笑いながら、「ああ、あれも覚えたら簡単よ」と横にあった人参の切れ端を輪切りにしたかと思うと、小さなカービング用のナイフでものの1・2分もしないうちに、バラのような花びらを作ってしまった。
健一は、驚きの表情をしながら、「先生。今思いついたのですが、原澤さんの婚約者の登美子さんは芸術家で、絵画だけでなく彫刻も得意だとか。あの人にこれを教えたらすごい事になりそうな気がするのですが」
それを聞いたモンディは大笑い。「アッハハハハアッハ!大畑、面白いことを考えるわね」と言いながら健一の左肩を軽く叩くのだった。
それから1ヶ月。健一は、チェンマイからバンコクの店にやってきた、社長のウイチャイに呼ばれた。
「大畑、実はまた新しい仕事をして欲しいんだ」「社長、何でしょう?」
今まで、ウイチャイからはいろいろ命じられてきた健一なので、次の仕事に何が来ても驚かない覚悟は出来ていた。
「お前もよく知っている日本人の原澤という男がやっているカルチャーセンターと我がターベチェンマイと手を組むことになって、料理学校を8月に開校することになった」
「本当ですか!」健一は、原澤由紀夫がついに料理学校を始めることと、自分の働いている会社であるターベチェンマイが提携するという話を聞いて、不思議なくらい期待に胸を躍らせた。
「そこで、お前は我が方の人間として、来週からプロジェクトに参加して欲しい。お前は教えるのはうまいし、同じ日本人同士だからうまくいくだろう。
またこれは、モンディ師の意向でもあるんだ」
ウイチャイの言葉を聞いた健一は「是非とも頑張ります」と大声で答えるのだった。
次の日から、健一は原澤のいる“プラトゥーナムカルチャーサークル”へ向かうことになった。
「ターベチェンマイさんの出資で、ここから南の方角。2年くらい先にモノレールのようなものの駅が出来るあたりのビルの1フロアを料理学校として8月開講予定で準備を進めています」原澤の表情も以前に増して自信に満ち溢れているのだった。
2人は、タクシーで新しく開講する予定である料理学校へタクシーで向かった。
タクシーの中で原澤は、健一に小声で囁いた。
「大畑さん。モンディ先生に何か言いました?実は先生から登美子に『彫刻が出来るなら料理のカービングも出来るわね』と言って、カービングの本とナイフをわざわざ来られて渡してくれたんです。その日からというもの、登美子は時間さえあれば野菜の飾り切りに嵌ってしまって・・・」といいなら、いつものように折り目正しいスラックスのポケットから人参を花の形に細工してあるものを見せるのだった。
健一は、内心笑いながら「どうだったかなあ」とその場ではとぼけて見せるのだった。
「もう工事は9割完了。最新の厨房機器を取り揃えました」
まだ一度も使われていない、光り輝く厨房の数々を見ると思わず健一の右腕が疼いてしまう。「原澤さん。これはすごい!思わず私がこれを使って料理を作りたくなりましたよ。ところで、今後の予定はどうしましょうか?」
「今から、3ヶ月の間にテキストを作って、講師となるスタッフを指導します。あっそれからモンディ先生はここの名誉校長で、大畑さんは校長です」「校長!私が?」突然の役職を聞いて健一の表情が引きつった。
「そうです。これはウイチャイ社長の意向です。今回の料理学校はターベチェンマイさんが、全額出資していまして、私どものプラトゥーナムカルチャーサークルは、運営を任されたのです。ですので、変な言い方をすればターベ側から”監視役”として大畑さんが来られたことになっているようです。
「監視役・・・社長!いつも詳しい説明がないから・・・・」健一は思わず腕を組んで険しい表情になった。
この時健一の脳裏には、かつて日本でアジア食文化協会(AFCA)の和本得男と知り合い、タイ料理をみんなに教えていたときのことが浮かんだ。
「あっ、もちろん大畑さん監視されるとか、思っていないですよ」腕を組んだまま考え込む健一にあわててフォローをする原澤。
「私は、事務全般や本校の方の様子もたまに見ないといけませんので、大畑さんを頼りにしているんです」
「原澤さん、大丈夫。ちょっと昔のことを思い出しただけだから。一緒にこの料理学校を盛り上げて生きましょうね」笑顔に戻った健一は、原澤と固い握手を交わすのだった。