修行編 第54話 神との対面 その2(80)
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4月のある日、モンディに呼ばれた健一は、いつもと違って、表情が非常に堅く見える師匠の姿にやや緊張が走った。
「実は、次の土曜日に、政府主催の大掛かりな晩餐会があって、料理は私が取り仕切ることになった。お前もそこで手伝いをやって欲しい」
健一は、驚きの表情を隠せない。「私が、政府主催の晩餐会の料理の手伝いを?ですか」
「お前は、私の下で十分修行を積んだ。ここでもう一ランク上の仕事をやらせてみたい。当日は、わが一門のエース級の料理人が全国から勢ぞろいして、料理を作る。お前は、彼らのサポートとして、主に皿洗いなどの洗い場を担当してもらいたい。
もちろん単なる雑用をしてもらうのではない。横で他の料理人の作る料理をきっちり見ておくんだ。わかるな勉強だ。それからウイチャイ社長らには、話しを伝えてあるから安心しろ」
「は、はい勉強します」健一は、ただ礼を言いながら頭を下げるのだった。
当日の午前中。健一がモンディとともに指定された場所に向かうと、今まで巡回したどんな高級レストランとも違う、硬い空気が漂っていた。
大きな厨房にはモンディの高弟子やとモンディと兄弟分になるシーダマン大師の直弟子などがタイ全国から集結し、一人一人が独自のオーラを放っているように感じた。
その彼ら一人一人がモンディに対して頭を下げる。健一はモンディの存在の大きさをここでも見せ付けられるのであった。
モンディも彼らに健一のことを紹介し、健一はやや緊張しながら頭を下げていく。
その後、洗い場に向かい、指示があるまで待機した。
約30分後、モンディの合図で一斉に調理スタッフが動き出した。健一を含めて30人くらいは入るだろうか?
モンディの取り仕切る中、ひたすら野菜の皮を剥いている者や切っている者。鍋を振るう者など、それぞれが自分の与えられた仕事を確実にこなしていく。
健一の前にも、使用済みの調理道具が次々と運ばれ、次々と洗物をしていく。
最初の頃は、荒い物も少なく余裕があったので、エース級の料理人たちの手の動きなどを見る機会に恵まれた。
彼らが、あたかもロボットではないかと思うほど正確に、かつ恐るべきスピードで次々と出来上がっていく料理の数々にを見ると、「まだまだ勉強することが一杯あるなあ」と息を呑むのだった。
やがて、ピークの時間を迎えたのか、「こっちを手伝ってくれ」と指示をうけ、料理の盛り付け用の皿を用意。次々と完成した料理が盛り付けられ客席の方に運ばれる。
健一が特に魅了されたのは、細工された野菜”カービング”の存在。
専門の調理スタッフが、小さなナイフを片手に作り上げる野菜は、芸術作品を作るかのように野菜が次々と姿を変えていく。「これは、俺には出来ない技術だ」
健一は、思わず手を休めて見入ってしまったので、「そこ、何をしている!」と怒鳴られてしまった。
やがて、提供する料理と交代で食べ終わった食器が次々と運ばれてくると、いよいよ健一の待つ洗い場が戦場と化してきた。
次々と来る食器を淡々と洗い続ける健一。
「かつてのゴミ掃除ばかりやらされていた頃と比べればこんなものは楽勝」一人ごとを言いながらひたすら洗い物を続けていく。
ようやく、宴の席も終わったらしく、すべての洗い物を片付けた時には、夜の10時頃。最後は、料理を作り終えた料理人たちも洗い物を手伝ってくれたので、予定より早く終えることが出来るのだった。
「みなさん。お疲れさんです。それでは今から呼ぶ者は、賄い料理を作りなさい」
モンディの指示で健一を含めた5人は、洗い物など雑用中心のメンバー。
「みんな腹を空かせています。美味しい料理を作りなさい」
賄いと言っても決して手を抜けない。以前中途半端なパッタイを捨てられたこともあった。
それだけ厳しいモンディをはじめとする一門の精鋭部隊の前で、気合を込めて作ったのは、
”カオパッ(ト)”という焼き飯であった。
「さあ、食べましょう」モンディの合図で一斉に食べ始める。空腹感が強いとはいえ、どの料理も美味しく、雑用が中心のメンバーとはいえ、モンディから選抜されたメンバーの実力が伺える。「こんなメンバーの末席に入れてもらえただけでなく、みんなに食べていただけて、『美味しい』といわれて本当に良かった」健一の表情は明るさとともにやや感情的に涙が出そうになるのだった。