修行編 第49話 バンコクで待つ新たな修行の日々 その3(76)
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講師サパトラは、突如あることを思い出した。
「あっ校長。提案ですが、彼にも資格の証書を手渡したいのですが。
もはや技術的には試験を受ける必要も無く、ウイチャイ社長のところで一人前に頑張っていますけど、学校としては今日まで彼を休学扱いとして保留にしていました。
こうして、バンコクに戻ってきましたし、校長にチェンマイで料理指導も受けたので、初級の証書くらいは良いのでは?」
サパトラの提案に、モンディは首を横に振る。
「いや、それは必要ない。私がこの大畑をもう少し指導し、その成果が見られれば、私のほうから認定書を出す。彼は可能性がある、渡すなら初級ではない上級だ」
モンディの一言に、黙って頭を下げるサパトラ。
「大畑、聞いての通りだ、これから厳しく指導する。その結果をみて私が認定書を発行する」
こうして翌週から毎週火曜日に、(月曜日はもともとの健一の休み)健一はモンディ師の弟子として朝から一日中行動を共にする事になった。
火曜日の朝8時に、健一はサパーイ料理学校に向かい、モンディ師の到着を待ち、そのモンディ師に従い、一日行動を共にした。
運転手付の高級車の後部座席にモンディ師の横に座って移動。
高級車に載ったことの無い健一は、それだけで固くなるのだった。
ホテルや各レストランの顧問を多数担当しているモンディ師は、健一を伴ってバンコクのレストランを巡回。それに健一もつき従い、厨房の中に入っていった。
その時、モンディ師から思いもかけないことを言い渡された。
「大畑、ここで私の指定する料理を作りなさい。出来上がった料理をここの調理スタッフのみんなに賄の一部として食べてもらいます」
「あっはあ」突然の事に驚きの表情すら忘れてしまっていた健一に、モンディは全く気に留めず、「もし内容がよければ、ここのコースメニューに加える事も考えるぞ。とにかく私がこの場でチェックするからやりなさい」
と言い放って、健一にとりあえず“パッタイ”を作るように命じる。
緊張の状態のまま、健一は言われるままパッタイを作り始める。「うまくいけば、この店のコースに加えられるかもしれない。ようし!」と徐々に気合を入れながら、淡々と作る。
とりあえず完成したパッタイであったが、緊張が先行したのか、決して健一が納得できるものではなかった。だが、「マカナイだから」と思い、そのまま皿に盛り付けた。
モンディは、軽く見ただけで、「何?これは、犬の餌にもなら無いわね」と独り言のようにつぶやくと、そのまま横にあったゴミ箱に捨ててしまった。
その時のモンディの表情は、健一がチェンマイで一度も見たことの無いほど険しく、健一だけでなく、様子を見ていたここの調理スタッフも驚きと恐怖の表情を見せるほどであった。
「あなた、緊張して気負ったようね。ここが高級店と言うことを気にしすぎたかしら。意識しすぎね。あれじゃ、ここのマカナイのほうがよっぽど豪華な料理だわね。それがあなたの悪いところ。せっかくの味が台無しね」
モンディは、そう言うとすぐにこの店の料理人に指示を出し、賄を作らせる。
健一と違い、毎日この厨房で作っているだけあって、最初は緊張気味だった料理人の表情もどんどんリラックスしていくのがわかる。
完成したパッタイは誰の目から見ても健一の作ったものよりレベルの高さが伺えた。
モンディは、口元が和らぎ、「うーん、いいパッタイね。それでは食べましょう」との一言で、スタッフ全員が食べだした。
健一も食べるものの、ショックで余り喉に入らない「確かに美味い。美味いだけでなく盛り付けもきれいに見える。バンコクの実力なのだろうか?」
帰り際、健一はモンディに、自らの実力の無さを謝罪した。
モンディは、相変わらず目は厳しいものの、口元は緩み、「謝る必要は無いわ。あなたにはこれからいろいろな店で賄いを作ってもらうわ。場馴れが必要ね」と軽く言うのだった。
翌週以降も、モンディにつれられて様々な高級ホテルなどのレストランに同行する健一。
同じように賄いを作るよう指示を受けるが、中々OKをもらう事ができず、作った料理をすぐに捨てられてばかりであった。
それでも、ようやく慣れてきたのかモンディから初めてOKを頂く事が出来るまで、
1ヶ月ほど掛かった。
それで自信が付いたのか?もしくは場馴れが進んだのか?
健一は、初めてのところでも緊張する事が無くなり、
どんな格式の高いレストランでも健一本来の実力を出せるようになるのだった。
こうして、健一に対するモンディの評価も自然と高まっていくのだった。