修行編 第34話 本格修行開始 その6(61)
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健一が、午後中堀に連れられて向かったレストランは、旧市街の中にあった。
レストランというより、食堂という方が近い、やや大衆的なこのお店。”ターベチェンマイ”は、お揃いのエプロンを着ている多くの店員さんが、せっせと働いていているのだった。
中堀が先に中に入って店員さんの一人に話をすると、しばらくして社長らしき人が出てきた。
中堀はタイ語で「サワディクラップ(こんにちは)こちらが、この前話をした日本人の大畑健一です」
その後健一に対して、「大畑君、彼がこの店の社長のウィチャイさんだ」と中堀がお互いを紹介する。
「サワディクラップ。大畑健一です。よろしくお願いします」健一がタイ語で挨拶をすると、ウィチャイも「大畑、タイ語は大丈夫のようだな。ところで料理はどのくらいできるんだ」と早速質問。
健一は今までの料理の経験を話すと、ウィチャイは、「おー素晴らしい。じゃあ早速明日からきてくれ。ヨロシク」と、最後は日本語で握手を求めてきた。
健一は握手をしながら「よろしくお願いします。コープンクラップ(ありがとうございます)」と答えるのだった。
中堀は2人のやり取りを横で見ながら「いや、これでわいも一安心や。がんばってや大畑君」「いえ、僕のほうこそ中堀さんに大変お世話になりました。本当にタイのレストランで働けるとは思いませんでしたので」と健一は、うれしそうに頭を下げる。
「わいは、もうしばらくチェンマイにおるし、なにかあったら、いつでも青木貿易の事務所に声かけてな」「はい」と健一の相槌。
「それから、1つ言っておくわ。料理作る人は2種類おって、調理人と料理人がおるんや。前者はレシピ通りに調理を作る人。
料理人は自分で考えて、新しいレシピを作れる人のことや。大畑君はまだ調理人かも知れへんけど、ぜひ料理人めざしいや」
そう言いながら中堀も笑顔が絶えなかった。
こうしてチェンマイの食堂”ターベチェンマイ”で健一の新しい人生のスタートを切ることになった。
中堀の説明のとおり、表向きの理由は青木貿易から日本料理人としての派遣と言う位置づけであったが、実質的にはターベチェンマイの従業員としての扱いであった。
したがって、命令系統は全てターベチェンマイから出されるので、立場としては日本料理を作るのがメインではあるものの、忙しい時にはタイ料理のほうの応援をすることになっていた。
ただ、健一がかつてバンコクのサイアムプラスで受けた仕打ちのようなことに万一でもなった場合のことを想定し、その場合は健一が青木貿易にその旨を訴えれば、青木貿易からクレームが行き、最悪健一を引き上げるという契約を取り付けてあった。
そう言う意味でも健一は安心して働くことが出来るのだった。
給与も青木貿易から出るので、若干の天引きはあると想像されるが、健一にとっては金額より、希望の仕事に少しでも近づけることのほうが遥かに嬉しかったのだった。
社長のウィチャイに、住むところも手配してもらう事になったので、中堀の住居である“団地”からそこへ引越した。
また、この日までお世話になった、屋台のディナには、夕方に改めて向かい厚くお礼をいいながら、「またごはんを食べに行きます」と丁寧に挨拶するのは忘れなかった。
ディナは、ただ口元を緩めながら黙って何度もうなづくのだった。
夜、日本料理店での研修最終日として武士王に向かう健一。
店主の大塚信長には、既に中堀から話が伝わってあったので、健一が中に入ると大塚も嬉しそうに、「良かったなあ。夢かなって」といきなり激励の言葉をかけてくれた。