修行編 第29話 本格修行開始 その1(56)
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大畑健一が、チェンマイに来てから日本料理店“武士王”での研修をしているのと同時に、
市場の麺屋台をしているディナのお手伝いのほうも始まっていた。
こちらの仕事は、毎週火曜日と土曜日であった。
屋台で出している麺料理は、バンコクの屋台にもよく見かける非常にオーソドックスな物(クイッティオという米の平麺の汁麺)で、ディナの指図どおりに麺をさばいたり、スープを器に入れたり、近くの会社などに、配達も頻繁に行った。
短時間とはいえ、非常に疲れる作業であったが、バンコクでゴミ収集ばかりやらされていたのが幸いしたのか、健一にとってはそれ程苦ではなかった。
2つの店で働きながらも、毎週日曜日が休みだったので、健一はチェンマイの旧市街や、
ちょっと郊外にあるドイステープ山等の観光も楽しむのだった。
健一が、チェンマイに来て2週間後、約束どおり大林信太郎が、健一の屋台に現れた。
「ああ、大林さん!」「大畑さん。再びチェンマイに戻ってきました。約束どおり食べに来ました」大林が麺を注文すると健一は、手際よくあっという間にタイの汁麺を作り上げる。
「うん、うまい!いや大畑さん、やっぱり美味しいです」嬉しそうに大林は、あっという間に麺を平らげる。
「いや、この味は僕じゃなくて、こちらのディナおばさんの味ですよ」と言いながら、
横にいたディナにタイ語で『こちらのお客さんがが美味しいと、感動している』旨を伝えると、ディナも嬉しそうな笑顔になるのだった。
「でも、大畑さん。レストランで働くのは無理なんですか?」大林の何気ない質問に、やや表情が暗くなる健一。
「ああ、そうね。この国では外国人を雇うようなレストランは無いみたいなんです。
実は、バンコクにいた時に“サパーン”という料理学校で勉強していたんですけど、そこでも騙されたみたいだし...。
このチェンマイの日本人会の方々も探してくださっているようなのですが、2週間たっても音沙汰無いということは、無理なんでしょうね。
代わりに”武士王”と言うお店で日本料理の研修なんか受けさせられて・・・。
それでもこういう屋台は別のようで、非常に可能性があるような気がします。
どこの町でもお世話になって、ここではディナおばさんによくしてもらっています」
静かに真剣に答える健一。
「大畑さん、もったいないですよ。フレンチや中華の日本人シェフがいるのに、タイ料理だけ日本人のシェフが出来ないなんて、
それに、こんな事言っては失礼だと思いますが、屋台って・・・。
同じことの繰り返しであるラーメン屋みたいなことをしているようで、本当にいいんですか?」食い下がる大林。
「いや、大林さん。多分これは、タイの階級社会とかも影響しているような気がします。
庶民階級とも言える屋台なら可能性があっても、中級以上のレストランとなると、やはりそれなりの階級が無いと無理なのかも。
ましてや外国人に過ぎない日本人には、ビザの問題をちらつかせて明らかに排除しているように感じました。
こればかりは、国の文化の問題ですからね。でもご安心を、僕は屋台で頑張ります」
と言いながらも、理想とは違う屋台しか関われない現実を“無念”と思いながらも黙って受け入れなければならないと、
自分自信に言い聞かせるように、笑顔で大林に言うのだった。
大林は、健一の言いたい事を理解しながらも、なおも納得できないのか、しつこく食い下がる。
「うーん、でも何となくもったいないですね。例えばこうしたらどうですか?こっそり横で見て技を盗むというのは?」
「ええっ!!」健一は、大林が突然自分のために提案をしてきたことに、思わず耳の穴が広がっていく感覚にとらわれるのだった。






