修行編 第24話 いざ、チェンマイへ その2(51)
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健一がようやく決心を固めたその日の夜、久しぶりに夢を見た。
健一の目の前に千恵子が笑顔で手を振っている。
「ああ千恵子、待っていたよ。やっと出てきたね」
嬉しそうに声をかける健一であったが、千恵子は返事をせず、ただ笑いながら黒髪をなびかせ、左手である方向を指差す。
健一がその方向を見ると、その方向に吸い寄せられていくような気がして、何か希望の光のようなものが見える。
「わかったよ、やはりチェンマイ目指せという事だな」と言った瞬間に、目が覚めるのだった。この日は中堀と会ってから6日目の朝。
完全に健一は決断した。
「もう間違いない。チェンマイに行くぞ!
でも、千恵子も人が悪いなあ。悩んでいる時には全く来なくて、ほぼ結論を決めていた頃にやっと出て来るなんて!ん?人じゃないな」そうつぶやきながら一人笑う健一であった。
まず田中一郎に話をした。
田中の反応はあまりにもあっさりしていた。「大畑さん、それは当然行くべきです。
チェンマイで料理の修業を頑張ってください。もし、ムーガタ鍋のお店の人に言いにくいのでしたら一緒に話をしにいきましょうか?」
健一は、静かに頭を下げ、「田中さん。本当にお世話になりました。お店の人には僕がちゃんと話をしますのでご心配なく」
田中は心配そうな表情で、「もし何かトラブル
になりそうだった遠慮なく呼んでね」
健一は、いつもの出勤時間より少し早い目にお店に行き、責任者に事情を説明した。
話の間、少し驚きの表情を見せつつも、
「ああ、そうなんだ。仕方が無い。残念だけどね」
とあっさり理解してくれたのだった。
こうして、健一はノンカーイからチェンマイに向けて旅発つことになった。
それは決断の日から4日後のことであった。
出発の朝、健一はお店から頂いた給与の一部を、ノンカーイのバスターミナルまで送ってくれた田中に渡した。
「お世話になりました。これは、今まで泊めていただいた家賃とお礼の気持ちです」田中は、非常に驚いた顔つきで、
「ちょっと待ってくれ、こんなには頂けない。これは多いよ大畑さん」と田中は受け取るのを必死に拒否しようとするが、健一はそれをさらに押し返し、
「いいえ、大丈夫です。
田中さんはずーとノンカーイにいらっしゃる。僕は今からチェンマイ。そしていずれ日本に帰るでしょう。
これは、この数ヶ月羽を休ませてくださったお礼です。受け取って下さい」そういうと、健一は、そのままチェンマイ行きのバスに飛び乗るのだった。
バスの座席に座り、恐縮そうに頭を下げる田中に手を振る健一。
やがてバスは、ノンカーイのバスターミナルをゆっくりと出発。
すると、隣の席に、出発ぎりぎりになって、乗り込んできた男が、汗をかきながらやってきた。
「へぇ、へぇ、どうにか間に合った」
健一が、日本語をしゃべるその坊主頭の男を見ると「あっあなたは!この前のラオスに行った方では」と思わず大声を出してしまった。
「ええっ。あ!鍋の店の人??」相手もまさか隣の席に健一が座っているとは思っておらず、健一以上に大声を挙げたため、他のタイ人の乗客の注目を浴びてしまうのだった。
「いや、こんなところでご一緒になるとは、何かのご縁ですね」坊主頭の男が、その頭をゆっくりと撫でながら挨拶をする。
「そうですね。ラオスから戻ってこられたんですか?」健一が何気なく質問をぶつけると、
「いや、そうなんです。あの国は本当に良かった。何が良いかって一言では言い表せないですね。本当に心のオアシスでしたよ」
男は、バスにギリギリに間に合った安堵感に加えて、久しぶり日本語が通じる相手だと言う事がよほど嬉しかったのか、しゃべりだしたら止まらない。
「すみません。私は大林信太郎と申しまして、ある団体の職員として事務の仕事をしていたんです。10年位前までの会長さんのころまでは良かったんですが、その方が亡くなられて新しく来た会長が、財界の大物だったんですけど、これが私利私欲の塊のような奴でして、団体の会議やイベントと言った催しを全て、自分の経営するホテルを使うんですよ。まあ、団体を利用して、自分の会社も潤うというやつでしょうね」
大林の話をただ、うなずきながら静かに聞く健一。
「で、昨年の夏、ある議員への献金が賄賂性があるとかで、逮捕されまして、そのまま会長を辞職しました。ちなみに議員側のほうは秘書が逮捕されたらしいですが。
これで、一安心と思えば、次の会長職の座を狙って派閥が出来てしまって、もう上のほうの利権が、嫌と言うほど絡んで、私も限界が来て、今年の3月一杯で退職しました。
で、今まで仕事一筋で来てたものですから、気晴らしに長期の旅にでも出ようと思いまして」
「で、なんでタイなんですか?」ようやく健一が口を挟んだ。