修行編 第19話 地方に放浪 その3(46)
3
田中の問いに健一は、バンコクに着いてからのいきさつを話すと、田中はうなずきながら
「なるほどね・・・。でもタイの人は全員そんな人たちじゃないことだけは、言っておきますよ」「それは、わかっています。
連中らも日本のバカ息子も特別だということは。ただあまりにも悔しくて気晴らしに、バンコクを離れたかっただけなんです」
健一は怒りと悲しみが交じり合いながら、愚痴をこぼした。
田中は「まあまあ」と慰めをしつつ、「もし今夜時間があれば、この地方の名物鍋を食べに行きませんか?」「あっぜひお願いします」
健一は途端にうれしそうな顔になるのだった。
夜、健一は田中に連れられ、メコン川沿いの屋外で、ステンレスのテーブルとプラスティックの椅子が並べられているだけの店に行った。田中は店の人とは親しく、笑顔での挨拶の後、席に座って鍋を注文した。
健一はタイの鍋と言えば「タイスキ」という、日本の寄せ鍋に似た鍋しか知らなかったので、どんな鍋か気になって仕方がなかった。
やがて、炭火のコンロと野菜や肉、魚介類が置かれ、しばらくしてから鍋も持ってきた。
鍋を見ると、帽子のように中央に行くほど盛り上がっていて、いちばん外側の低い部分にはスープが張ってあった。「これはムーガタと言う鍋で、面白いのは上の方は焼肉、下の方は鍋として2重に楽しめるんですよ」
健一はタイのことを知っているようで、実は未知の世界がまだまだたくさんある事に、
少し感動するのだった。
ムーガタ鍋を突つきながら二人の会話が弾んでいく。
「田中さんはどうしてここにいるのですか?」健一の問いに田中は鍋のスープを飲みながら、「日本ではいろいろあって、アジア各地を旅し続けて、この地に着いた時に、何か、ピピッとくるモノがあったんだ。
それから気が付けば、もう5年くらいですかね。
毎日このメコンの大河を見ていると何か心が落ち着くんでね」
田中は黙々と語った。
「ふ〜ん。僕は今日来たばかりですが、今から特に行く宛てもないので、しばらくここにいたくなりました」それを聞いた田中は嬉しそうな表情で、
「そう!それは嬉しいね。日本語をしゃべる相手が普段中々いないので、大畑さんがしばらくいてくれるだけで、毎日が楽しくなりそうです」
健一は笑いながら手で否定の合図を送る。「いやいや僕はそんな面白い人間じゃないですよ。それよりも田中さんに折り入って相談が」
「私で出来る事なら何なりと」田中はプラスティックの椅子を座り直して健一の要望を聞く。
「実は僕の夢は、タイ料理店をもう一度開きたいと言う事です。バンコクに1年いてわかった事ですが、どうやら外国人はちゃんとしたレストランの厨房は入れなさそうです。
しかし、屋台とかなら可能性があることがわかりました。実際に市場の屋台で手伝ってましたから。
さらに、今夜バンコクの物とは違う料理を知る事が出来ました。
もしこのノンカーイのどこかの屋台とか大衆食堂で外国人でもいいから人を探しているようなところがあれば、しばらくそこで修行できないかと」
しかし、田中は渋い顔に。「うーん、どうだろうね。外国人、それも日本人を雇うような店とかあるかなあ」
「いや、別にお金目的ではないですし、食べ物と寝泊まりできるところさえあれば、それで構いません。
何しろ先日までは、バンコクのレストランでゴミの収集ばかりやらされていましたら、忍耐力と下半身は鍛えられました。
多分挫折せずに頑張れると思います」
そう言いながら健一は田中に向かって頭を何度も下げた。
「そうか、じゃあダメ元でこの店の人に聞いてみよう」というと田中は立ち上がり、
店の厨房へ。
店の人と少し会話をすると健一のところに一緒にやってきた。
「大畑さんは、タイ語は出来ます?」田中の問いに健一は「ええ、方言じゃなければ大丈夫です」「それじゃ、この店の人に聞いたところ、先週辞めた人がいて、丁度人手が欲しいという事らしいので、ここで良ければと言ってくれてますよ」