修行編 第16話 逆境への挑戦むなしく その6(43)
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この夜、健一は久しぶりに千恵子が登場する夢を見た。
大きな川のやや真ん中あたりで、一人水浴びを楽しむ千恵子。
健一はただひたすらその様子を見守っていた。
だが、周りの風景を見ると、ビルなどない、田舎で明らかにバンコクとは違うところであった。
「ここは、チャオプラヤー川の上流かなあ。どこかの田舎なんだろうな。
井本の言っていたチェンマイだろうか?
それにしても川幅が広いな。
意外に下流で海の近くかも? いずれにせよこれは、落ち着いたら旅に出なさいという千恵子のメッセージなんだな。よし試験に合格したら少し旅に出よう」
そう確信した健一は、水浴びをしている千恵子に向かって大声で叫んだ。『千恵子!今度は、そこに旅に行くよ。それまで、あと1ヶ月頑張るよ!』
その瞬間、自分の大声で目を覚ますのだった。
「あれ?源さんのところで飲んでからの記憶が無い?でもちゃんと帰れたんだな。
ああ、ちょっと頭が痛い。
やっぱり飲みすぎたなあ。時計を見ると確かにいつもより早い目覚めだけど、サイアムプラスに行く前に、酔い覚ましに、ちょっと早く出て散歩でもしようか」
いつもより、2時間近く出発した健一は、久しぶりにチャイナタウンの方角に向かった。
朝食ということで、屋台の中華粥を食べた後、
いつものチャオプラヤー川のほとりに向かった。
「昨日の夢は、この川の上流か?下流か??
でも、このまま旅に出たくなってきたなあ。
いいや、そうは行かない。源さん、サパトラ先生、スワンディさんに申し訳ないからなあ」
健一はしばらく川を見つめた後、引き上げようとすると、空手衣に身を包んだ本松親子が向かってきた。
「お!大畑健一君か、久しぶりだなあ。どうした?朝から元気ないぞ!」
父親の友和が大きな声を上げた。
「あっいえ、久しぶりに早起きしたもんで、まだ眠いんです。でも本松さんはいつも元気ですね」あえて小さめの声で答える健一。
「当たり前だ!武道家が元気をなくしてどうする!
それに、来週から武者修行が待っているからなあ」
「え?武者修行??」「大畑さん、父に代わって説明します」子の本松和武が説明する。
「バンコクのムエタイのジムでのトレーニングも順調で、そろそろもう一ランク上のトレーニングをしようと言うことになったんです。
そこで許可を貰って、タイ全土にある、
ムエタイのジムにお邪魔して、トレーニングを積むのです。
北部や南部では恐らくバンコクとはトレーニング方法も若干違うでしょうし、
地元の勇猛な選手の方との練習とはいえ、戦う事でますます強くなって戻るつもりです。
『オー』」
和武の、説明の後の突然の雄たけびとも言える気合に、思わず口元が緩む健一。
「いや、最初あんなに子供だった和武君が、会うたびに強く逞しくなっていくのを見ると、
僕も部外者ながら嬉しく感じます。ご健闘を」
そういって健一が2人に一礼して歩き出すと、後ろから、
いつものように気合の入った掛け声が鳴り響くのだった。
「いいなあ、本松親子。何か俺まで元気を貰えたよ。よし、つらいけど今日も頑張るぞ!」
急に元気を取り戻し、足取りが心なしか軽くなる健一であった。
だが、この日いつものようにサイアムプラスに出社した健一は、千恵子の急死以来ともいえる衝撃の事実を知ってしまうのだった。