叱責と脅しと疑問
翌週月曜日の放課後。
ショートホームルームを終えた足で、僕は大原さんの所属する一年一組の教室に足を運んだ。まだこの教室もショートホームルームが終わったばかりだったからか、教室内は騒がしかった。
「どうも」
そんな教室内に僕は乱入した。顔には取ってつけたような愛想笑いを貼り付けて、大原さんを含む女子グループに声をかけた。
「あ、書記先輩じゃん」
何故だか気安い口調で、グループの一人が僕に声をかけてきた。
え、誰この人。
そう思って、思い出した。そういえばこのクラス、新入生オリエンテーションで身だしなみ確認を担当したクラスだな。その時白石さんの独白に巻き込まれたような記憶が。
遠くで見知った顔の坊主頭が陰鬱な瞳でこちらを見ていたことから、ようやく思い出せた。
「何々、女漁り?」
「そんな真似するか」
何で皆、第一印象で僕をプレイボーイ認定するの? 鈴木君、君そんな遊び人な顔つきしているのかい。
「そうだよね。白石会長がいるもんね」
そして、下衆な目線を送ってくれた。うわあ、うざい。
「それはもういいじゃないか。それよりさ、これから時間あるかい。このクラスのことで聞きたいことがあって、これから生徒会室に来て欲しいんだ」
少しだけ気安い感じでお願いすると、女子達は仕方ないなあといった感じで着いてきた。
大原さんの顔を覗いた。彼女は少しだけ戸惑っている風に見えた。今日の昼休みに作戦を伝えて、実施の了承をもらっていたが、そういえば今日やるとは言ってなかったな。
後ろで喧しい女子達を率いて、生徒会室に入った。
そこでは白石さんが準備を済ませてくれていた。
「こんにちは。早速だけど座って」
白石さんの促す席に女子達は座った。大原さんも戸惑い気味に椅子に腰掛けたのだった。
ホワイトボードの隣に、皆の注目を集められるように僕は立った。
「忙しいところごめんね。早速はじめようか」
貼り付けた笑顔を崩さず、僕は続けた。
「先週の火曜日。朝抜き打ちの持ち物検査をさせてもらったこと覚えているかい」
「ああ、あったね」
「ねー」
僕の質問に、軽薄そうな女子達が頷きあっていた。
「実はあれ、今度教師陣が直々に一年に対して持ち物検査とか身だしなみ検査をするから 先んじて生徒会でも実施させてもらったんだよ」
「えぇ、それじゃ身だしなみ整えなきゃ」
とか心配しだす後輩女子達にわざとらしい咳払いをして、僕は続けた。
「で、だ。生徒会としてどうしてそんな行動に出たかわかるかい? 生徒会の立場としては、教師陣の検査の場で君達の乱れた服装とかを見せたくない意向があるわけなんだよ。
日頃から君達の持ち物検査を実施するのは、教師でなく僕達の仕事なわけだろう? それなのに、いざ教師達が見てみたら、あれは駄目これは駄目とすぐに指摘が入ったのでは、おい、普段生徒会は何をしているんだ、と大目玉を食うわけだ」
なるほど、と答えたり頷く女子達を無視して、僕はどんどん言いたいことを言っていった。
「だから先日、教師よりも先に君達の生活態度を改める場を設ける意図で持ち物検査を行ったんだ。僕達が大目玉を食わないようにね。
……ただ、そこである物を見つけちゃってさ。こうして声をかけたわけだ」
僕はスマホを操作して、先日撮った大原さんの教科書の画像を彼女達に見せた。
途端、大原さん含む女子達の顔が強張った。
「大原さん、あの時君はこれが何かを結局何も話してくれなかったから、君のグループの子達にも聞いてみようと思う。
これは、なんだい?」
あくまで大原さんは黙秘を貫いたことを強調した上で、僕は女子達に尋ねた。
女子達は、俯いたまま何も言うことはなかった。
「いじめだろ」
そう僕が言うと、途端女子達の体が跳ねた。分かりやすいことこの上ない。
自らの犯した過ちを悔いていると言いたげに、女子達は落ち込んだ顔で俯いていた。
「一つ、勘違いをしないでくれ」
僕は極めて冷たい声で続けた。
「僕は君達がいじめをしていようがどうでもいいんだよ。ただし、この件が教師連中にバレれば僕達生徒会の評価まで下がる」
なぜか。それはスマホの画面に映る教科書を見れば明白だった。
「こんなものを見つけて放置していたと知れたら、僕達の評価が下がるのは当然だろう。だからこうして君達をここに呼びつけた。そして、言わせてもらう。
今すぐそんな下らない真似はやめろ」
吐き捨てるように、そう言った。
これが僕の作戦だった。
あくまで大原さんはいじめの告発をしようとしていた意思はなく、不慮の事故で事件が発覚。それでいてかの女子グループのヘイトは、全てを知った上で横暴な物言いをする僕へ。
そういう構図を、そしてその上で僕に対して、彼女達が報復など起こせないような状況作りをしたかった。
それにしても、生徒会の立場でいじめを確認したのなら、普通自らで解決しようとせず教師に報告とかが筋だよな。わざわざこうして僕達が彼女らを呼びつけて叱るのは普通じゃない。それ以外にも多数の穴が存在している。
全ては大原さんを助けるという目的があった上での行動だとこの状況を客観視出来れば気付けそうなものだった。
しかし、先までの前振りとこうして横暴な僕が一喝する構図を作れたからか、その不審な点に気付く後輩女子は誰もいなかった。彼女達がこのいじめの一件で、当事者という立場なのも相まっての結果なのかもしれない。
しばらくして、数名の女子が反抗的な視線を僕に寄越しだした。僕に対するヘイト作りの構図は効果を成したらしい。
後は、彼女達が歯向かうことが出来なくなる。かつ、いじめを再発しなくなる状況を作るだけ。
「当分、生徒会は君達を監視させてもらうよ。ちゃんと仲良く学校生活を送れているか、またいじめだなんて低俗な遊びに興じていないか、確認させてもらう」
勿論そんなことはしない。そういう目があるかもしれない。そう思わせられるだけで、ある程度の効果は見込める。
「そして、もしまたいじめが遭ったとわかったら、この画像を使わせてもらう」
一人の女子が、鼻で笑ったのが見えた。多分、僕がこの画像を教師連中に売る。そんな構図を想像したのだろう。
その程度であれば、まだ多少の言い訳をすることは可能。そう思ったのだろう。
どうやらこの少女が今回のいじめの主犯格のようだ。
「この画像を、色んなSNSや掲示板にアップしようと思う。君達の実名付きでね」
しかし僕がそう言うと、途端に少女の顔が青ざめた。
「デジタルタトゥーって知っているかい。今は昔に比べて随分と情報発信が簡単になった。そんなネットにこんな画像をアップしたら、どうなると思う?」
それが彼女達が僕に歯向かえなくする切り札だった。この画像をネットに、いじめの加害者の実名まで書いて挙げたらどうなるか。簡単だ
所謂私刑というやつが、彼女達を襲うだろう。
そして、今後はいじめの加害者、というレッテルが一生彼女達に付きまとう。それを恐れず僕に仇なして、そして再びいじめをしようだなんて、普通の人ならば思うまい。
これがトドメとなったのか、それ以降少女達は反抗的な態度すらすることはなかった。
日が暮れ始めた頃、僕達は件のグループ全員を二度といじめをしないと誓わせた上で帰したのだった。
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「ごめんなさいね。またあなたに嫌な役目を担ってもらってしまった」
電車に揺られながらつり革を掴んでいると、隣にいた白石さんがシュンとした顔で謝罪してきた。
「何を言う。元々僕がこういう風な形で進めたいとしたんじゃないか」
「でも……」
「それに……君の言う通り、恐らくあの場に君がいたことで、僕だけでなく君にもヘイトは向かっていると思うよ」
実は昨日喫茶店で彼女に今回の作戦を打ち明けた時は、僕だけにヘイトが向くような言い回しをするつもりで、かつ彼女にはその場に参加しないことを要求したのだが、『それだとあなただけが割りを食うじゃない』と言う彼女の言い分で、ほぼ無理やり彼女もあの場に参加することになったのだった。
あの場で僕は、いじめが発覚した際に評価が下るのは生徒会、という言い方をした。これは元々は僕の評価がとするつもりだったのだが、白石さんの健気な説得の末にこの形となった。
それにしても白石さん、わざわざ事前にどんな内容で彼女らに話をするのか、実演してみろだなんて言うだなんて。それで話してみたらああだこうだと指摘頂いて、概要は目論見通りだったが、ヘイトが向くのが生徒会一同となってしまった。
これじゃあ何も知らない副会長がまたストレスを抱えてしまう。可哀想に。
まあ僕の当初の目論見とは多少違ったが、結果が得られれば問題なし、だな。
「……大原さんには悪いことをしたわね」
僕の説得の甲斐もあって、白石さんも僕の件は内心で決着をつけられたのだろう。今度は彼女、大原さんの心配をし始めた。
彼女にした悪いこと。
言葉足らずであったが、考えられることとしては。
「告発の場で、わざわざいじめの加害者と一緒に叱ることになったしね」
彼女は黙秘を貫いたという設定だったので、加害者と一緒に彼女も叱った体になっている。だからこそ、白石さんは大原さんの身を案じたのだろう。
「でも、大原さんは僕達の意図を事前に聞いて理解した上であの場にいたわけだし、何より蓋を開ければ被害者だし、問題ないんじゃないかな」
「そうね」
少しだけ憂いを感じる顔で、白石さんはそう呟いた。
「優しいね、君は」
そんな白石さんを見ていたら、思わずそう言っていた。元々は見知った人でもなかった大原さんに、今回彼女は何度慰めの言葉をかけたことか。
何度、身を案じたことか。
大原さんだって、多分白石さんの行いで何度も心を救われただろう。
それくらい白石さんは、大原さんに献身的に接し続けた。彼女になんら利益があるわけでもないのに。大原さんに対して、何度も何度も心の支えになったのだ。
僕も、いつかそうだった。
いつか僕も、彼女の心の奥にある聖母のような優しさに触れた。
いつもは食えない性格をしているのに。
いつかはツンツンしていたのに。
彼女のその優しさに触れてしまい、恋心を抱いたのだ。
今、また思った。何度も何度も、これまでも何度も思ったことだったが、こうして彼女の優しさに触れる度、何度だって僕はそう思った。
「君と恋人になれて、良かったよ」
「あ、そう」
珍しく頬を染めた白石さんは、恥ずかしそうに俯いていた。どうかしたのだろうか?
しばらくして気を取り直すと、白石さんは少しだけ不満そうに僕の顔を見上げるのだった。
「あなただって、そうじゃない」
彼女は言った。
「何が?」
「大原さんの自殺を食い止めたり、彼女のために恨み役を買ってでもいじめを止めさせてみたり」
ああ、そういうことね。
思わず苦笑しそうになった僕だったが、白石さんの態度が少しおかしかった。いつもなら、そろそろスケコマシだなんだとお言葉を頂戴する頃なのに、彼女は俯いたきり何も言わなかった。
彼女の様子を不審にも思ったが、話の腰を折るのも癪なので車窓からの風景をぼんやりと眺めていた。
「ああいう子がタイプ、なの?」
「へ?」
ようやく語った彼女の言葉に、僕は思わず素っ頓狂な声を上げていた。
「だ、だから……大原さんみたいな子が、タイプなの?」
「な、何でそういう話になるの?」
「だって、あなた今回おかしかったじゃない。確かに深刻な内容だったけど、思いついたら置いてけぼりにして即行動を起こすし、曖昧な態度の大原さんに言葉を荒げてみたり。
あれって、タイプなあの子を何としても救いたいから強引に事を進めたんでしょう?」
「ち、違うわ!」
彼女、大原さんを慰める裏で僕にそんなことを思っていたのか。
確かに、非常階段で彼女を呼びつけた後、抜き打ちの持ち物検査を思いついたら彼女を置いてけぼりにして行動も起こしたし、曖昧な態度の大原さんに言葉を荒げたこともあったにはあったが、それは好みがどうので起こしたわけでは決してない。
「じゃあ、どうして?」
白石さんは聞いていた。
「どうしてって……」
どうしてって、そりゃあ。
……大原さんと鈴木君が重なったから。
いつか僕は思った。真奈美さんの運転する車の中で。
鈴木君の人となりを知って、思ったんだ。
どうして彼を救えなかったのかと、思ったんだ。後悔したんだ。
もし僕があの時、鈴木君を助けられていたら、鈴木君と友達になれたのではないか。心の支えになり、自殺を食い止められたのではないか。
そう、思ったんだ。
だから、鈴木君と同じように目の前で命を投げ売ろうとする彼女を見て、いてもたってもいられなくなったんだ。
同じ後悔を繰り返したくなかったから。
白石さんは僕の言葉を待っていた。切実な瞳で、待っていた。
でも僕は言えなかった。彼女には隠し事はしないと言ったのに、言えなかった。
僕は僕が元々鈴木君ではなかったことを、未だに彼女には言っていなかった。
僕は鈴木高広になると決心したから。
だから、もう僕は鈴木高広だから、言う必要はないと思っていたんだ。
「僕もいつか、自殺しようとしたことがあっただろう」
でも違った。
僕は多分、心のどこかで恐れていたんだ。
彼女に僕の全てを打ち明けることを。それにより彼女に嫌われるかもしれないことを。
恐れていたんだ。
だから、こうしてまた嘘を並べたんだ。
「あの時は君に色々と助けてもらった。だけど、そういう過去があったからさ。同じく死のうとした彼女に対していてもたってもいられなかった」
僕は静かに嘘を語った。
「そう」
しばらくして、白石さんは呟いた。
まもなく電車は、彼女の最寄り駅にたどり着く。
「タイプってわけじゃないんだ」
「うん」
「そう」
白石さんの顔は、少しだけ怖くて見えなかった。
「良かった」
そんな時、白石さんが安堵したように呟いた。
あまりにも穏やかな声で、恐れも吹き飛んで、僕は白石さんの顔を覗いた。
白石さんは、心の底から安心したように胸に手を当てて、頬を少しだけ赤くして、微笑んでいた。
僕は、思わず見惚れていた。
「どうかした?」
「ああ、いや。何でもない」
慌てて首を横に振った。先ほどまで抱いていた罪悪感も吹き飛んで、僕はただ彼女に見惚れていた事実を彼女に知られたくない一心で首を振っていた。
そんな僕に、白石さんは不思議そうに小首を傾げていた。
電車が彼女の下車駅である上野に到着した。
「それじゃ、また明日」
「うん」
高鳴る心臓を押さえながら、手を振る白石さんに微笑を返していた。
電車が発車すると、白石さんは階段の方に歩き出していた。
その一挙手一投足を見送って、僕は二駅先で電車を降りた。乗り換え駅だった。
ホームを歩いて、階段を登って、僕は空いている列を探した。
そして、いつかの弱冷房の列で見つけた。
「あ」
大原麻美を。
彼女はこちらに気付いている様子はなかった。イヤホンもせず、スマホもいじらず、上の空でぼんやりと遠くを見ているように遠目からは見えた。
『大原さんの自殺を食い止めたり、彼女のために恨み役を買ってでもいじめを止めさせてみたり』
その時、僕は白石さんの言葉を思い出していた。
確かに僕は今回、彼女を助けた。
ただそれは優しさなどからではない。いつかの鈴木君と彼女を重ねて、後悔を繰り返したくなくてそうしたのだ。
『まもなく、○番線に、電車が参ります』
ただ、今の彼女が以前と違い虚ろな瞳で電車を待っていないと気付いて、心の底から安堵した。
安堵したのだが……大原さんと鈴木君を重ねて、そして彼女の人となりを知って。
僕はある疑問を抱かずにいられなかった。
僕はいつかの時みたく、大原さんの後ろに並んだ。
さすがに僕に気付いた彼女だったが、こちらから何も言わなかったからなのか、声をかけてくることはなかった。
僕は……。
「これから言うこと、もし間違っていたらごめん。なじってきても、ぶん殴ってきても文句は言わない」
そう前置きをして……、尋ねた。
「君は本当に、いじめの被害者だったのかい?」
電車がホームに滑り込んできた。
大原さんは、肩をビクッと跳ねさせていた。