芋づる式に
軽快な吹奏楽部の演奏に乗せて、僕達は生徒会役員という模範生としての立場の人としてはあるまじき行為に出た。廊下を全速力で走ったのだ。
運よく廊下で教師陣と遭遇しなかったことが功を奏して、途中職員室に寄ったにも関わらず、随分と早く目的の生徒会室にはたどり着いた。
「も、もう、キチンと説明してよ。鈴木君」
「あ、ごめん」
息を荒らした白石さんに謝罪しながら、僕は職員室でもらってきていた鍵を使い、生徒会室の扉を開けた。
「それで、抜き打ちの持ち物検査だったかしら」
「うん。そう」
返事もそこそこに扉をくぐって、まっすぐにホワイトボードの裏にある棚まで歩いた。確かここの棚のどこかにあったはずだ。
「何を探しているの?」
「チェックリストだよ。確かこの辺にしまっていたと思って」
「ああ。あのあなたが提案したチェックリストね」
「そうそう」
持ち物検査。
その名の通り、生徒会主導で行われる学生達へ向けての実施事項である。この行事は、今年だけでなく去年も、話によればその前からずっと行われている行事だそうだ。教師陣からの指導だけでなく、生徒間で問題有無の共有が出来るとの言い分で、教職員間では好感の良い行事である。
まあ、本来は教師陣の手間工数になるはずだった作業を生徒会が一任してくれるとなれば、彼らから好感のある行事になる旨は容易に理解出来た。大人とは日々時間に追われる生き物だ。この工数の時間、彼らは他の作業に時間を当てられるようになるのだから、好きで堪らないに決まっている。ただ、その空いた時間に彼らが一体何に時間を費やしているのかは定かではない。
とまあそんなわけで、近年我が校で生徒会が主導し行うことになった持ち物検査であるのだが、今年の生徒会で最初の持ち物検査の際、僕はこの工数の非効率性、不平性を説いた。
それは何より、生徒会一同が各々の判断で良し悪しを判断している点である。
人によれば、お菓子はオッケーだがガムは駄目とか。
人によれば、小説はオッケーだがラノベは駄目とか。
皆が自分の意見を持ち、行動を起こすことは決して悪いことではない。しかし、時にはそれが要らぬ不満を買うことになり、時にはそれが作業工数アップにつながる、というわけなのだ。
つまるところ、あの人はオッケーと言っていたのに何で駄目なの、という疑問を学生に抱かれかねないのだ。
前例があるというのは厄介なもので、もしそう言われれば最期。問題点を指摘したつもりが、どう転んでも文句へとつながるのだ。
というわけで僕は、生徒会一同にこの問題点を共有した上で学生手帳に書かれたルールに則って持ち物検査用のチェックリストを作成した。
そして、この後実施する抜き打ちの持ち物検査でもこのチェックリストを用いるつもりだった。いくら不純な動機で抜き打ちの持ち物検査を実施するに至ったとは言っても、一度決めたルールに則って作業に当たらないのは新たな火種を生みかねない。更なる余計な面倒事を生まないよう、僕はそう判断したのだった。
「抜き打ちで実施した理由は、最近の皆の態度が弛んでいるように見えたとか、ありきたりな理由を付ければいい」
よし。あった。
リストを見つけた僕は、白石さんに微笑みかけて、饒舌に捲くし立てた。
「ま、待ってってば」
しかし白石さんは、戸惑ったようにうろたえていた。
どうしたというんだ。彼女らしくもない。
不思議そうに僕は小首を傾げた。
「も、もうっ。ちゃんと説明してってば」
そんな僕の態度に、白石さんはもう一度慌てたように不満を示した。
ああ、そうか。妙案が浮かんだばっかりに、つい興奮してしまって白石さんを置いてけぼりにしていたことすら気付かなかった。
「ごめんごめん」
うろたえる白石さん可愛い。
そんなどうでもいいことを考えて、僕はわざとらしく咳払いをした。
「多分、君がわからないのはどうしてこれをしようと思ったか、だよね」
僕は手に握ったチェックリストをヒラヒラさせた。
白石さんは少しだけ戸惑ったように頷いた。
「え、えぇ。さっきまであたし達は自殺未遂をした女子の素性を探る術を模索していた。それが、一体全体どうして抜き打ちの持ち物検査に繋がるの」
「初め、僕はその女子の素性を探る方法を人海戦術しか浮かばないって言ったよね。教室を回って、聞き込みをしたりとか、そういう手立てしか浮かばないって。半分、今からしようとしていることもそれに近いんだよ。
ただ、教室を見回る手間とかを省く。より効率的に人手を割かずに彼女を探す術を思いついたってことだよ」
そこまで言うと、白石さんは納得したように頷いた。
「なるほど。校門の前で張り込むってことね」
「そういうこと」
僕は力強く頷いて続けた。
「校門の前で張り込みをするのであれば人手はいらないし、持ち物検査っていう大義名分があれば不審がられることもない」
「そうね。ただ一つ、疑問もある」
「それは?」
「彼女、今日キチンと学校に来るかしら」
ああ、そういうことね。
昨日自殺を図ったような欝傾向な彼女が、日々の日常を今日も送ろうとするか、ということか。
「来るよ。間違いなく」
「どうしてそう言い切れるの?」
「言っただろ。彼女昨日、駅員室で何も喋らなかったんだ」
「それが?」
「つまり……生きている内は誰にも迷惑はかけたくないってことだよ」
死んだら別だが、生きている内は。
死のうとした事実を知られたくない。後ろめたいことをした事実を知られたくない。
そう思ったが故に、彼女は昨日あの場で何も喋らなかったんだろう。喋って、家族とか、近しい人に心配をかけたくなかったのだろう。
だから、彼女はきっと今日学校に来る。
親は子を心配するものだ。
学校で問題はないのか。
仲の良い友達はたくさんいるのか。
幾分過干渉気味に、されど一番誰よりも当人の甘えを許してくれる人として。
親は存在するのだ。
そんな親を悲しませたくない。いいや、そんな親の悲しむ顔は見たくない。
そう思ったが故に、彼女は昨日あの場で名を名乗らなかったんだ。僕はそう思っていた。
そんな親を想う少女が、学校をサボって親を心配させるはずがない。
少しばかり願望にも近い望みであるような気がしてきていた。
しかし、その願望が叶ったのかどうなのか。
校門で待ち構えて、学生達の不満を買いながら持ち物検査をすること三十分。
「また思いつきで行動しやがって。恋愛脳どもがぁ」
途中から参加した副会長達に悪態を頂戴しつつ、僕は校門に訪れる学生達の顔を覗いて回って。
……ついに彼女は姿を現した。昨日同様、夢遊病患者のように無表情で俯いていた。
「おはようございます」
僕の返事に、彼女が顔を上げた。
途端、彼女の顔が凍りついた。昨日一番会いたくない場所で遭遇した男が、この学校の生徒会役員だと知って驚いたのかもしれない。
無言で立ち去ろうとする女子の前に、僕は立ちはだかった。
「今日、抜き打ちの持ち物検査なんだ。カバンの中、見せて」
カバンの中を見れば、ある程度の情報は入手できる。彼女の持つ教科書から学年は割り出せるだろうし、ノートに名前でも書いてあれば一発だ。
そう思って言ったのだが、女子はこちらを睨むばかりでカバンの中を見せようとはしなかった。
頑なだなあ。
「何も君を取って食おうとしているわけじゃない。ただ……問題がないのか知りたいだけだ」
幾分か含みのある言い方になった。
しかし、本心だった。
彼女は何故、命を捨てようとしたのか。
僕はただ、それが知りたかった。それ以外の邪念はありはしなかった。
それでも、彼女は中々素直に応じることはなかった。
しばらくにらみ合いの時間が続いた。
しかし、ようやく観念したのか、彼女はカバンをこちらに差し出したのだった。
「ありがとう」
カバンを受け取って、中を覗いた。そして僕は、思わず眉をしかめた。
まさか素性を知ろうとしたこの持ち物検査で、彼女が自殺を図った理由まで知れようとは。
「惨めでしょう?」
そんな僕の顔を見て、ようやく女子が言った。ささやくような、か細い声だった。
「惨めなもんか」
僕は大きく息を吸って、吐いた。昨日彼女に抱いた怒りはどこへやら。今はただ……ただ、彼女に同情していた。
「よく頑張ったね」
気付けば、周りに聞こえないようにそう呟いていた。
女子は、目を見開いていた。
「よく頑張った。よく耐えたよ」
女子は俯いたきり、再び言葉を発することはなかった。
そんな女子に、僕は続けた。
「昼休み、生徒会室に来るといい。大丈夫。信頼出来る人しか呼ばない。そこでこれからの君の生活を少しだけ話し合いをしよう」
そう言うと、女子はゆっくりと頷いて、カバンをひったくって歩き出した。
僕はその女子の萎縮した背中を、痛々しく見守ることしか出来なかった。
思い出すだけで、腸が煮えくり返りそうだった。
フェルトペンで、彼女の教科書には多量の落書きが施されていた。それもカバンにある教科書全てに。
かろうじて読めた名前曰く、彼女の名前は『大原麻美』というそうだ。教科書を見るに、学年は一年だろう。
そんな大原さんのカバンの中は、教科書以外も見るに耐えなかった。思い出したくもないくらいに。
そして僕は理解した。
どうやら。
どうやら大原さんは、この学校でいじめにあい、精神を病んで自殺を図ったらしい。