74 夏草
慶長6年の冬。
関ヶ原の戦いから早1年が経ち日本各地では教会が多数建築されヨーロッパ製の商品が市に売られ港では盛んに貿易が行われていた。
ここ、津城でも多数の南蛮人や紅毛人が多数往来し大いに繁栄していた。
「ご無沙汰しております。信包様。」
その津城の天守閣の広間にて光秀は信包に挨拶した。
「いやぁよう来てくれた。誠にお主には感謝してもしきれんな。」
「織田家の家臣としてやるべきことをやったまででございます。」
「本当にこのようなことになるとは思ってもおらなんだ。夢のようじゃな。」
秀吉により改易され出家させられて絶望の淵に追い込まれていたと思ったら旧領を取り返し天下人の大叔父になれたのだ。
信包はとても機嫌が良かった。
「あれもこれも信包様が柴田様、五郎左様や滝川様と共に我らにその役目を託してくださったおかげでございます。」
「何を言う。わしらでは出来なかったことよ。ほれ、食え。」
そう言って信包は小麦色の丸い物体を差し出した。
「これはなんですか……」
その得体の知れない物を見て光秀は恐る恐る聞いた。
「パオンと言ってな。南蛮人共はこれを主食として食うらしい。柔こうて美味いぞ。食うてみい。」
「では頂きまする。」
半信半疑、それをちぎり光秀は食べてみた。
「むっ。これは美味でございます!ほんの少し塩気があり米よりも柔らかく……。これは美味ですな!」
それを聞くと信包は嬉しそうに答えた。
「そうであろう!これも食え。」
次に信包が差し出したのは白い塊だった。
「ぼうとろと言って牛の乳を固めたものじゃ。これをパオンとともに食うと美味いというのをワシ自ら導き出したのじゃ!」
信包の言う通りにぼうとろとパオンを合わせて食うとかなり美味かった。
「これは国内でも生産できるものなのですか?」
「おっ?お主ももっと食いたいか。案外簡単じゃしパオンは保存も効く故に糧食としても使えるとワシは考えておる。最もしばらくは戦は起きないだろうが。とりあえず作り方を知るものを丹波に送ってやる。」
「ははっ。ありがたき幸せにございます。」
お土産にパオンとぼうとろを大量に貰った光秀は続いて畿内の鉄砲の生産地を巡り堀家で使用している鉄砲を増産するように命じた。
次に志摩の九鬼嘉隆の元に光秀は向かった。
「む、こりゃうめえ!どこでこんなもん手に入れたんだ!?」
「信包様から頂いたのだ。それよりそなたの持つ鉄甲船を最も増産したいのだが可能か?」
「俺たちの持つモンは足りてるぞ?誰のためのだ?」
「諸大名の水軍に配る。南蛮対策じゃ。」
「南蛮対策?南蛮と戦うのか?」
嘉隆はピンと来ていなかった。
「連中が何故ここまで来れたか分かるか?他の国を侵略して植民地にして来たからだ。我が国もいつ手を出されるか分からぬであろう。」
「なるほどな。そういうことなら協力してやる。」
こうして九鬼嘉隆の元、全国の諸大名の水軍に鉄甲船が配備され始めた。
さらに光秀は朝鮮出兵で日本軍を大いに苦しめた亀甲船も国内で製造するように命じ水軍力の大幅な強化を図った。
次いで光秀は船で土佐に向かった。
浦戸港は南蛮貿易により多数の船が並び城下にはかつて流罪地であった場所とは大いにかけ離れた賑わいがあった。
光秀が来たと聞いて元親が出迎えてくれた。
「関ヶ原の1番の功労者への挨拶は1年遅れかい?」
「それはすまぬ。なかなか忙しくてな。それにしても以前来た時よりも賑やかだな。」
「おうよ。信親が四国各地を繋ぐ道を開いてからというもの四国内での人の流れが多くなってな。おかげさまで大儲けよ。」
「立派な馬も甲州から流れてきているようだな。」
織田家は各地の関所を廃止し名産品や特産品が出来るだけ全国に流通するように諸大名に命じていた。
これにより貧弱な馬しかいない四国でも甲州や奥羽の強靭な馬が手に入るようになった。
「おう。一領具足共もなかなかいい馬が来たって喜んで……ゴホッ!」
急に元親が咳き込み血を吐き出した。
「おい!大丈夫か!?おい!」
光秀は急いで元親の様子を見た。
「ふん……ここまでよく持ったもんだ。呂宋から帰ったくらいに調子が悪くなってな。」
「まさか……お主無理をしてまで戦に……」
「おうよ。ホントなら呂宋から帰ったくらいで逝ってたのをお天道様が助けてくれてたみたいだ。」
元親はヨレヨレになりながら続けた。
「そのおかげか四国は取り返せたしこうして土佐は繁栄した。まあ代償も大きかったがな。いい夢見れて幸せだったぜ、十兵衛。」
「もうすぐ死ぬようなことを言うな!お主はまだ天下に……」
「武士の世は終わった。これからの時代に年寄りは必要ねえよ。ありがとう、そしてさらばだ。十兵衛!」
迎えに来た家臣に支えられながら元親は光秀にそう言い残した。
それから数日後、長宗我部元親は64年の生涯を閉じた。
後世、四国を制圧し関ヶ原の戦いで毛利の大軍を一手に引き受け西日本有数の大都市である浦戸を作った彼の軍事的、政治的なセンスは大いに評価された。
また年末には池田恒興も67歳で没した。
元助の死後に一切戦にも出ず政にも関わらなかった彼だったが死の数日前には信秀や信包からこれまでの忠節を感謝され最期は息子の輝政や娘婿の長可に見守られ安らかに逝った。
彼もまた関東を繁栄させた池田家の祖として、また息子を思う心優しい父親の一面に多くの人が惹かれることになる。
旧友達の死を悲しむ暇は光秀にはなかった。
なんと翌年の一月に小早川秀秋が病死したのだ。
まだ21歳で跡継ぎもなく小早川家をどうするかで問題になった。
光秀は一応本流の毛利秀元と秀秋と親しかった黒田長政を呼び出した。
「無嗣断絶で改易すべきでしょう。そもそも秀秋は毛利の縁者でもなんでもございません。」
秀元から結構強めの言葉が出たのに光秀は驚いた。
むしろ分家の改易に反対すると思っていたからだ。
「安芸殿が申されるならそうすべきと私は考えます。しかし55万石もの大領を誰が統治すべきかは慎重に考えなくてはなりませぬ。」
長政が言う。
「うーむ。とはいえ小早川は名門じゃ。潰すのは如何なものかとワシは思うのじゃ。小早川の縁者に誰ぞおらんのか?」
光秀が頭をかきながら聞いた。
「当家に輝元により殺された久留米侍従の嫡男の元信がおります。それに小早川を継がせては如何でしょう。」
秀元が提案する。
「お、それは良い考えじゃ。しかしその子はいくつなのだ?」
「11にございます。やはり55万石は重いと私も考えます。」
「私も安芸殿と同じ考えです。やはり小早川の所領を削り、他の誰かに与えるべきかと。」
長政が言う。
「では備中は小早川に残そう。それで美作と備前じゃ。」
「信秀様の一門の方か大納言様の縁者の方を入れれば良いのでは?」
秀元が聞く。
「それも考えたが織田の方々は故郷に近い所の方を望まれておられる。我らはこれ以上所領は頂けん。」
「で、あれば長宗我部殿の所の盛親殿は?吉良家のご養子ですが近頃、吉良家の子が生まれたと聞きますし当家の家臣の首を多数挙げられております。戦功第一位ながら加増は一応は6万石だけですし。」
「ああ、それじゃ!その手があった。最近元親殿が亡くなられて長宗我部は皆落ち込んでおろう。早速信秀様に頼んでみよう。」
これを信秀は了承し長宗我部盛親が備前、美作40万石、小早川元信が備中15万石で所領を受け継ぐという形になった。
これにより長宗我部家は合計で141万石となり名実と共に西国一の大名となった。
(あの世で息子達の活躍を見ておれ。)
光秀は空を見て心の中で言った。




