63 別れ
「上杉が軍備拡張……」
光秀はその報告を信州の真田昌幸から聞いていた。
「近頃、越後中納言は前田家や最上家、当家との国境に対して砦を作り戦をする構えを見せております。」
「それは当家との国境でもそうか?」
光秀が隣にいる村上に聞く。
「はっ。大規模な砦に鉄砲を入れているようです。」
「今景勝は国許に戻っておるな。1度、上洛させてみるか。」
「すぐに書状を出しましょう。」
村上がそう言って出て行った。
「安房守よ。お主はかつて上杉と親しくしておったがどうするつもりだ?」
「もし上杉につけば大納言殿は大軍をもってして我らを攻め滅ぼすでしょう?」
「当たり前だ。しかし分別がつかないお主ではなかろう。」
「ええ。その代わりに沼田を返上して頂きたいのですが……」
沼田は元々真田家の所領でありこの地を取り返す事は昌幸の悲願だった。
「容易いことよ。村上には替地を与える故に安心せい。」
「ははっ。格別のご配慮痛み入りまする。」
「しかし上杉を攻めれば治部は形部は挙兵するぞ。そうなれば奴らの一族を妻にしておるお主らが裏切らぬ保証はないだろう。どうしてくれる?」
昌幸の妻は石田三成の姉、次男信繁の妻は大谷吉継の娘だった。
「であれば我が子、源次郎を質にしてくだされ。」
「ほう。大事な息子を見捨てるなよ。」
「承知致しました。息子のことをどうぞよしなに。」
息子とはいえ信繁はもう33歳、左衛門介の官位も与えられており光秀にとってはありがたい助っ人だった。
そして翌日信繁がやってきた。
「久しいな、左衛門介。今後暫くは私の家臣として働いてくれ。」
「ははっ。これよりは大納言様を父と慕い忠節を尽くしまする。」
「うむ。良き心がけじゃ。安房守共々頼りにしておるぞ。」
光秀は既に長宗我部、立花、鍋島ら四国、九州の大名に対し兵を準備するように命じていた。
「やはり言ってきたか……。」
春日山城にて景勝は兼続からの報告を聞いていた。
「案じなされるな。既に如水殿や治部殿、それに佐竹、南部、安東らとも連携は取れております。」
兼続が言う。
「そうか。では返答はお主に任せるぞ。」
「ははっ。」
そして兼続から帰ってきた返事がこうだ。
東国についてそちらで噂が流れていて大納言様が不審がっておられるのは残念なことです。しかし、京と伏見の間で問題が起こるのはやむを得ないことです。とくに遠国の景勝は若輩者ですから噂が流れるのは当然であり、問題にしていません。大納言様にはご安心されるよう、いろいろと聞いて欲しいものです。
申し上げるまでもありませんが、景勝に逆心など全くありません。しかし、上洛できないように仕組まれたのでは仕方ありません。大納言様の判断通り上洛しなければならないことはわかっています。このまま上洛しなければ、太閤様の御遺言に背き、起請文も破り、秀頼様をないがしろにすることになりますので、たとえこちらから兵を起こして天下を取っても、悪人と呼ばれるのは避けられず、末代までの恥辱です。そのことを考えないわけはありませんので、どうかご安心ください。しかし讒言をする者を信用され、不義の扱いをされるようではやむを得ません。誓いも約束も必要もありません。
景勝に逆心があるとか、隣国で越後が攻めてくると言いふらし、軍備を整えるのは無分別者のやることです。聞くまでもありません。
大納言様に使者を出して釈明するべきとは思いますが、そこに使者など出しては表裏があると噂されるでしょう。ですから讒言をする者を調べられなくては、釈明などできません。我々には他意などありませんので、しっかりお調べになれば我々も従います。
遠国なので推量しながら申し上げますが、なにとぞありのままにお聞き下さい。当世様へあまり情けないことですから、本当のことも嘘のようになります。言うまでもありませんが、この書状はお目にかけられるということですから、真実をご承知いただきたく書き記しました。はしたないことも少なからず申し上げましたが、愚意を申しまして、ご諒解をいただくため、はばかることなくお伝えしました。侍者奏達。恐惶敬白。
直江山城守
「ふん!私をこのような文章で煽ろうとするとは舐められたものだ……。直政、諸大名に触れを出せ。越後征伐じゃ!」
こうして光秀は越後征伐を決意した。
既に都に入っていた長宗我部信親率いる一万と大友義統、立花宗茂の七千、に加えて細川忠興の九千、筒井定次の六千、九鬼守隆の二千が光秀の二万と合流した。
「東海道にて岐阜中納言様と清須侍従(信則)、岡崎少将(秀康)、小田原侍従(輝政)らが合流し上野より、信濃からは真田安房守を先陣に甲府侍従と藤堂佐州と宇喜多出羽守、越中より前田中納言と小松宰相(丹羽長重)、出羽より会津中納言と最上出羽守、それに大崎少将が攻め入る事になっておる。」
光秀は地図で諸大名に侵略経路を説明した。
「4方面からの侵攻となれば上杉も耐えられますまいな。細川中将、依存なし。」
忠興が言うと他の者も頷いた。
その後、後陽成天皇から晒布100反、秀頼から黄金二万両と米二万石が光秀に贈られた。
そして出陣前日、光秀は家臣たちを豊臣御所に集めた。
「この城と伏見城はいずれ黒田如水らに狙われる。若しかすると安芸宰相や金吾中納言らの助けがあるかもしれんがはっきり言って厳しいだろう。しかし誰かが残らねばならぬ……」
それを聞いて皆ざわついた。
何故黒田如水が攻めてくるのか分からなかったからだ。
「その役目、ワシにお任せくだされ。」
そう言ったのはシナリオを知っている利三だ。
「ダメじゃ!お主は堀家の……」
同じくシナリオを知っている秀満が止めようとしたが光秀は言った。
「わかった。暫し二人で話しがしたい。」
そう言うと光秀は利三を自室に入れ、家臣に酒を持ってこさせた。
「お主とは何年の付き合いになる?」
「もう30年でしょうか……全く稲葉様には困ったものでした。」
稲葉とは稲葉一鉄のことでかつての利三の主君である。
稲葉から利三を引き抜いたことで光秀は信長から怒られていた。
「あのお方は何かにかけて私と揉めていたからのう。」
「信長様と元親殿との関係にも手を焼きました。」
「そうじゃな。本当にお主には世話になった。」
光秀は利三に頭を下げた。
「おやめくだされ。もうすぐ殿の望む天下が作れそうではありませぬか。それに孫の顔も見れてもう思い残すことはありませぬ。」
「戦をする前から左様なことを言うでない。それにしても山崎で負けた時はもうダメかと思っていたが……まさかこんなことになるとはのう。」
光秀は必死に笑おうとしたが涙が零れていた。
「おやめくだされ、十兵衛様。こちらまで泣けてくるではありませぬか。」
利三は溢れ出る涙を抑えるので精一杯だった。
「ああ……すまぬ。だがやはり別れとはいつでも好きになれぬ。せめて三千程は残しておくつもりだ。」
「半分で十分です。少しでも多くの兵を連れて行ってくだされ。」
「誠、お主は忠義ものよのう。本当に苦労をかけた。もし生きてまた会えることがあれば……いや来世では平和な世になっておるのを楽しみにしておれ。」
「ははっ。今上の別れにござる。それと息子のこと、おまかせしましたぞ。」
「ああ、黒井城を与えるよ。」
黒井城はかつての利三の居城である。
そこを利光に与えるのには大きな意味がある。
その後2人は思い出話をしながら、一夜中飲んだ。
光秀のことを最も理解している利三だからこそ出来た選択であった。
「十兵衛様、誠によろしいのですか?」
翌朝、秀満が聞いた。
「奴が選んだ道じゃ。私は止めはせぬ。奴の為にも天下をとるぞ、左馬助!」
光秀の心は悲しみから利三の願いである天下を取るという絶対的な志に変わっていた。
そしてついに、秀治達が待つ本庄城に向けて上杉征伐軍六万が伏見を発った。




