54 慶長の役
駆け足気味になってしまいますがもうすぐ本編に入ります
文禄5年に畿内で地震が起きかなりの被害が出たが光秀は本庄に戻っていたので被害を受けず、
文禄6年を迎えた。
しかし文禄5年に土佐にイスパニア船が漂着したのをきっかけに秀吉は禁教令を再度だしキリシタン26人を磔にした。
さらに諸大名が恐れていた朝鮮への再出兵が命じられる。
今回の大将は小早川秀秋。
しかしまた光秀は出陣せず名護屋城にすら呼ばれず畿内の守備を命ぜられた。
先陣は小西行長と加藤清正が交代で務めるという事に決まりそこまで揉めなかった。
日本軍にとって厄介だったのは朝鮮水軍である。
文禄の役で日本水軍を苦しめた李舜臣はお役御免とされていたため、それを知った藤堂高虎はそれを好機と見た。
「今連中は巨済島と漆川島の間、ここ漆川梁に在陣しておる。ここを陸上の島津殿、小西殿に援護して頂こう。」
高虎がそう言うと脇坂安治と加藤嘉明も同意した。
陸上部隊もそれに乗り明け方に攻撃することになった。
そして攻撃の日が来た。
「よし、敵はまだ寝ておる。乗り込むぞ。」
高虎が命じると水軍衆7000は一斉に休憩中の朝鮮船に乗り込んだ。
油断していた朝鮮軍は混乱に陥り陸上に逃げようとした。
「放て!」
それを待っていたかのように小西行長が命じると陸に上がろうとした朝鮮兵は鉄砲の餌食になり呻き声を上げながら海に落ちていき、海は朝鮮兵の血で赤く染った。
逃げる場を失った朝鮮軍は水軍の指揮官を始め尽く討ち取られ船もほとんどが焼き払われた。
そのまま快進撃を続けた日本軍は各地に城を築きそこを防衛する事とした。
加藤清正は蔚山に城を築きそこに入った。
しかしそれを見逃さなかった明、朝鮮軍は6万の大軍で蔚山城を包囲した。
「援軍が来るまで持ちこたえよ!弾丸と矢の雨を振らせてやれ!」
清正が兵を鼓舞し鉄砲に対する具体的な対抗手段を持っていない連合軍の被害は日に日に増えていた。
しかしこういう時大軍というのは便利なもので兵糧攻めをする事になった。
完成間もない蔚山城に大した兵糧の備蓄はなく
まもなく蔚山城から餓死者が出始めた。
しかも12月の朝鮮は寒く凍える者もいた。
「安芸宰相(秀元)はまだ救援にこんのか!」
「加藤殿、明より開城の使者が……」
目付けの浅野幸長が言う。
「なにぃ!首を斬り敵陣に……。いやまて、それは良い機会じゃ。話をしよう。」
「なぜ話を?斬り捨て、徹底抗戦すべきじゃ。」
浅野幸長は奉行衆の浅野長政の息子だが清正ら同様に武断派であり秀次事件で配流されてから名誉挽回しようと必死だった。
「斬り捨てるより交渉する方が時間稼ぎになる。援軍が来るまで待つのじゃ。」
そして年が明け蔚山城危機の知らせが秀元の元に飛んできた。
「蔚山が危ないと?」
「はっ!このままでは城は持ちませぬ。」
加藤家家臣の飯田覚兵衛が必死に訴える。
「宰相殿、一刻の猶予もありませぬ。直ぐに蔚山へ向かいましょう。」
長政が言う。
「広家よ。近くに水軍はおるか?」
秀元が聞く。
しかし広家の姿は見当たらない。
「あやつ何をしておる!おい、探してこい。」
秀元が家臣に命じようとすると広家が青ざめた顔でやって来た。
「秀元……よう聞け。今入った知らせで叔父上が亡くなられた。」
「叔父上が!?」
2人の叔父、つまり現在毛利家の指導者である小早川隆景が亡くなったのである。
実は年内には亡くなっていたが距離的に離れていたので2人に伝わるのは遅かった。
「中納言殿が……」
長政も、如水が隆景と親しくしていたので驚いた。
「そうか、そうか。それは残念じゃ。叔父上がおらねば、彼奴では毛利は取りしきれんな。」
他人の長政ですら驚き悲しんでいるのにむしろ秀元は嬉しそうだった。
「これで毛利もお主のものじゃな。」
広家も言った。
「お二人共、辛いのは分かりますが今は戦の最中ですぞ。」
明らかに喜んでいるのは長政にはわかったが長政は2人を注意した。
「おお、これは申し訳ない。で広家、近くに水軍はおるか?」
「土佐殿(信親)の軍がおると思うが。」
「なら土佐殿にこれより蔚山城を救援するゆえ援護せよと伝えてくれ。ワシらはこれより蔚山に向かう!主計殿を助けるぞ!」
(にしてもなぜ叔父が亡くなって喜ぶ?こやつらは何を考えておる?)
長政はそう考えながら行軍した。
そしてついに毛利軍は蔚山に到着した。
「皆の者かかれ!立ちはだかるものは斬り捨てよ!」
秀元が命じると一斉に毛利軍が攻撃を始めそれを見た加藤軍も城から出撃し連合軍を散々に打ち破った。
その後も朝鮮では激戦が繰り広げられていた。




