32 九州
徳川家康が降伏して2ヶ月後、光秀は秀種と共に堺に行く道中大坂に立ち寄った。
というよりも秀吉に呼び出されていたので大坂にも用事はあった。
「此度の戦も大活躍であったな。鳴き信長様もあの世でお喜びであろう。」
「ははっ。見に余る光栄でござる。」
「ワシもお主の働きに応えようと思うておる。」
「佐吉」
秀吉が横にいた石田三成に命ずると三成が書面を読み上げた。
「堀左衛門督秀政殿、1つ、丹波亀山29万石を召し上る。1つ越前北ノ庄68万石を与える。1つ越前守を贈る。以上にござる。」
「それと加賀の溝口秀勝と村上義明を与力につける。」
光秀は驚いた。それはつまり丹羽長秀の旧領と旧臣を自信が受け継ぐ事と同じだからだ。
「祝着至極に存じます。されどそれは亡き丹羽惟住様の所領にござる。ご嫡男の丹羽侍従殿が治められるべきではありませぬでしょうか?」
「左衛門督殿、頭が高うござる。」
三成が光秀に注意した。
「よいよい。お主がそう考えるのは仕方なきこと。しかし丹羽侍従はまだ若くそれに丹羽家は織田家の古い家臣じゃ、信用出来ぬ。じゃがワシはお主を信用しておるからこそ越前を任せようと思うのじゃ。任されてくれるな?」
「承知致しました。この秀政、殿下のご期待に応えられるよう粉骨砕身働く所存でござる。」
光秀と秀種は深深と頭を下げ退席した。
「なんですかあの若造は。兄上は68万石の大大名、無礼ではありませぬか。」
秀種は三成に苛立っていた。
「まあ仕方ない。某にも非はあった。」
そう話していると10歳くらいの子供がやってきた。
「もしかしてあなたが堀秀政殿でござるか?」
「左様。某が堀秀政にござる。貴殿も名乗られよ。」
子供を叱ろうとした秀種を止め光秀はかがんで子供に話しかけた。
「我は徳川中納言家康が次男、羽柴秀康であります。」
「貴殿が徳川殿から殿下に養子に出された三河守殿でござったか。それで如何様でござる?」
「良ければ吾に兵法の全てを教えて頂けぬでしょうか?」
「某よりもそのような事は自らのお父上に聞いた方が宜しいのでは?」
「いえ父を追い詰めた秀政殿に教えて頂きたいのです。ダメでございますか?」
「そこまで仰られるなら仕方あるまい。」
こうして光秀は堺に行かず家康の次男秀康に自身の知る兵法の全てを教えた。
この少年が後に日ノ本の歴史を左右するなどまだ誰も知る由はなかった。
光秀達が大坂に来た翌日大坂城には大友家の使者が訪れていた。
大友家は元々北九州の大大名であったが今は薩摩の島津家に押されもはや風前の灯であった。
「もはやこのままでは島津が九州を統一してしまいまする。どうか殿下のお力添えを頂きとうござる。」
「私からもお願い致します。このまま島津が勢力を伸ばせば手の付けられない事態になるやもしれませぬ。」
官兵衛が頭を下げ秀吉に頼んだ。
「わかった!官兵衛!毛利、それから権兵衛と長宗我部に大友を助けるように命ずる。お主も行って参れ!」
「はっ!」
こうして徳川征伐が終わって直ぐに新たな戦が始まった。
「また戦でござるか……」
毛利家の吉田郡山城では当主輝元を初め叔父の吉川元春と小早川隆景、その他重臣たちが集まっていた。
「我らはこの前東海に行ったばかり。次は九州でしかも島津が敵とは殿下も無茶を言われるものよ。」
隆景は秀吉に呆れていた。
「しかし断れば毛利家はお取り潰しになるでしょう。ここは出陣すべきです。」
安国寺恵瓊が言った。
「隆景よ。気を落とすでない。此度はワシも出陣しようと思うておる。」
吉川元春が言う。
「誠でござるか!それは我らが勝ったも同然です。」
輝元からすれば戦上手だが秀吉嫌いの元春が出陣してくれる事は喜ばしいことだ。
「それで軍監は誰が務める?」
元春が聞いた。
「ははっ。黒田官兵衛殿と聞き及んでおります。」
恵瓊が答えた。
「よりにもよって奴か……。」
吉川元春は幾度となく毛利家に攻め込み家臣を討ち取ってきた秀吉は憎くその参謀である官兵衛も同じように憎かった。
(兄上と官兵衛殿が揉めないと良いが……)
隆景は不安だった。
豊臣家の外様大名と譜代家臣の不和は四国でも同じだった。
「何故またあの馬鹿の指揮下に入らないといけないのです!猿には戦の戦犯を分析する能力も無いのか!」
信親は拳を床に叩きつけた。
先の戦で仙石秀久は功を焦り本陣を危機に晒し更に戦線を離脱し秀次を助けた長宗我部家を激しく罵倒していた。
「まあ仕方ないよねぇ。行かないと多分改易だし。」
親泰は諦め気味のようだ。
「んまぁ今のうちの辛抱なんだわ。いっその事どさくさに紛れて島津に討ち取られでもしたら、面白いね。」
「それこそ改易です。いっその事我らだけでやらせてはくれぬのでしょうか?」
元親の楽観に親茂がそう言うと元親が閃いたように手を叩いた。
「そうだ!そうしよう。俺自ら直訴してやる!」
「あーあ。これは止められないな。」
親泰が予想した通り元親は家臣の反対を押し切り大坂へ向かった。
「此度は遠路はるばるご苦労であった。それで如何様じゃ?」
「実は殿下にお願いの儀がございます。どうか此度の戦の軍監を仙石殿以外の方にしていただけぬでしょうか?」
「ふん!そのようなことを殿下が許されるわけがないでしょう。」
三成がそういうが秀吉は元親に理由を聞いた。
「何故それを求む?」
「我が子信親が申すに仙石殿は信濃での戦の際敵の策に見事にはまりお味方を危険に晒しました。徳川の家臣相手にそれなら島津家が使うとされている釣り野伏せには太刀打ち出来ぬでしょう。それにあの方は我らを憎んでおり、聞く耳を持たれませぬ。」
「なるほどのう。だが宮内少輔殿だけに任せるわけにもいかぬ。誰か適任はおらんかったかのう。」
「僭越ながら我が家臣の藤堂高虎は如何でしょう。高虎は宮内少輔殿の御三男、親忠殿の世話をしておりなかなかの優れ者にござる。所領は1万石ですが権兵衛よりも話のわかる男かと心得ています。」
秀長が自身の家臣の藤堂高虎を指名した。
「おお。高虎がおったわ!ならあやつに任せるとしよう。宮内少輔殿もそれで宜しいな?」
「ははっ!某の身勝手を聞いていただきこの宮内少輔、感慨無量でございます。」
こうして九州征伐の四国勢から仙石秀久は外され藤堂高虎を軍監として長宗我部軍が単独で務めることとなった。




