22 紀州
年が明け天正13年となった。
この頃になると秀吉は本格的に反対勢力の征討を始めた。
まずターゲットとなったのは紀伊の雑賀衆である。
この雑賀衆は信長とも敵対しており織田征伐では家康に呼応して大坂を攻撃していた。
秀吉にとっては目の上のたんこぶだったわけである。
この戦に秀吉は中国の毛利、宇喜多家からも兵を動員し光秀ら堀家は7500の兵を率いて先陣の1万の羽柴秀次旗下に入ることになった。
他に秀次隊は筒井定次率いる7000の兵。合計24500で編成された。
秀次隊は早速千石堀城を包囲した。
この城には戦闘員、非戦闘員合わせて6000程の人が籠っていた。
「このような城は力で練り潰した方が良いのか、堀殿?」
秀次が光秀に問いかけた。
「秀吉様は城内にいるものは皆殺しにせよとのご命令です。ここはまず1度兵を出し相手の様子を伺うべきかと。」
「ではそのようにいたそう。筒井殿にその役目はお任せいたす。」
「お任せくだされ。」
こうして筒井勢7000が前進を始めた。
「中々しかけて来ぬな。重信よ。」
「ご注意なされよ。雑賀衆は奇襲の達人にございます。」
筒井家の重臣の松倉重信が警告した。
「まあ奴らも大軍を見て怯えておるのであろう。」
筒井勢はその後も全身を続けた。
筒井勢が少し油断した瞬間だった。
「はなてぇぇぇ!」
誰かが叫ぶと同時に茂みから一気に雑賀衆が現れた。
「しまった!」
定次が気づいた瞬間に銃声が一斉に響いた。
前にいた筒井勢がバタバタと倒れ始める。
さらに逃げる間もなく1列目の鉄砲隊が撃ち終えると2列目の鉄砲隊が攻撃しさらに3列目が続けざまに攻撃する。
「おのれ!押し込め!数で圧倒せよ!」
定次は大軍を活かして押し潰すことにした。
それを見た秀次は
「吉政に3000の兵を預ける。側面から攻撃すれば連中は一溜りもないはずじゃ!」
しかしそれを見越した雑賀衆は側面からも鉄砲による猛攻撃を喰らわせた。
これにより1時間足らずで城外には死体の山が築き上がった。
光秀の陣では光秀が真剣に考えていた。
「利宗、城の迂回路はあるか?」
「はっ。搦手から回れば奇襲がかけられるかと。そこに火薬庫がありまする。そこに火矢なり鉄砲を撃てば城は燃えるかと。」
「よし!作兵衛に300の兵を預ける。夜に火矢を撃ち込んで参れ。」
「はっ!」
その日の夜
激戦で敵は疲弊しており注意力が欠けていた。
「よし、放て!」
裏手に回った作兵衛達は一斉に火矢を放った。
作兵衛が放った矢は見事火薬庫に命中した。
「よし。爆発する前に撤退するぞ。」
作兵衛達が撤退し始めると同時に火が火薬庫に燃え移り間もなくドォンと轟音が鳴り響き城壁が吹き飛び燃え上がった。
火の手を逃れるため突っ込んできた雑賀衆は皆ことごとく討ち取られた。
翌日火が収まると光秀は焼け落ちた城を見に行った。
「比叡山の頃を思い出すわ。」
光秀の脳裏には10年前の比叡山延暦寺の焼き討ちが浮かび上がった。
「このような子供まで残酷な……」
遅れて入ってきた定次の声は震えていた。
「フン!我らに逆ろうたのが悪いのじゃ。」
と秀次が焼け焦げた死体を蹴り飛ばした。
その日の夕方
積善寺城を包囲したのは池田恒興を大将に細川忠興、蒲生氏郷など織田家の大名達であった。
こちらも城兵達は抵抗するも数の差には勝てず城は落ちた。
雑賀衆は先鋒さえ追い払えば敵は引くと思っていた。
しかし秀吉の人海戦術の前には歯が立たずその後も各地で連戦連敗し根来寺と雑賀荘は炎上し雑賀衆はここに滅びた。
早速光秀は雑賀衆の残党達を雇い常備鉄砲隊に編成した。
これによりさらに堀軍は強化されストック付き大口径鉄砲と専用具足、銃剣の大量生産を行うこととなった。
次回はあの一族が再登場します




