13 決戦Ⅱ
榊原康政討死
その知らせは直ぐに徳川本軍にも届いた。
「まさか!康政殿が……」
直政は驚きよりも動揺が隠せなかった。
徳川譜代の中でも自分に対して優しく接してくれたのは榊原だけだった。
「許さない……許さない……許さない……」
直政はそう呟きながら拳を握りしめた。
その報告を聞いて黙り込んでいた家康が口を開いた。
「良いか皆の者。敵は我らの策を読んでおった。おそらく我らが今から行う作戦も敵は読んでおろう。そうなれば我らは返り討ちにされる。言いたいことはわかるな……。」
酒井も石川も大久保も皆黙り込んでいた。
「まさか……敵からしっぽを巻いて逃げよと?討死された康政殿は!氏重殿は!死んだ兵たちは!?撤退なんてしたら彼らはなんと言いますか?殿!」
「左様なことは殿も分かっておる。しかしここで我らが攻撃すれば返り討ちにあう可能性が高い。それくらいお主もわかるであろう。」
石川が直政に言い返した。
「三河武士の結束はその程度でございますか?ここで撤退すれば羽柴は攻勢を強めまする。今は我らに味方している北条とていつ西進するか分かりませぬぞ!」
「ではここで犬死するべきとお主は言うのか!」
大久保忠世が立ち上がって直政の胸ぐらを掴んだ。
「もう良い!」
家康が声を上げた。
「小平太も氏重も見事な最期であった。なれば我らも敵と一戦交えなければあの者らに示しがつかぬ。ここで羽柴の先鋒を破り秀吉をも一気に飲み込んでくれよう!」
「では殿!」
皆が立ち上がった。
「出陣するぞ!小平太達の仇をとる!信雄様にも伝達せよ!」
「オォォォォ!」
榊原達の仇討ちという大義を得た徳川勢は一気に湧き上がった。
その頃池田軍の本陣では
「にしても榊原を討ち取るとは……
これで相手も簡単には仕掛けてこぬな。」
池田恒興は楽観視していた。
「どうでございましょう。三河武士は忠義に厚く団結力があると聞いております。むしろ士気があがっているのでは?」
「仇討ちってわけか……」
「では父上、先陣は私にお任せ下さい。」
先陣を申し立てたのは恒興の嫡男元助だった。
「おめえを死なせる訳には行かねえ。姑殿、俺にやらせてください。」
すかさず長可も続く。
「我にとっては元助も武蔵も息子じゃ。優劣は付けぬゆえ元助よ、しっかりとやるのじゃぞ。」
「はっ!お任せくだされ。」
元助はやる気だった。
「申し上げます!後方より徳川、織田勢が攻めてきております。その数およそ9000ほどかと。」
伝令が走ってきて報告した。
「9000か……少し我らの方が有利ですが油断なされますな。」
秀政が元助に忠告する。
「わかっております。池田の名に恥じぬ用戦いまする。」
「頼もしい息子を持ったもんですな。」
「お主とひとつしか変わらんぞ。よし!皆の者、抜かりなく。」
そう恒興が言うと諸将は配置に着くため解散した。
徳川勢の先鋒の井伊直政の目は怒っていた。
自分が慕っていた康政の仇討ち。
直政に取って絶対に負けられない戦いだった。
「皆の者……行くぞ!井伊の赤備えを見せつける時が来た!」
直政がそう叫ぶと赤の甲冑で統一された騎馬武者が一斉に走り出した。
元々赤備えは武田家の山県昌景が考案したものだったが武田家滅亡後に直政が引き継いでいた。
光秀と恒興はその赤備えの恐ろしさをよく知っていた。
(元助殿で大丈夫であろうか……)
光秀は内心不安だった。
そんな不安を他所に元助は4000の兵を率いて3000の井伊勢を迎え撃った。
「赤備えなど武田の真似事に過ぎん!長篠の時のように鉄砲の餌食にしてくれるわ!」
バン!っと重い音が続けざまに戦場にこだまし井伊勢に襲い掛かる。
「皆の者!馬上盾じゃ!馬上盾を使え!」
すると一斉に赤備えの騎馬武者達は分厚い木板のようなものを甲に結びつけ胸の前に向けた。
「なんじゃあれは!」
元助は見たことも無い物に驚いていた。
この馬上盾は榊原が鉄砲による迎撃で押されたことを知った直政が急いで用意した簡易的な盾であった。
1枚では薄いものの何枚も重ねた木板は鉄砲の鉛玉を受け止めた。
「赤備えよ!恐れるな!突っ込めぇぇぇぇ!」
「おのれ。白兵戦に持ち込む気か……ならば受けてやろう!皆の者かかれぇ!!」
池田勢も一斉に全身を始めた。
赤備えと池田勢が激突している頃。
戦場の左翼では徳川家康率いる徳川本体と堀勢による戦闘が始まっていた。
「誰が挑もうと同じじゃ!羽黒の時のように打ち破ってくれる!」
徳川の先鋒の大久保忠世率いる1000の部隊が堀勢になだれ込む。
三河兵の強さに対し堀勢は少しばかり押されていた。
「まずい!引くぞ!引けぇ!」
柴田勝定が撤退を命じると堀勢の先鋒部隊が一斉に撤退を始めた。
「やはり羽柴など、大したことないのう!皆の者追うぞ!小平太の仇を取れぇぇぇ!」
大久保が一斉に攻撃を命じた。
「まずい!あれは罠じゃ!新十郎(大久保忠世)を止めよ!」
それを離れた丘から眺めていた家康はすぐにそれが光秀の罠だと気づいた。
しかしそんな遠いところからの家康の声など忠世には届いていなかった。
逃げる堀勢を忠世は背後から大太刀で切り裂き撫で切りにしていた。
「よし!このまま秀政の首を取るぞ!」
忠世が兵に命じた時だった。
「柴田隊伏せよ!」
そう光秀が大声で叫んだ。
一斉に柴田隊が伏せるとその向こう側には大量の鉄砲の銃口が大久保隊に向いていた。
忠世がなにか言おうとした瞬間だった。
一斉に鉄砲が火を吹き大久保隊に襲い掛かる。
忠世も額に弾丸を受け血を垂らしながらその場に倒れた。
「今じゃ!柴田隊攻撃再開!」
光秀が命じると伏せていた柴田隊は一斉に起き上がり慌てふためく大久保隊を掃討し始めた。
「やられた……」
家康はもうこの戦に勝ち目がないことに気づいていた。
信雄が長可に勝てるはずもない。
そんなことはわかっていた。
案の定、森勢の圧倒的な勢いに戦下手の信雄は一溜りもなく瞬く間に壊滅していた。
「もはやこれまでじゃ、我らは兵を引くぞ。万千代にも撤退するようにと命じよ。」
そう使者に命令すると徳川本体は撤退を始めた。




