指のない花嫁 7
弔いの鐘がなる。
街の教会には黒衣を纏った人々が集っていた。それぞれが暗い影を双眸に映す。葬式の日には似合わない程の晴天だった。
「結婚式、来月だったのに……!」
数多くの女性が彼女の死を悼んでいる。固まって泣いて、お互いを慰め合っていた。フローリカ=トルエの交友関係は広かったが、各々と良い関係を築いていたのだろう。
俺は、彼女の事件を担当した自警団員として葬儀に参列していた。彼女に供えるための花束は二つ。一つは自警団からの百合の花。もう一つは、雑貨店の店主からだった。黒の中で輝く、真っ白なカーネーション。
店主に、自分で供花してはと進言したが、「うちの子のせいで事件が起きたかもしれないのに、どんな顔して行けばいいかわからない」と断られた。カーネーションの花言葉は「私の愛は生きている」だそうだ。彼女と話をしていると新しい知識に出会う。花言葉も初めて知った。いまだ外れぬ、フローリカ=トルエの指輪はまさに愛が生きている状態という訳だ。ふと、前方にこれを伝えるべき相手を見つけ、声をかける。
「……エリオさん。此度は、心よりお悔み申し上げます」
「テディさん、わざわざ、どうも。……犯人を見つけてくださってありがとうございました。フローリカの指も、指輪も見つかって、よかったです」
「はい。エリオさん、顔色がよくないですが、どうかお体に気をつけて」
「……ありがとう」
犯人とその動機を伝えた時の彼の憤りは凄まじいものだった。雄叫び、目が溶ける程に泣いた末に気絶し病院へ搬送された。……愛おしい人が、理不尽に殺される辛さはよくわかる。耐えがたい地獄だ。
「フローリカの、僕の花嫁の姿を見てあげてくれませんか。彼女もあなたには感謝していると思います」
「…っ、はい」
目尻には今にも零れそうなしずくが揺らいでいる。過去の自分を見ているようで、息がしにくくなった。教会のステンドグラスが眩しい。いくつもの色彩の木漏れ日の終着点には、ステンドグラスに負けない程の鮮やかな花々が描かれた白い棺があった。フローリカはあの箱の中で眠っている。
喪服の女性達の後に続いて、供花を。
「!!」
「きれい」
「フローリカっ……!」
棺を前に感嘆の声を漏らす人々。凄惨な遺体を目の当たりにした反応ではない。どういうことだ?と小柄な女性達の上から覗き込む。
「こ、れは……!!」
“僕の花嫁”
彼がそう言った理由がわかった。鮮やかな棺の中には真っ白なドレスと、淡い水色のベールをつけた花嫁がいた。切断されてしまった指を隠すように、大輪の花束が添えられていた。花の種類は俺にはわからないが、彼女の瞳と同じ深緑色だった。
「フローリカ、生きてるみたい」
誰かがぽつりと言った。確かに生きて、ただ眠っているだけに見える。薄いベールの一枚向こうにある花嫁の顔は、美しかった。色白で触れれば柔らかな感触を伝えるだろう肌。震えそうな睫毛、ほんのり薔薇色に色づく頬、ぷるりとした唇。ドレスと花束が事件の痕跡を隠し、ベールは彼女が死者である事実を柔らかく隠していた。
「魔法って、すごいですよね。最期をこんなに綺麗に彩ってもらえるなんて」
「エリオさん」
ベールの上から花嫁の頬をなぞる彼。彼もまた喪服なのだが、一瞬タキシード姿に錯覚してしまいそうだった。
「このベール、魔法雑貨店の方が注文いただいてた品ですって、持ってきてくれたんです。【魔女のウェディングベール】……。花嫁が結婚式で一番輝ける魔法がかかってるそうです」
「ベールは普通の品でのオーダーだったと聞きました。これは彼女からの結婚祝いだったと…いえ、結婚祝いですね」
「あはは……とても粋なことをしてくれる魔女さんですね」
「実はその魔女さんから他にも預かっていることがありますよ」
花嫁へカーネーションを供え、エリオさんに店主からの言葉を伝える。
魔法具は生者のためのもの。死者になった時点で指輪は外れる。その指輪が外れないなんて通常ありえないことだ。それだけフローリカさんはエリオさんを愛していたし、これからもずっと変わらない。まさに【永久のシグニットリング】だった。死が二人を別つまで、いや死すらも二人を別つことは出来ない。この指輪は強く想い想われたあなたの誇りになるだろう。
「はい…っ、はい。ありがとう。フローリカが今も愛してくれている。僕は、幸せです。……たとえ彼女が隣で笑っていてくれなくても」
俺が話をし終わる前に、彼の瞳からは大粒の雫がはらはらと流れ落ちていた。
✡✡✡
葬儀はしめやかに執り行われた。痛ましい事件だったが、彼女を見送る人々の表情は悲しいだけのものではない。入れ代わり立ち代わりやってくる弔問客は、彼女の晴れ姿に嘆息を漏らしていた。出棺の時間はもう間もなく。
一足早くこれからフローリカ=トルエが沈むであろう霊園へ向かうことにした。俺はあの場では部外者に等しいのだから。霊園には彼女の両親も眠っている。両親の隣に真新しい十字架が建てられることになるのだろう。
霊園の道すがら、黒のワンピース姿の店主が佇んでいた。長い髪は後ろできっちりとまとめられている。春の日差しに、白い肌と喪服のコントラストが眩しかった。
「来ていらしたんですね」
「フローリカを見送るだけね。あと私、きみに謝らなきゃと思って」
「え?何かありましたっけ」
思案してみるが、出会ってから事件解決まで衝撃的なことばかりで思い当たるものがすぐ浮かばない。
「病院に連れてってもらったでしょ?あれ、犯人のことなんて考えてなかった。ただフローリカを見たかっただけでさ」
「あ!?そういえば!結局あの時何を調べたかったんですか?」
そうだった。気になることがあるから会わせてほしいと言われたんだった。犯人わかった!の爆弾発言のせいですっかり忘れていた。
「【魔女のウェディングベール】にかける魔法の強弱を見極めたくてね。なんせ死人に商品を作るのは初めてだったから」
「え、じゃあ犯人がわかったのは!?」
「全くの偶然。いやぁよかった。手掛かりがなかったらフローリカを見終わった後ひたすら謝って解放してもらおうと思ってた」
「なんつー真似するんですかあんたは……」
俺はがっくりと頭を垂れた。利用されていたらしい。しかし、初めて店を訪れた際、彼女は死者のことなどどうでもよさそうに見えたのだが、そうではなかったのか。わざわざ通常のベールを魔法のベールに変えるくらいには、殺されたフローリカ=トルエのことを考えていたのだ。その事実に、項垂れつつも嬉しくなっている自分がいた。
「ほんと、ごめんなさい。でもいい品が作れた。あっ!応用して死者のためのフェイスベールを作ろうかな。黒のレース編みのベールにして時間が経った遺体の顔も綺麗に見えるっていう。いいと思わない?」
早く帰って製作に取り掛かろうと、浮足立っているのが俺にもわかる。店主の第一は魔法の商品なのだろうが、そこには確かに使う者への気遣いが含まれていた。
「遺族に優しい品だと思います。フローリカさん、とても綺麗でしたよ。あのベールには、エリオさんも彼女のおばあさんも感謝していました」
「うふふ、よかった」
俺の言葉を受けて、彼女は心が弾むような笑顔から、落ち着いた微笑みに転じた。
「エリオさんですが、悲しいけど愛されているから大丈夫だと言っていました。彼は今後も生きていけるでしょう。正直、後追い自殺をしてしまうんじゃないかと心配してたんですが」
「あぁ……繊細そうだもんね」
「あなたと、あなたの魔法具のおかげだと思います」
店主からの伝言は確かに彼の救いとなったと思う。
「いや、私じゃなくてテディくんの功績でしょう」
「俺?」
ふっと教会を見つめる彼女。俺は、犯人を捕まえた。ただ自警団として当然の仕事しかしていないが、何がエリオさんのためになったんだろう。
「きみの誠実さ、実直さがあったから私の言葉がエリオに自然に伝わったんだよ。なんというか、信じたいと思わせる雰囲気?がある。才能の一つだね。大事にするといいよ」
「そんな風に褒めてもらったのは、久しいです……。周りからはよく馬鹿正直とは言われますが」
「私は何考えてるかわからなくて不気味と言われる」
「や、そんなことは……」
あぁー……、店主さんと関わってから何度か思った気がする。俺の反応は想定内だったのか、くすくすと笑い声が聞こえた。
教会の方から一際大きい鐘の音が空に響く。花嫁の棺がゆっくりと運ばれて来るのが見えた。真っ黒な列がぞろぞろと棺の後を追っている。じきに俺達の横を通り過ぎるだろう。
「とにかく、きみから伝えたことに意味があった。ありがとう」
「こちらこそ。……魔法の類は苦手だったんですが、知ってよかったと思うこともありました」
「うん。今度店に来るといい。安くしとくよ」
「あの噛んでくる植物は勘弁してくださいよ」
「言い聞かせておく。じゃあね」
「はい」
棺を見送ると、店主はひらひらと手を振って霊園を背にした。
少しずつ小さくなる背中を見ながら、この事件を振り返る。……親友を殺めるにまで至った口紅。指を切断しても外れない指輪。死に顔すら美しく飾るベール。魔法は訳がわからなくて怖くて嫌いだった。だが、魔法よりも女性の情念のほうが本当は恐ろしいのかもしれない。同時に、切なくて美しい。
思考の海から顔を上げると、店主の姿はもう見えなかった。春の透き通るような空は、彼女の瞳と同じ色をしていた――。
指のない花嫁 end
次回は魔法雑貨紹介