指のない花嫁 6
自警団詰所、1階談話室。
待ち人の元へ向かうと、今日は霊安室の警備ではなかったらしい先輩が女店主と楽しげに話をしていた。この人は……俺が真面目に仕事をしているというのに。
「へぇ~中央都市の生まれなんだ~!だから歩き方とか姿勢とか綺麗なんだね。いいとこのお嬢さんでしょ?」
「いえいえ、ただの雑貨店の娘です。この街にも出店しているんですよ。お暇な時にいらして下さると嬉しいです」
「いいねぇ!お嬢さんに会えるならいくらでも通うよ~」
「お待ちしております」
「おいあんた口説くのをやめろ。あとあの店は噛む草がいて危ないぞ」
「ちょっとテディちゃん、俺先輩よ?敬語は?あと噛む草って何?」
「あなたも集客業務は後にしてもらえませんか。それに、ただの雑貨屋じゃないでしょう」
「ふふ、いいじゃない。ずっとここに箱詰めにされて暇だったんだから」
「おい無視すんなよー」
先輩の威厳が欠片もない相手には、敬語もまともに取り合う必要もないだろう。……店主は、暇つぶしに先輩の相手をしていました、とそれとなく言っているような気がしたのだが。これは彼には教えないでいてあげよう。俺優しいし。
先輩の隣に座る彼女。ただの雑貨屋の娘ではない。この街唯一の魔法雑貨店の店主だ。今回の事件に深く関わっていた二つの魔法具。それはこの店の商品だった。
「それで、私はそろそろ帰っていいの?」
「すいませんが、もう一度話を聞かせてもらってからになります。今朝はバタバタしてましたから」
「わかった。手直し中の子がいるからさっさと済ませましょ」
なぜ犯人を見つけられたか?
それはこの店主のおかげだった。
数時間前、霊安室を出た後、店主は犯人の痕跡について話をし始めた。店主は自身の唇をなぞり、俺に指を見せた。差し出された指先には薄い紫がかった赤の塗料。女性の化粧には詳しくないが、それが何なのかはわかる。
「口紅ですよね。これが何か?」
「この口紅と同じものがフローリカの唇にも少しだけどついてた」
「フローリカさんの物じゃないんですか?」
「彼女は私の店に来たとき薄い桃色の口紅だったよ。その上から重なる色があった。これはうちで今月から取り扱い始めたルージュ。【心揺さぶるルージュ】だよ」
確か、初めて店に出向いた時に今月のお勧めだと店主が言っていた商品だ。
「今月入荷したばかりの蒼毒蝶のリンプンを使ってる。私が独自に調合したルージュだから他にはない。リンプンも希少素材だよ。一般人が入手するのは無理だと思う」
「じゃあ、それを持ってる人物はエリオさんと別れた後フローリカさんに会った重要参考人!もしくは犯人ってことですか!」
今月から売り出された商品、今月入ったばかりの希少素材……。告げられた情報を整理すると、自ずと答えは導き出された。
「これを持っているのは店のオーナーの私と、一本だけ買っていた女性がいる。その女性、怪しいね」
その後、俺は大急ぎで詰所にいる団長と検死官に連絡をした。遺体の唇についた成分の分析と、店主から預かった荷物の中に同じルージュが入っていたので鑑定をしてもらった。口紅を購入した人物について、店主は名前を聞いていたそうだ。「大事な商品を嫁がせる相手の名前くらい聞いておいてもいいでしょ」と俺には理解できない理屈を話していたが有難かった。
その女性は、フローリカ=トルエの交友関係者リストに記された人物だった。被害者の親友だったタニヤ=ラサだ。予め調べてあった自宅に行くと、彼女の私室には拭き取りきれなかった血痕が残されており、更には瓶に入った指が隠されていた。切断に使ったと見られる鉈も発見。牛舎の片隅には、牛の世話の道具と藁に隠された血痕があった。ここで指を切ったのだろう。そして、彼女のポーチからは例の口紅が出てきた。全て完璧な証拠だった。
「犯人は、なぜあなたの店に行ったのでしょう」
「友人の紹介だって。フローリカがここで指輪を作ることにした、とか言ったんじゃないかな。タニヤは結婚祝いの品を買ったついでに、ルージュを買っていったんだよ」
「結婚祝い……」
本当は、ちゃんと祝福するつもりだったのか。
「【マリーズカトラリー】という品を買ってくれた。このカトラリーを使って一緒に食事をした男女は、普段より食事が美味しく感じられる」
「とてもいい……魔法具ですね」
「ありがとう。あの夫婦にぜひ使ってもらいたかった」
「なぜ、タニヤさんは二人の結婚を祝う気持ちがありながら、犯行に及んでしまったんでしょうか」
納得がいかなかった。拘留室での彼女の様子は、とても近々結婚する友人に祝いの品を送るような女性に見えなかったのだ。
店主の顔が曇る。
「私が売った、【心揺さぶるルージュ】のせいかもしれない」
「どんな効果なんですか……?」
「このルージュには、恋をしている女性がつけると勇気が湧く魔法がかけられてたの。好きな人に話しかけたい、プレゼントを贈りたい、告白したい。そんな願いをそっと後押しするルージュだよ」
愛しい人を殺す勇気なんて、湧く筈がないんだけど。
と店主は続けた。店主の話が本当なら、確かに口紅が犯行のきっかけになったとは思えない。
「どこでタニヤさんは狂ってしまったんでしょうか……。告白して、でも叶わなかった。本人は最初からそのつもりで、告白の後はフローリカさんに結婚祝いの品を渡す予定だったでしょうに」
「そうだね。……あのね、ルージュに使った希少素材、蒼毒蝶のリンプンなんだけど。蒼毒蝶のオスは春にメスに求婚して、めでたく結ばれればそれでよし。でも結ばれなかったオスは、求愛のためのリンプンが止まらなくなる。そうなった蝶はそのままリンプンを出し続けて、いずれ死ぬ。その死の間際に出るリンプンは特別な物でね。それが、ルージュに使ってた希少素材いう訳。『どうか次の恋は芽吹きますように』片思い中の女性にぴったりのルージュだよね」
「え、は…い。」
蒼毒蝶という名の蝶は先日まで存在すら知らなかった。しかし、恋に生きた蝶というのは、女性が好きそうなものに感じる。店主の意図がわからず困惑していると、そんな俺の様子を見た店主は更に説明を続けた。
「タニヤは、魅入られすぎたのかもしれない」
「魅入られた?」
「極々稀に、魔法具の持つ効果が過剰に作用したり、魔法具の素材そのものの効果に引っ張られすぎる人がいる」
「彼女がそうだったと」
「前例がほとんどないから、確証はない。魔女界の“イレギュラー”だよ。彼女は、恋叶わず死んでいった蝶の思念を色濃く受けて、思考が飛躍してしまったのかもね」
「そういえば彼女、一度でいいからキスしたかったと何度も言ってました」
「想いを伝えるために勇気をもらったのに、いつの間にかどんな手を使っても想いを遂げる、になってたのかな。憶測だけど」
「そう……ですか」
ああ、やはり魔法なんて碌なもんじゃない。この口紅がなければ……。そうだ、魔法具なんてものが存在しなければあの時、俺の……。いや、今は俺のことを考えている場合ではない。この口紅がなければ、と思うのは事実だが、魔法具全てが悪いものではない筈だ。フローリカさんとエリオさん夫婦は指輪をとても喜んでいたし、カトラリーも良い品だと思う。
「ねぇ私、罪人かな。殺人教唆とか?」
店主は整った眉尻を下げてそう尋ねた。
さて、傷害・殺人事件に魔法具が関わっていた場合、魔法具の製作者も何らかの罪に問われるのか?答えは否、だ。普通のナイフで人を殺した時、ナイフの製作者に罪はない。使った奴が悪い。魔法具も同様だ。しかし、殺意を抱かせる魔法のナイフだったら?その場合は魔法具製作者が断罪される。そして、断罪するのは街の自警団では無理だ。中央都市の魔法担当の警備隊に任せることになる。
【心揺さぶるルージュ】は警備隊の手に渡るが、この口紅は殺意を抱かせるための物ではない。恐らく店主は何の罪にも問われないだろう。そう説明すると、店主は強張った表情をやや緩ませた。
「そっか……。法律的に問題がなくても、人が死んだ事件に関わっちゃったからね。この子はもう店には出せないな」
彼女は悲しそうに自身の唇をそっと撫でた――。