指のない花嫁 3
こうして、俺は魔法雑貨店の前にいる。正確には、エリオの話を聞いて店に直行した際、午後2時だったにもかかわらずこの店は閉まっていた。2日は夕方まで開いていたはずでは!?と看板を見ると、【営業時間→気が向いた時~疲れた時まで】となっていた。俺は脱力するやら腹立たしいやらで怒涛の勢いで呼び鈴を鳴らしたのだが扉が開くことはなく、店への聞き取りは翌日、翠玉の月5日に繰り越してしまったのだ。
店は、山道へ続く北側の郊外路地裏にひっそりと佇んでいた。この街は元々は山だった斜面を削るようにして出来た街であるため、坂道や階段が多い。この路地裏も階段とゆるやかな坂で出来た人通りの少ない場所だった。
エリオが言った店はこの街唯一の魔法を取り扱う店だ。魔法店自体ここ数十年で減っており、国にも片手で数える程度しかないのだが。そういえば何故、ここの店主はこんな国の中心から離れた地の路地裏に店を出しているのだろうか。魔法を込めた品など大抵は高価で、この小さな街では魔法に通じる者も購入できる者も少ないと思う。
「まあ、俺が考えてもわかることじゃないか。……よし、行くぞ」
気合を入れ、扉に手を掛ける。ぎぎぃと古びた蝶番が音をたてた。一歩足を踏み入れるとそこはまさに異世界。建物は古く、壁と床の木材の色が変質している箇所が目立つ。商品棚などは新しいみたいだが、逆に違和感ありありだ。
「んっぐ、狭い」
入り口から奥へ向かう通路は大人二人がすれ違う際は体を横向きにしないと通れない程。体格に恵まれ、自警団員として鍛錬を欠かさない俺には狭すぎる。ただでさえ狭い通路なのに、その両側の棚にぎっしり詰まれたよくわからない商品と中身不明の硝子瓶が余計に通りにくくしている。俺は、決して商品に当たらぬよう、慎重に体を進めていった。
1メートル程進んだ先は、これまた幾つもの棚と、隙間なく詰め込まれた商品で溢れていた。店内に人の姿はない。
「すいませーん!誰かいませんか?」
返事は返ってこず、吹き抜けになった2階の天井に声が響く。部屋の中央にアンティーク調のシャンデリアが煌めいていた。
「すいませーーん!!自警団の者なんですけどぉ!」
再度店の奥、会計カウンター横の扉へと声を掛けるが、返事どころか人の気配すら感じられなかった。2階部分を見上げるがそこにも誰もいない。おかしいな、昨日は決して開かなかった扉が開いていることから営業時間であるのは確かな筈だが。
このまま帰る訳にも、店内奥の関係者以外立ち入り禁止の扉へ進む訳にもいかず、辺りの棚を手持無沙汰に見回した。素材棚と書かれた棚がある。
「なになに……素材、ゆらめく月の雫、一つ目蠍の鋏、墓場の赤土」
人魚の涙結晶、輝く湖の水、ヒヒイロカネ、各種ハーブ等々。どこから見つかる素材だろう。どう使用するものなのか、全くわからない。その他にも鉱石や何かの液体があるが見るのをやめた。素材がいくらあっても、俺が見たところで活用しようがないのだから。隣の商品棚を見てみる。
アロマキャンドル、口紅、鉱石のネックレスとピアス。何だ、まともそうな商品も結構あるらしい。続けて見ていくと、水晶の花、海を閉じ込めたボトル、エルフの地図、魔女の痩身クリーム、女神の落とした靴、ハートを射止めるチョコレート、あなたも出来る簡単なまじない百科……。前言撤回、まともじゃない商品の方が圧倒的に多そうだ。先程見た素材からこれらが作られるのだろうか。魔法というものは本当に訳がわからない。
商品ラベルの下に書かれた説明文を読もうと屈んだ時、突如よく通る声が部屋に響いた。
「いらっしゃい」
「ほぅあっ!?!!?」
扉の音も、階段を下る音もしなかったはず!?
真後ろから掛けられた女性の声に、全身が飛び跳ねるように驚いてしまった。商品を手にしていなくてよかった。落とすところだっただろう。
「い、いつの間に後ろに!?」
勢いよく振り返り背後の声の主を確認したかったが、狭さゆえ不審な動きで振り返ることになった。まだ心臓がドキドキしていた。
「普通に近づいて声を掛けたよ。初めて見るお客さん」
そこには、まさに魔女という他ない女性の姿。黒いマントを羽織り、妙な石がついた杖をつき、爪は長く鼻は鷲鼻で歪んだ口元からは「ヒッヒッヒ」と笑い声を漏らす老婆……などではなく、若い女性が佇んでいた。
しかも、とてもきれいな人だ……。俺は生まれも育ちもこの街だが、こんな人は見かけたことがなかった。すれ違えば必ず記憶に残るような人なのに。それはただ美人だからという短絡的な理由ではなく、彼女の外見に絶対的な特徴があったからだ。彼女の腰まで届く長い髪だけは、想像していた老婆の魔女のように真っ白だった。ゆるく波打つ髪は上質な絹糸のよう。毛先だけが、なぜか青く染まっていた。髪の先にいくにつれ少しずつ濃くなる青色は、この街から遥か遠くにあるという海を模しているようだった。白い髪に負けず劣らず白い肌が、少し古いデザインの紺のワンピースから覗く。
「何をお探し?今月のおすすめは【心揺さぶるルージュ】だよ」
「あ、いえ、俺は客じゃありません」
「彼女へのプレゼントにどうぞ」
「いやだから客じゃなくて……」
話聞かないタイプだ、この人。
にこにこと人のいい笑みを浮かべて、美しい細工箱に納められた口紅?を差し出されるが、受け取らず話をしようと彼女を見る。彼女の双眸は、棚に並ぶ素材と間違えてしまいそうで。澄んだ青色硝子そっくりの瞳だった。この地域では碧眼は珍しい。つい一瞬見とれてしまって、それを隠すように慌ててこの店に訪れた理由を説明し始める。
「俺は、客ではありません。自警団のテディ=ウィームス団員です」
「ああ。亡くなったうちのお客さんのことでしょう」
「えっ、ご存じでしたか。こちらで指輪を購入された婦人のご遺体が発見されたこと。その事で話を聞きたくて来たんです」
「昨日何度もベル鳴らしててうるさかった」
「いやいたのかよ!!」
この女性、もとい店の主人は俺が昨日訪ねた際は居留守を使っていたようだ。昨日は仕方がないから、被害者の友人関係を洗っていたんだぞ。交友関係が広くて苦労した。……目ぼしい人物は挙がらなかったけど。昨日のうちにこの店主から話を聞けていれば事件の早期解決の糸口が見つかっていたかもしれないのに。
「事件を知っていたのなら、指輪が指ごとなくなっていたこともお気付きでは?なぜ情報提供しなかったのですか」
「情報提供?そういうものなんだ、ごめんね。じゃあ次はお話しに行くね」
じゃあ次は、ってそんな何度も事件があったらたまったものではない。笑顔のまま喋る店主に苛立ちが募る。
「で、話を聞きたいんですが。事件被害者のフローリカ=トルエさんと、その婚約者の男性エリオ=ロンゴさんが指輪をこの店で購入していませんか」
「売ったよー。2ヶ月前にオーダー受けて、今月の2日に渡してる。いい出来だった」
「出来はともかく……。その指輪には特別な魔法がかかっていると聞きました。詳しく教えてくだうおぉあぁ!?」
「こら、だめよウルフちゃん」
さっさと話を聞きたかった。順調に必要な情報を手に入れている最中だったのに、いきなり左袖を蠢く植物らしき何かに噛み付かれ体が跳ねる。
「何スかこれはぁあっ!!」
「愚者のハエ捕り罠、別名ハエトリソウ改良版」
「そういうことじゃなくて!」
ハエトリソウは知っているし見たことがある。2枚の葉で挟み込み虫を捕獲する食虫植物だ。だがこれは明らかに大きいし、葉っぱの縁のトゲがトゲのレベルではなく、最早キバに見える。
噛まれた袖を振り払い距離を取ると、どうだと自慢げな顔をした女店主がこちらを見ていた。
「従来のハエトリソウに銀狼のキバを合成したらこうなった。もうハエじゃ満足しなくて、たまに小さな鼠を食べたりするの。すごいでしょう」
「こいつには俺の制服が鼠に見えたんですか」
「最近は窓から見える小鳥も食べたそうにするから困っててね。どうすればいいと思う?」
「知るか!」
危険すぎるわ。また俺の話聞いてないし。美人だし笑うと可愛いと思うが、変人だ。魔女は皆こうなのか?もう早く帰りたい。帰ってあったかいごはんを食べたい。
「あの、話の続きを……」
「ここだと落ち着かないから奥へどうぞ」
「えっあ」
キバをがしがし鳴らす植物を隅へ除け、店主は奥へと手招きした。俺にはゆっくりしている暇も心の平穏もないが……この奇怪な商品に囲まれて話を聞くよりは安全か。
関係者以外立ち入り禁止のその奥へ進むと、こぢんまりとしたスペースに机と椅子のセットがあった。水晶が入った丸いフラスコが置かれ、鉱石占い30分2,500ルビと書いてある。店先には何も書いてなかったが、占いもやっているのか。
店主に促されるまま椅子に腰かける。
「お茶淹れてくるからちょっと待ってて」
「えっ、お茶はいいですって!話だけ……」
言い終わる前に店主は部屋を出て行ってしまった。ここに来てから彼女に振り回されっぱなしだ。少し団長に似てて切なくなる。どうして俺の周りにはこういうタイプの人間しかいないのだろう。
薄暗い部屋で一人落ち込みながら待っていると、カップとソーサー、ティーポットを載せた盆を持った店主が戻ってきた。全て硝子製のティーセットだ。店主の趣味だろうか。店の商品にも硝子製の物や硝子瓶が並んでいたな。
「はい、ハーブティー」
「あ、ありがとうございます」
穏やかで、どことなく気品を感じる所作で透明の器にハーブティーが注がれていく。その薄い黄色の液体は温かく、いい香りが湯気と共にふんわり広がった。これも魔法の品の一つだろうか。飲んでも問題ない……?面と向かって聞くのは失礼だが聞かずに飲むのも勇気がいるなと考えていると、店主が俺の向かいに座り、自分の器にもハーブティーを注ぐ。
「ブレンドハーブティーだよ。ハーブは普通のしか入ってないから安心してどうぞ」
「すいません、いただきます……」
考えを見透かされたみたいで恥ずかしい。湯気がたつお茶を口元へ近づけていくと、柑橘と花の香りが混ざった香りが鼻孔をくすぐる。一口含めば自然由来の甘味が広がり、思わずほっとした。優しい味だ。
「おいしいですね」
「何が入ってるかわかる?」
「いえ、ハーブティーは普段飲まないもので」
というか、20年生きてきて初めて飲んだ。先程ブレンドハーブティーと言っただろうか?いくつか混ぜてこの味にするとは、奥が深いと感心する。
「5種類入ってるの。全部当てたら安く売ってあげる」
教えてくれる訳じゃないのか……。彼女は掌を広げ、笑顔を浮かべた顔の横へ上げた。ああ、この人のペースに乗っかっていてはいけない。そもそもお茶を飲んでまったりしている場合でもないのだ。話を始めよう。
「それで、例のお二人に売ったという商品にはどんな魔法がかかっていたんですか?」
「【永久のシグニットリング】っていって、まあ結婚指輪だよ。身に着ける夫婦の想いに反応して指から外れなくなる」
「無理に外すことは出来ないんですね。高価な品だとエリオさんから聞きました。欲しがる人も多いのでは?」
「確かに高価だね。でも希少素材を使ってる訳じゃないよ。リングの部分にはプラチナと想月石と二人の生血を錬金してる。真ん中の石はスフェーンで、想月石と生血以外は街の宝石店でも手に入る。花嫁一人狙うより仕入れ帰りの宝石商を殺した方が儲かると思うよ。それに、このリングの魔法効果は生血を入れた二人じゃないと発揮されない」
世間話をするように茶をすすっているが生血だのなんだの、さらりと恐ろしいことを言っている。
「なら、やはり指輪に特別な思い入れがある人物か……」
「彼女ら以前に売れたのは半年前だよ。それから欲しがる客や商品について尋ねる客は来なかった」
カップを置き、頬杖をついて店主はこちらを見遣る。特に犯人の手がかりになりそうな情報は挙がってこない。自分が持つ資料を再度見返し、他に聞くべきことを思案する。が、「そういえば」と店主が声をあげた。
「リングの他にもフローリカから注文をいただいてたよ」
「何をですか!?」
「ベール。結婚式に花嫁が頭につけるやつね。ドレスは手作りらしいから完成図を見せてもらって、それに合わせて作ってた」
「そちらにも魔法が?」
「普通の品でとオーダーされたよ。リングで予算オーバーしたみたい」
店主はもうすぐ完成だったのに残念だと、しょんぼりしている。フローリカさん達の幸せな姿をその目で見たはずなのに……何も感じないのだろうか。彼女からは作った商品が無駄になったことへの落胆しか見られない。彼女の眼も硝子のように、ただ物を映すだけで人の心根は感じないのか。
少し……虚しい気持ちになり手元のカップを見る。ややぬるくなったハーブティーがゆらいでいた。
「私がお話出来るのはそれぐらい。常連のお客さんじゃないしね」
「わかりました。あ、お店を出た後二人はどこへ向かったかとかご存じないですか?
「知らないなぁ……。指輪を渡したらすごく喜んで店を出て行ったのは見たけど。ああ、しばらく店の前が騒がしかったからその場で指輪をつけてったのかもね。うちに来るお客さんは商品をすぐ使いたがる」
魔法具は見てるだけでもわくわくするし、手に入ったら必ず使いたくなるものだからね。と彼女は続けた。
「なるほど。あ、あとこれは形式上誰にでも聞いてることなんで気を悪くしないでお答えいただきたいんですが、2日の深夜から翌日朝にかけて貴方はどこにいましたか」
「日付が変わってから3時頃まで馴染みのお店に行ってたよ。そこ、夜しか開いてなくてね。確認するなら店の場所を教えるけど」
「お願いします」
深夜でなければ開いていない店か。魔女らしいといえばそうだが、そんな都合のいい所があるのか。まあ今夜確認すればいいことだ。店主からもらったメモには丁寧な字で営業時間は深夜0時から3時と書いてある。酒場だろうか?
「ありがとうございました。他に何か思い出したことがあれば連絡をお願いします」
自警団の詰所の番号と念のため俺の自宅番号も渡す。一応、この店主も犯人候補なのだが、この店から遺体発見現場まではかなりの距離がある。店主の細腕で遺体一人を運ぶのは相当難しい。そして、被害者との接点は店の客と従業員という点以外なさそうだ。俺が描く犯人像とは一致しない。
怪しい人物は新たに挙がらなかったが、指輪にかけられた魔法が確定しただけでも上々の成果だろう。あとは指輪を受け取ってからの被害者の足取りと友人関係の詳細を探ってみよう。夜は店主のアリバイの裏を取りに行く。アリバイが証明されたら店主が犯人の可能性は限りなく低くなるな。
俺はこの後すべきスケジュールを頭の中で組み立てる。残りのハーブティーを一気に流し込み、ごちそうさまでしたと席を立った。が、扉へ向かう前に店主から思いもよらない言葉が発せられた。
「ねえ、フローリカに会わせてくれない?」
「は!?いやいや出来ません!一般人にお見せできませんよ!」
あまりに予想外の言葉につい大声になってしまった。フローリカ=トルエの遺体はまだ埋葬せず安置されているが、家族・友人ではないのだ。遺体と対面するにはそれ相応の特別な理由と許可がいる。
「ちょっと気になることがあるの。頼むよ」
「気になることとは?というか、なんで急に?」
「それは企業秘密。でも見ておきたい」
「俺が代わりに見てお伝えしますから、ご遺体に会うのはちょっと」
「君じゃだめ。実際に私が見ないとだめだと思うよー」
そう言い、店主も残っていた茶を飲み干す。上品な動作で立ち上がると俺の横にぴったりと並んだ。こちらを見上げる二つの硝子玉を見返すが、真意は図れなかった。
「頼むってば」
「無理です」
「会わせてくれたら犯人わかるかもよ、私」
「……それは魔法の力でか。悪いが俺はそういうのは信用してないんで」
「つれないねぇ。でも魔法は抜きにして、フローリカに最期に会って話したのは犯人。その前は彼氏さん。その前が私かな?近い時間に会ってると思うし、変わったことがあれば気付けるよ?」
「それは、確かにそうですが……」
「私を重要参考人として連れてけばいい。ほんの10分で済む」
「……」
店主の言う事にも一理ある。彼女は一体何が気になっているのだろうか。まさか確証がないだけで実は犯人の心当たりがあるとか?「犯人がわかるかも」という台詞はその意味なのだろうか。
この事件の担当は俺だと団長からお墨付きをもらっている。俺が事情を説明すればご遺体と会う許可は得られるだろう。しかし、この店主が犯人という可能性だって捨て切れた訳ではないんだぞ?そんな相手をむざむざ遺体に近づけていいものか。
「見るだけ。妙な動きをしたら逮捕していいよ」
出会った時から浮かべていた笑みを消して、真剣な表情を見せる。美人の真顔はなんともいえない迫力があるな……。店主は俺が訝しんでいることに気付いたようだ。店主が犯人の手掛かりを話すならそれでよし。証拠隠滅など、不審な動きをしたら彼女の言うとおり逮捕すればいい。いくつかの条件をつければ捜査が一気に進むかもしれない。
「わかりました。ただし、見るのは10分だけです。ご遺体に指一本触れてはいけません。着衣以外の持ち込みも禁止。それから、貴方にはアリバイの確認が取れるまで自警団の監視下にいてもらいます。もしご遺体を見て手掛かりになることがあれば全て話すこと。手掛かりがなくても、先程仰った気になることが何だったのかきちんと話すこと。以上を守れるなら、フローリカ=トルエのご遺体に会わせます」
「厳重だね。それでいいよ」
俺の肩口より下にある店主の顔を見ると、わずかに微笑んだように見えた。