指のない花嫁 2
時系列で事件を整理すると、
翠玉の月 2日。
11時頃、被害者は自宅を出て婚約者と会う。
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夕食前、つまり18時頃には婚約者と別れる。
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被害者は夕食を摂る。時間、場所、誰かと共にいたか、全て不明。
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23時~3日の4時の間に刺殺され指を切断される。
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川の下流に遺体を捨てられる。
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3日の6時。散歩中の女性が遺体を発見。自警団へ駆け込んだ。
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3日の11時。2日に一緒にいたという婚約者を拘留。
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そして、本日、4日。婚約者は殺害を否定中
という訳だ。
資料をまとめ直し、休憩室の椅子から立ち上がる。地下にある拘留室へ向かった。自警団の詰所だが、こういう部屋も共に備えている。廊下を進んでいくと、来週の警備隊襲来に向けての準備のため右往左往する先輩方とすれ違う。
地下に降りると、拘留室の遥か手前だというのに廊下に男の叫び声が木霊していた。団長が言っていた、泣き叫びながらの犯行全否定はこれのことらしい。
「僕じゃない!僕じゃないんだ!!ああああぁフローリカあぁぁああぁぁぁ!!!」
絶叫を聞きつつ薄暗い地下通路を進むと扉の前に到着。出入り口を警備している先輩に挨拶をし、捜査のため話を聞く旨を説明すると快く中に入れてくれた。
「お疲れ様です。すごいですね。昨日からずっとスか」
「お疲れテディ。そう、もう耳が痛くなったよ」
調書は取り終わっているため、拘留室内部には男一人だった。机一つと椅子が二つ。地下室だから窓はなし。俺が中に入り、扉が閉まると男が必死の形相で駆け寄ってきた。たまに団員を暴行して逃げようとする輩がいるが、この男は泣きながら懇願するだけだった。
「出してください!僕じゃないんです、フローリカを殺すはずない!!何度も言ってるのにわかってくれないんだ!!酷いよあんたら!!」
「はい。再三ですいませんが、話を聞かせてください」
「もう全部話したよ!!出してくれよ、僕は犯人じゃない!!!」
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだ。昨日から泣き続けているのだろう。瞼が腫れ、目は真っ赤に充血している。声も掠れて聞き取りにくい。この錯乱っぷりでは細かな調書は取れていないかもしれない。まずは彼を落ち着かせることにした。
「今回の事件の担当になりました。テディ=ウィームス自警団員です。あなたは、エリオ=ロンゴさんで間違いないですね」
「っうう、グス……はい、エリオです」
「エリオさん、何も犯人と決め付けてここにいる訳じゃないです。部屋自体は拘留室なんて名前だが、詰所の部屋数が少ないだけで取調室としての機能もあって」
「取り調べも何も、本当に知らないんだ!!フローリカとは夕方には別れた!家まで送るって言ったけど必要ないからって……」
「とりあえず落ち着いて話をしましょう」
犯人として捕まっている訳ではないとわかり、多少なりとも落ち着きを取り戻したようだ。エリオさんは、本来は物静かな男性だと被害者の家族の調書にあった。ようやく本来の彼に会うことが出来たと感じる。彼に顔を拭くようにタオル(自前)を渡し、いくつか質問をしていく。
「それで、2日の18時以降は、本当にフローリカ=トルエさんとは会っていないんですね」
「はい……。本当に知らないんです」
「2日は、彼女とは何時に会い、何時まで一緒にいたんですか?」
「えと……11時に待ち合わせして、ランチを食べて、買い物をして。……確か夕方6時に別れました。この後予定があるから送ってくれなくて大丈夫よって……あれが、最期になるなんて……」
僕があの時、無理にでも送るようにしていれば、と話している間に再び彼の瞳から大粒の涙が流れ出す。その都度、目も頬も拭っているがとめどなく雫は流れていく。
とても……とても悲痛な様相で、彼が犯人だとは思えなくなってきていた。
「その時誰と会うとか言ってませんでしたか」
「いいえ、言ってなかったし、聞きませんでした。よく友人と食事に行ってから、友人の中の一人だと……」
「ふむ……。他に何か変わった様子は?」
「特には……。もうすぐ結婚式で使うベールが出来上がると、すごく喜んでいました。ドレスは彼女のおばあちゃんが作ってくれてて」
「本当に式間近だったんですね。家族や友人にももうお知らせしていたのでは?」
「僕は家族も、そんなに親しい友人もいませんが……。その分フローリカはおばあちゃんと、友人も沢山いて、皆に嬉しそうに話していました。招待状の準備もしていました」
「なるほど……」
彼の話が本当なら、友人の誰かの可能性がある。被害者の交友関係も調べた方が良さそうだ。
「トルエさんは人気者だったんですね。では、人から恨まれるようn」
「ありえません!!」
まだ全部言ってないんだが。
「フローリカは素直で優しくて笑顔が素敵で、誰からも好かれるような人です。恨まれるなんて、ありえない。浮気をするような人でもないし……一体どうして……」
「……うーん」
彼が嘘をついているようには見えない。もし嘘なら街の劇場からスカウトがくる程の演技力だ。本来、こういった事件では犯人でしか知りえない情報をあえて公開せず、取り調べ中にそれを喋らせて証拠とする手法が使われる。今回も、一番の謎であり事件の焦点となっている『指』について、同僚も、扉前の先輩も、彼には伝えていない。
眼前で盛大に取り乱す彼が犯人とは思えなかった。遺体の発見現場からは確かに近いが、証拠がない。エリオの家には争った様子も、指を切断するような器具も血痕も見つかっていないのだ。
「エリオさん、では、ショックを受けてしまうと思いますがとても大事なことを聞きます。どうか冷静に、そしてどんな些細なことでもいいので思い当たることがあったら全て話してください」
遅かれ早かれこの事実は伝えるべきことであり、重要な手がかりだ。彼と話をして、彼が犯人ではないという自身の感性を信じ、『指』について尋ねることにした。恋人を亡くすという耐えがたい絶望を味わっている彼には、更に酷な話になってしまうが。
「は、はい。……怖いですが、フローリカを殺した奴を見つけるためなら」
ぴりりと部屋の空気が張り詰める。エリオの目を見つめると、彼は涙を拭うのも忘れ、しっかりと俺を見つめ返してきた。発せられた声には震えと覚悟が混じっている。およそいい話ではない筈の、俺の「重要な手がかり」というフレーズに、聞きたくないという気持ちと、真犯人を逮捕してもらいたいという気持ちが表れていた。俺は静かに、口を開く。
「被害者が発見された時、彼女の両手の指は全て根元から切り落とされ、持ち去られていました」
「っ……!!」
「何か、指について心当たりはありませんか」
エリオの開いた口からひゅっと息が漏れる音が聞こえた。唇は震え、こちらを見つめる瞳は、腫れた瞼を無理やりつり上げ、限界まで見開かれている。
「指っが、なんで、そんなことを」
「調査中ですが、手がかりは……まだ何も」
「フローリカ……!痛かっただろうに。つらいよなぁ、手が、フローリカの手は、色白で細い指が綺麗だったんだ。ああ……」
エリオは腿の上で拳を握りしめ、その拳を見つめるように顔を伏せた。悲しみと怒りか、拳から肩までがぶるぶると震えている。何滴目かわからない涙の雫が拳へと落ちていった。
「あ」
「えっ、なんです?」
突如顔を上げた彼から放たれた一声は、張り詰めたままだった部屋の空気を一気に換えた。
「ゆびわは……?」
「指輪!?トルエさんは指輪をしていたのですか!」
「結婚指輪です!!僕がしているものと石の色が違いますが、他は同じです。2日のデートで受け取りに行って、その場で交換したんです!それからフローリカも僕も指輪をつけたままいました!」
勢いよく差し出された彼の左手薬指には、シルバーのリングがはめられ、中央に深い緑色の宝石がきらきらと輝いていた。
「トルエさんも左手の薬指に?」
「はい。石の色はオレンジです。お互いの目と同じ色をしようと決めて、オーダーしたんです」
エリオの瞳は、現在は充血しておりわかりにくいが確かに茶色がかったオレンジ色をしている。もう開けられることがなくなってしまった被害者の瞳は、この宝石と同じ深緑色をしていたのだろうか。
勿論、彼女の指輪は見つかっていない。
「結婚式で交換するのが待てなくて、完成をとても楽しみにしていたものなんです。特別な品だと」
「それは、一体どれくらい高価なものなんですか!?」
「二つで600,000ルビです」
「っっ!!!」
俺の給料4ヶ月分は飛ぶ額だ。
「そそ、そんな指輪を!犯人はその指輪の価値を知っている人物か!!」
「違うと思います!!」
「えっええ!?」
違うのかよ。
「これの価値は金額ではありません!これは魔法雑貨店で買ったものなんですが」
「魔法雑貨……」
「僕たちに合わせて作られた、決して外れることのない指輪なんです!」
外れない指輪。間違いない。犯人は指ではなく指輪が欲しかったのだ。だがどうやっても外れないならば、指ごと持っていくしかなかった。恐らく、薬指のみ持ち去ったら指輪が欲しかったとすぐにわかってしまう。捜査を攪乱するために全ての指を切り落とした。そして俺達の捜査はまんまと遅れをとってしまったのだ。
「なんってこった。魔法の指輪だと。
……エリオさんありがとう。最後の質問ですが、それは一体どこで、買ったんですか」
1ルビ=1.2円
600,000ルビ=720,000円