指のない花嫁 1
この街には魔女がいる。
ここは、山々に囲まれた静かな街カルドニアだ。俺は街郊外のさらに路地裏にある魔法雑貨店『月下の花嫁』という店の前にいる。店に入る前だというのに、既に怪しい雰囲気が辺りを包み込んでいる。店の小窓から見える棚には大小様々な硝子瓶がぎっしりと並び、不思議な色の液体が混ざり光を放っている。奥の棚には植物らしき鉢植えが見えるが、何やら蠢いている気がする。入口前にある小さな立て看板には、「希少素材 蒼毒蝶のリンプン入荷しました」の文字。……一体どう使う物なのか見当もつかない。
なぜ俺が、魔法など欠片も知識も興味もない俺がこんな店に来ているのかというと、先日、この静かな街で事件が起きたからだ。
翠玉の月4日。自警団団長室。
「おう、テディ。これの捜査してくれ」
「端折りすぎですよ。どの事件ですか」
「昨日遺体が発見されただろう。それ」
「ああ……ってあれ?でも犯人らしき男ってもうしょっ引かれたんじゃないんですか?」
そうだ。昨日の朝、つまりは翠玉の月3日の朝のことだ。街の中央を流れる川の下流で、女性の遺体が発見された。女性の名は、フローリカ=トルエ。犯人らしき男もとい、重要参考人として拘留している男は、被害者の婚約者だった。遺体が発見された川辺の最も近くに住み、犯行時間帯のアリバイもなし。ちなみに犯行時間は、遺体の硬直状態から2日の23時から翌日の早朝4時頃にかけてだと考えられている。さらに、この婚約者と被害者は2日の昼過ぎまで共にいた姿が目撃されているのだ。決定的な証拠こそないものの、婚約者が怪しい現状だ。
仲睦まじい二人だったと周囲の人々はいうが、所詮は男女。痴情のもつれか、結婚に際して揉め事が起きたとかそんなところで犯行に及んだのでは、と調査書を作成した同僚からちらりと聞いた。
「一番疑わしい人物なんだがな、今は泣き叫びながら犯行を全否定してる」
「泣き叫んでるんスか」
「そらもう。結婚間近の恋人を無惨に殺された悲劇の花婿って感じだ」
その男性が犯人でないならまさにその通りなのだが。
「資料渡すから、ほれ」
「ちょっ、捜査って俺一人なんですか。先に捜査してる奴がいるんだから、そっちに任せた方がいいでしょう」
「今週は国の警備隊が定期監査に来る週だろ。忙しいんだよ。それに、殺人・傷害事件はお前が適任だ。この事件は一部不可解な点はあるが殺され方は至ってシンプルだし、さくっと解決しといてくれ。出来れば警備隊が来る前に犯人確定が望ましい」
また無茶振りを……。自警団団長の十八番、丸投げ。
しかし、そうか。先日まで俺が連休をとっていたため、同僚が捜査をしていたようだが、この手の事件は確かに俺が担当となっている。そして、国の警備隊が来るのなら確かに早めに解決したい。この街には国の警備隊が常駐している訳ではなく、災害やこういった事件の際は自警団が指揮を執るようになっている。俺は、その自警団員という訳だ。
警備隊は国家機関ということもあり、事件があればしばらく街に常駐することがあるのだが、とにかく嫌な奴らが多い。具体的に嫌な点を挙げるとすれば、国を守っているのだと偉そうにしたり、街の自警団をこき使ったり、街の商店で買い物をしていく際横暴に対応したり値切ったり、街の女性に手を出したりと。街の民からもいい印象はない。
何より、この街を守るのは自警団の使命なのだ。街で起きてしまった事件一つ解決できずに自警団を名乗るのは恥だと俺は思っている。
「すぐ捜査に行きます」
「おう」
頼んだぞ、と掛けられる声を背に受け団長室を後にした。殺人事件は、俺が自警団に入ってから今回で三度目となる。過去二件の事件も被害者家族は酷いショックを受け、数年経った現在も暗い感情を抱えながら生きているのだ。被害者の未来を奪い、家族や大切な人の心に影を落とした犯人を許すわけにはいかない。現在拘留している男が犯人か否か決定的な証拠を掴むため、もしくは真犯人を逮捕するため、資料を握る手に自然と力が籠った。
「さて、と。まず資料だな」
休憩室へ向かうと先客はおらず、静かで丁度よかった。数ページにまとめられた資料に目を通していく。昨日朝に遺体が発見されたばかりだというが、丁寧に仕上がった資料。先程の話をしてきた同僚の仕事だ。重複した部分もあるが、全て読んでいくと、団長が言っていた不可解な点が理解できた。
被害者の両手の指が、全てなくなっていたのだ。
直接の死因は指ではなく、胸を34箇所ナイフで刺されたことによる失血性ショックで、指を切断したのはナイフで殺した後だ。傷口から見て、鋸で切り落とされている。
凄惨な事件だ。まだ若い女性がこんな風に命を奪われてしまうなんて。
……奪われる?犯人はなぜ指を切り落として奪ったのだろうか。遺体が挙がった川は浅く、底が見えるくらい透明度が高いが、切断された指は一本も見つかっていない。因みに、財布やアクセサリー類は盗られておらず、物盗りの犯行ではない。そして、被害者が息絶えた後もナイフを突き立てたであろう刺傷の数。怨恨による犯行とみて間違いないだろう。
遺体が挙がった川は街の中央を流れる川の下流だ。上流は商店が立ち並ぶ街の大通り、下流に行くにつれ民家や街灯は少なくなっていく。しかし、犯行が深夜から早朝とはいえ目撃者が全くいないのはおかしい。発見現場に行くには川沿いを通るのが一番近道だが、そこは商店と並び、酒場もあるのだ。深夜2時3時でもまばらにだが人通りがある。犯行現場は別の場所で、殺害した後遺体を川に捨てたのか。
ええと……被害者の家族の聞き取り調書もある。家族は一人。両親は被害者の幼少期に病死しており、育ての親は祖母か。祖母の話では、被害者は遺体で見つかる前日昼前……11時頃に婚約者と出かけると言い残して一人で家を出た。どこへ行き何時に帰るとは言わなかったそうだ。婚約者と一日中一緒にいると思っていたため、自身が就寝する頃にも帰宅しない孫を特に不振にも思わなかったとのこと。だが、婚約者は否定。その日は夕食前には被害者と別れ、家に一人でいて食事を摂っていた。
被害者は正面からナイフで刺されているが、揉みあいになった際につく防御創はなし。さらに、胃の中から未消化の食べ物が発見されている。彼女は一体、どこで誰と食事をしたのだろうか。
食事をした後に殺されているのは確かだ。これだけの情報から推測するなら、婚約者の言う「夕食前には別れた」という主張は嘘で、二人は夕食を共にした後、婚約者がナイフで刺し殺し、近くの川へ捨てたとなる。
「でも、指がなぁ……。これが一番の謎だよなぁ」
こんな事件、ほぼ前例がない。俺はこの街で起こった事件だけでなく、中央都市や他の街の事件も出来るだけ調べているが、人体の一部を切断し持ち去る。過去に四件だけだ。しかもここから遠く離れた中央都市の話で、人体収集家だった連続殺人犯は捕まっている。今回も体の一部が欲しいという、特殊性癖持ちの犯行だろうか。この手の輩は連続して犯行を重ねる可能性があるし、場合によっては俺一人での捜査は手に余る。
「今のところ憶測でしか犯人像も動機も出てこないな。……次は重要参考人の話を聞きに行くか」
翠玉=エメラルド=5月の誕生石
翠玉の月=5月