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飲め

 エンがハンバーガーを持ってきてから六時間が経過した。

 肩を落とすエンを励ましながら、シトラたち二人は帰って行った。その後しばらくしてから夕食のおかゆが出てまた吐いた。十分前の出来事である。

 ただ今の時刻は午後八時。消灯一時間前のアナウンスが、一人きりの病室に響いた。


「随分と大変そうだな空」


 ノックもせずにメガネをかけた男が空の病室に入ってきた。シュテルンの世界から見慣れている、薄い笑みを携えて。


「健、タロウ……!」

「どうした? 疲労が重なりすぎたか?」


 顔を見ただけで殺意が溢れてきた空は、低い声で唸った。

 シュテルンに洗脳されたのは疑いようがない。呑気に首を傾けるこの男を殺さなければという使命感にとらわれてしまう。


「どうしてお前がここに来た。忙しいんじゃなかったか?」


 衝動的に動こうとする手足を理性で押し止める。今襲ったところで成功率は低い。せめて体が回復してからじゃないと。


「そう邪見にするな。親友が弱ってるんだ。多少の睡眠なら削るさ」


 懐からビール瓶を取り出し、ベッドに備え付けのテーブルに置いた。


「これは?」


 ビール瓶の中身は液体のようだ。テーブルに置かれた衝撃で水面が波立っている。

 まさかビールではあるまい。この世界ではどうか知らないが、シュテルンの世界では二十歳まで飲酒が禁止されている。高校生の空が飲んでいいものではない。


「飲め。俺もこの世界に来て似たような状態になった。そのときのものだ」


 健太郎の有無を言わさぬ命令。恐らくビールではない。そう信じたい。


「お前も同じような目に?」

「ああ。多分ホームシックみたいなものだろう。精神安定剤を飲む必要がある」

「なるほど。助かる」

「気にするな。俺はこの世界においてお前の先輩なんだからな」


 どうやらビール瓶の中身は精神安定剤らしい。なんて紛らわしいものに入れているんだ。

 空は安心してビール瓶にそのまま口をつける。どれぐらい飲めばいいか言っていなかったから全部飲めということなのだろう。結構な量ではあるが、おかゆ以外が食べられるようになるなら安いものだ。

 口から少しこぼしながらもビール瓶の中身を全部飲みきった。飲み過ぎたせいで気分が悪くなったが、健太郎への殺意は弱まった。


「健太郎」

「ん。なんだ?」

「お前はどうしてエイロネイアを立ち上げた。シュテルンをどうして敵視しているんだ」


 メガネの奥で目を丸くする健太郎。彼にしては珍しい、少しだけ驚いた様子をみせた。


「……まあそうか。空は何も知らないんだからな。いいだろう語ってやる」


 シトラが片付けを忘れ、ベッド横に置かれていた椅子に健太郎は腰かけた。


「俺はシュテルンにすべてを奪われた。端的に言うとな」


 予想通りの言葉を、予想されていると読んだからかあっさりと告白した。


「この世界に来て、俺は途方にくれた。空のように何かを持っていたというわけでもなかったし、そもそも俺は別世界の人間だ。戸籍もないから路銀を稼ぐのも大変だった」


 空もバイトをしていたから分かる。お金を稼ぐ以上税金を払わなければならない。ほとんどは企業が代わりに手続きをしてくれるが、そのとき必要になってくるのが戸籍だ。

 空も健太郎も世界を渡ってきた人間だ。当然この世界に戸籍などなく、もしもエイロネイア以外に就職するとしたらかなり手こずるだろう。


「それでも何とか生活はできていたんだ。あの日までは」


 健太郎は目を閉じて下を向いた。

 彼の目には何が見えているのだろう。どんな記憶が蘇っているのだろう。

 空は健太郎ではない。ゆえに、彼の思い描いている情景がまったく予想できなかった。


「忘れもしない十年前、シュテルンが侵攻を開始した日だ」


 健太郎は俯いており、表情は分からない。しかしかつての親友の中で燃えたぎっている感情の種類は予想できた。


「俺はその日も朝から晩まで働いて、風呂あがりのビールを楽しみにしていた。でもできなかった」

「シュテルンが、奪ったのか」


 空の言葉に、健太郎が頷く。


「そうだ。俺の家を、生まれたばかりだった家族を、そしてたった一人の愛する人を、奴らは奪った」


 どこかで聞いた話だと思った。

 戦う理由を聞いた少女と、まったく同じ状況だと思った。


「シトラと出会ったのは運命だと思っているよ。俺もあの娘も同じ境遇に遭った。違うとしたら守れる力があったかどうかぐらいだな」


 健太郎もシトラに運命を感じていたらしい。確かに境遇はそっくりだ。だが、それからの二人の道は違う。

 健太郎がいたからこそシトラは復讐に落ちなかった。シトラがいたからこそ健太郎は希望を捨てなかった。

 片方が片方を支え合ったからこそ、エイロネイアは世界規模の組織になった。そう考えると妬けてくる。


「それがお前の戦う理由か」

「ああそうだ。俺は何があっても奴らを許すつもりはない。物語の主人公みたいに俺の親が連中のトップだったとしても引き金は必ず引いてやる」


 まるで自分に言われてるようだ。


「それが俺の、たった一つの使命だからな」


 顔を上げる健太郎の瞳に空は恐怖を抱いた。


「悪かった。変なことを聞いて」

「お前に話してよかったと思ってるよ。俺のために、とっとと治してくれるんだろ?」

「ああ。尽力するよ」


 空は苦笑いを浮かべた。体調ばかりは断言することができない。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


次回は明日午前8時更新予定です。

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