殺人的なにおい
一週間が経っても空は点滴をうたれていた。
医務室担当スタッフは空の容態を深刻なものと判断。空を、彼も知らなかった個室へと運び込んだ。ベッドにはナースコール用のボタンまでついている。
「そんな顔すんなよ。俺なら大丈夫だ」
心配そうに見つめてくるシトラに、空は精いっぱいの微笑みを送る。
空の顔はやつれていた。目元にはクマができ、頬は痩せこけている。今ならホラー映画に出たら人気者になれるかもしれない。
「死相が浮かんでる人間の言葉は信用できないわね」
当然浮かべる笑みも痛々しいもので、シトラの辛そうな表情を変えるまでは至らなかった。
「死相って――」
あまりの言い草に苦笑する空。その直後襲ってきた胃からこみあげてくるものを吐き出してしまう。反射的にナイロン袋に顔を突っ込まなければ、またベッドのシーツを取り換える羽目になっていた。
「ゴホッゲホッ。ありがとう。助かった」
無言で背中をさすってくれたシトラに、空はナイロン袋の口を縛りながら礼を言う。
口の中に残るすっぱい味とにおいは、もうすっかり慣れてしまった。
「まだ体調が戻らないの?」
シトラは吐しゃ物の入ったナイロン袋から目が離せないようだ。うっすらと涙を浮かべているのはにおいがそれだけきついという証拠だろう。一週間前なら思うところがあったが、残念ながらこちらも慣れてしまった。
「体調は大分マシになったさ。ただ食べると戻すだけで」
「それはマシになったとは言わないわ。悪化したと言うのよ」
「はははっかもな。勿体ないよ。せっかくの昼飯だったのに」
今日の昼飯はおかゆだった。ちなみに今朝もおかゆ、昨晩もおかゆ。何なら一週間前倒れた日もおかゆだった。
たまにはお肉とかお魚とか食べたいと医療部門のスタッフに言ったら大激怒されたことは記憶に新しい。
「無理しないでよね」
「してないって。食わないと死んじまうだろうが」
例え胃が拒絶しようとも詰め込まなくてはならないのだ。
悲痛な表情のシトラと何とか場を盛り上げようとする二つの意味で痛々しい空が話をしていると、扉を二度叩く音がした。
「はい。開いてるよ」
空が返事すると同時にスパーンと音がして扉が開いた。
うるさいし迷惑だろう。個室で治療しているのは空一人だからいいものの、他に入院している人がいたらどうするんだ。
「元気しとうか? ってなんや。シトラも来とったんかいな」
「エン。手に持ってるのは何かしら?」
ウゲーッとするエンには触れず、彼女の持っている紙袋にだけシトラは関心を示した。
いつもみたいな言い争いをする気分ではないようだ。当然か。まだすっぱいにおいが部屋に充満しているのだから。
「そうだな。なんだか殺人的なにおいがしてるぞ」
例えるなら肉の焼けるような香ばしいにおい。
すっぱい空間でも確かな存在感を放っている紙袋は、エンの動きに合わせて揺れていた。
「あっこれ? 腹が減ってるんちゃうかな思うてな」
説明するより実物見せたほうが早いやろとばかりに、エンは紙袋の中身を取り出した。
「何これハンバーガー? にしてはグチャグチャね」
空の代わりに包み紙を取ったシトラは、身も蓋もない評価を下した。
いや、大体予想がつくだろう。エンは気にした様子もなく手を振っていたわけだし。
「う、うっさいわ! 初めて作ったんやから仕方あらへんやろ」
「エンが作ってくれたのか?」
聞き逃せない語句が出てきたので、空は聞いてみた。
エンはいつも食べる専門で、料理をしない。小腹がすいたからと空は何度か勝手に夜食を作ったが、彼女はいつも笑顔でできあがりを楽しみにしていた。だからてっきり、料理できないものだと思っていた。
「……うん。ウチが困っとるときに作ってくれたやろ? やから今度はウチの番やと思うて」
「……そっか。ありがと」
なら食べないわけにはいかないな。
空は大口を開けて、ちょっと形の悪いハンバーガーにかぶりついた。
「空大丈夫なの?」
「大丈夫だって。せっかくエンが作ってオロロロロ」
やっぱりダメだった。
「空!?」
「だから言ったじゃない。さっき自分で何も食べられないって言ったくせに」
狼狽えるエンと背中をさすってくれるシトラの声を聞きながら、空は呑み込んだばかりのハンバーガーを吐き出す。
医療部門のスタッフさんごめんなさい。確かに肉は無理でした。
「だってせっかくエンの手料理が食べられるんだぜ? もしかしたらって思うだろ」
「ごめんな空。ウチ知らんくて」
「頼むから謝らないでくれ。悪いのは俺なんだから」
自嘲する空に、エンも痛々しそうに目を伏せた。
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次回は今日午後6時更新予定です。