おかしくなった
空は一人、食堂へと向かっていた。目覚めてからというもの、入る量は変わらないくせに減る早さは増している。シュテルンの仕業として、空は全責任を押し付けた。
「何言ってんのよ!」
食堂に向かう途中、シミュレーション室から怒声が聞こえてきた。
「おっ? なんだなんだ?」
空は脊髄反射で気配を隠し、シミュレーション室の入口から顔を覗かせる。
どうやらシトラとイリーナが言い争いをしているらしい。エンもいるから、空が仲裁に入る必要はないだろう。珍しい言い争いだ。正直空はもう少し傍観していたいと思っていた。
「ま、まあまあシトラ。落ち着きいな」
「落ち着いてられるわけないじゃない! エンこそどうして冷静でいられるのよ」
エンがシトラを諌めている。
やはり先ほど聞こえてきた怒声はシトラだったようだ。
「空がシュテルンかもしれへん。確かに信じられへんけど」
エンの言葉に、空は固まった。同時に大体の事情を把握した。
恐らくイリーナが二人に相談を持ちかけたのだろう。テーマはもちろん、空の異変について。
エンも何となく異変に気付いていた。だがシトラだけは気付いていない。空を部下のパイロットだと認識しているだろう。
だからイリーナの言葉を信じられず、二人は衝突している。
「ん」
”目覚めてから空はおかしくなった”
――ああ、やっぱりイリーナには勘付かれてたんだな。
二人の喧嘩に対して空が思ったのはそれだけだった。
否定する気も肯定する気も起きない。何故なら今の空はエイロネイアでありシュテルンでもあったからだ。
「それは記憶障害があるからでしょ」
「ちゃうよシトラ。記憶障害だけやあらへん」
上官を止める過程で、シトラの興味を引くエン。
「空の声にはな、色があらへんねん」
「色が……? そっかエンは」
「せや。ウチは音に色を感じる共感覚や。やけど空には感じへん。こんなん教授以外ではおらへんかった」
空とネオン教授は限りなく近い立場だ。教授の方が少し前に進んでいるだけに過ぎない。むしろ空が劣っているとさえ言えた。
「教授って。あの裏切り者と空を一緒にしないで」
「ん」
”だけど、シュテルンと接触してから空は変わった”
イリーナは本当に痛いところをついてくる。ほら、シトラが黙り込んでしまったではないか。
「本人は何もなかった言うてるけどな。異変が起こってることは自覚してるみたいやった」
「じゃあ空が自分はシュテルンでしたなんて言ったわけ?」
「言うてへんよ。もしも本当にそうだったとしても言えるわけあらへん」
「ん」
イリーナが頷くと同時に空も頷いた。
実際彼女たちにも話せないから空は悩んでいる。
「でも、空自身も知らない間にシュテルンに何かされていたら?」
シトラの顔色が変わり、イリーナは、表情筋こそ動いていないが、どこか悲痛そうな表情になる。
それはない。洗脳は少女の声によって阻まれた。シュテルンに操られている可能性は限りなく低い。と思ったがつい最近シュテルンと疑似対話したので、知らない間に何かされている可能性は十分ある。
「シトラは皆をまとめるリーダーや。それはウチも認めとる。だけどそろそろ、仲間を疑う必要があるんやないか?」
「アンタまで空が敵かもしれないって言うわけ?」
「違うてほしいと思うとうよ。やけど教授は裏切っていた。空以外は誰も仲間だからと疑いさえせえへんかったのに」
三千年の間に風化してしまったことだ。多分空にとって重要ではなかったんだろう。
しかしエンは辛そうに顔を歪めていた。ネオン教授の本性に気付けなかったことを悔やんでいるんだとすぐに理解できた。
「空はウチらの仲間や。せやから確実な証拠が欲しいんよ」
「ん」
エンの言葉にイリーナも頷く。二人は疑わしいというよりかは安心したいという気持ちが強いのではないだろうか。
「……ふんっ! アタシは認めないから!」
勇み足でシミュレーション室から出ようとするシトラ。空は慌ててその場を後にした。
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