豪華特典
風が気持ちいい。空は目を細めて腰を落とした。
空と健太郎は艦橋の死角で、海に足を向けた状態で甲板に腰掛けていた。手には空母に取り付けられた自販機で入手した、お金はいらずボタンを押すだけだ、缶コーヒーを持っている。
「よくメルセデスを落とせたな」
カシュと音を出して、健太郎が缶コーヒーを口に運んだ。
「動きは全部頭に入っている。信号機を倒すために何度動画見返したと思ってんだ」
「それでもだよ。動画は一つしかなかった。いくら見返したとしても、あそこまで対応できるとは思えない」
「勝てなかったけどな」
空は自嘲して、缶コーヒーを開けて飲んだ。口の中に酸味が広がる。予想以上にいいものを使っているらしい。さすが軍用施設。潤沢な資金があるのだろう。
「昔から空は自爆が得意だったな。初めて紅龍を落としたときも自爆だったし」
「あんときは嬉しかったな。人間でも落とせるって初めて確信できたし」
武装を使うよりも、相手の軌道上に自機を置いた方が確実に倒せる。一撃で倒せて、ミサイルよりも攻撃範囲が広い。使わない手はなかった。
動きをある程度読めるようになって、信号機の中でも最強の機体を倒せたときもプレイヤーの使える最強の武器を使った。健太郎と二人してガッツポーズを取ったことは今でも覚えている。
「でも、これからはやらないでくれ」
ふと視線を向けると、真剣な表情の健太郎と目が合った。
心配、しているのだろうか。怒っているようにも見える。健太郎の表情が、その中にある感情が、空には読めなかった。
「空の実力は知っている。お前が苦戦するとすぐ自爆しようと考えてしまうことも知っている。でも今のお前は一人のものじゃない。ゲームみたいにコンテニューができるわけでもない」
「……分かってるよ」
健太郎から目を逸らして、空はポツリと呟いた。
信号機と同じチームとして、信号機よりも強いただ一人の人類として、空は轟龍を駆る。空の双肩にかかっているのは彼一人の命ではないのだ。
シトラの顔が浮かんだ。
自信に溢れた少女が、リーダーとして掴みかかってきた。それは紛れもなく、自分の命を軽んじている空に腹を立てているからこその行為だ。
――そうか。俺は。
空を責めるような目で見ていた健太郎が、小さく頷いた。
もう空は自爆なんてしないだろう。そう確信できたからだ。
「なあ健太郎」
「ん?」
「シュテルンってのは何者だ?」
「敵だよ。滅ぼすべきただの敵だ」
我が子の成長を見守っているかのような表情を浮かべている健太郎には触れず、空は改めてこの世界での常識を問いた。
無機質な声で、健太郎が答える。
何があったのかは知らない。だけど何かがあったんだろう。
健太郎は少々真面目過ぎるきらいがあったが、基本的には優しかった。空が喧嘩を吹っ掛けられたときでさえ一度も矢面に立たなかったのだ。終わった後にほんの少しだけ交渉のテーブルにつくぐらいだった。
そんな彼が、いつも浮かべている微笑みすら消して吐き捨てるように言う。
空の知らない彼に興味は惹かれた。だけどきっと、それは興味本位で聞いてもいい内容ではない。
だから空は先ほど知った新たな情報を尋ねた。
「――人間なのか?」
「……見たのか?」
――否定しないんだな。
「ああ、メルセデスに乗っていた。俺たちと同じ人間が」
健太郎は空の報告を聞いて、苦虫を噛み潰したような顔になった。
そして目を左右に揺らして、何から話せばいいのか逡巡した。
「現在シュテルンに関する情報はほとんどない」
それは嘘だろう、と思った。
戦いの基本はいかに情報を集めるかだ。相手の情報がなければ、弱点を責めることだってできない。対策のだって、大雑把にしか取れない。空の知る健太郎がそのような状況に甘んじるとはどうしても思えなかった。
「それは本当か? 司令官」
「本当だ。人をさらう円盤型の飛行物体が物量で襲ってくる。シュテルンに拉致されないようこの世界の人々は建物を地下に埋めて戦火から逃れようとしている。エイロネイアにある情報はこれぐらいしかない」
健太郎が首を横に振って、空の疑いを晴らそうとする。
本当に、それだけしか情報がないのか。
敵の正体も、人をさらう目的も、何一つ分かっていない。そんなこと有り得るのだろうか。
どれだけの期間戦っているのかは分からない。空がこの世界に来てまだ一月と経っていないのだ。この世界における常識もまだ掴み切れていない。
それでも決して短い期間ではないだろうと空は思った。更地と化した町並み。それはすぐにできるような代物ではない。
敵の正体も、人をさらう目的も、何一つ分かっていない。そんなこと有り得るのだろうか。
空はもう一度同じ疑問を思い浮かべ、健太郎の言葉が完全ではないと思い出した。
「お前だけしか持ってない情報があるのか?」
健太郎はエイロネイアにあると言った。つまり逆に言えば、エイロネイアにない情報なら正体を分かっているのかもしれない。
だからこそ空は、改めて健太郎に尋ねた。今度は司令官としての彼ではなく、親友だった彼にだ。
「正確には推論が、だけどな。覚えているか? ゲームだった方のエイロネイアの売り文句」
突然の質問に少し考え、空は答えた。
「かつてない臨場感を貴方に! じゃなかったか?」
「それともう一つ。エースパイロットには豪華特典も!? って奴があった」
「ああ、そういえばあったなそれ。信号機のチートっぷりですぐ勢いなくなったけど」
当時は考察班が楽しそうだった覚えがある。
一企業がゲームクリアに景品を出すと宣言した。しかも豪華特典だ。ゲーム関連のオモチャ、例えばエイロネイアに出てくる戦闘機のプラモデルか。はたまた新作ゲームの発表か。ネット上で盛り上がりを見せていた。
「いや待て。豪華特典だと?」
空に違和感が生まれた。
「ああ、空の予想通りだと俺も思う」
「おかしいだろ。豪華特典って異世界に連れていかれることだってのかよ」
有り得ない。そう断ずるのは難しくない。
ゲームクリアしたら異世界に渡れる。どれだけふざけた都市伝説だ。いくらゲームのラスボスがチートじみた性能だったとしても、それは有り得ないはずだった。
だが、それならどうして空たちはここにいる。
「でもそれなら俺たちがここにいる意味も合点がいく。それに、誰も攻略者がいないってのも」
「俺たちと同じように、攻略してすぐにこの世界に連れていかれたから」
「ああそうだ」
空の言葉に健太郎は深く頷いた。
エイロネイアは攻略不可能ではない。それは空が証明してみせた。
ではなぜ攻略の情報がなかったのか。単純な話だ。誰も彼もが攻略したと誰かに話す前に異世界に連れていかれたからだ。誰にも言う前に二度と話ができないようになれば、必然的に攻略者が広まることはない。
「メルセデスが出てきたのも、転生者がシュテルンに渡っているからと考えれば筋が通る。パイロットが人間だったってのもあり得ない話じゃない」
確かに健太郎の言う通り、筋は通る。
攻略者がメルセデスを知らないはずがない。そしてチートを超えるチート機を乗りたいと思わないわけがない。空だって目の前にメルセデスがあるのなら一度ぐらい乗りこなしてみたいと思ってしまうのだから。
「ふざけんな。有り得てたまるかよ。俺たちの敵は俺たちの世界の人間だったなんて、笑えない冗談にもほどがある」
理屈では正しい。だけど納得できるかと言われれば否と答えるしかない。
シュテルンは正体不明の敵で、円盤型の飛行物体であることも相まって宇宙人が侵略しているようにすら考えていた。しかし実態は違う。連中は空と同じ人間だ。しかも顔を全く知らない異国の人間というわけでもなく、もしかすれば町中ですれ違い、はたまた軽く言葉を交わした顔見知りの可能性だってある。
知り合いを殺すかもしれない。
単純な事実は、単純であるがゆえに重たく空へとのしかかる。
「有り得ないとすぐ否定するのはよくない。俺だって同じ気持ちだが。俺も空も異世界に来た。それだけでも本来は起こりえないはずだったんだ。異世界がある以上、何があってもおかしくないと考えるべきだ」
健太郎はコーヒーを飲もうとして、とっくに飲み干していたと気付いて缶を潰した。
「新しい情報を教えてくれて助かった。これで俺の仮説は現実味を増す。嬉しくはないが」
「……」
立ち上がる健太郎を、空は無言で眺めていた。
知りたくなかった現実で、空の口はますます動かしづらくなっていた。
「悪いな。本当はお前を元気づけようと思ってたんだが、もう休憩できるほどの余裕がないんだ」
「……いや、貴重な時間を使わせてしまって悪かった。不思議だな。同い年だったはずなのに年の差を如実に感じているよ」
「はははっ、まあ背負っているものが違うからな」
空と同じ事実を認識したはずなのに、健太郎は笑ってみせる。
司令官と一パイロットでは背負っている重みが違う。敵が人間だったなんて今更知ったところで、彼は揺るがないのだろう。
空はこの世界に染まってしまった親友に、なんだか寂しい気持ちを抱いた。
「そういえば空はまだこの世界を堪能してなかったな。町にでも行ってみるといい。いい気分転換になると思うぞ」
「……分かった」
小さく頷いて、空も立ち上がる。
その顔は、話をする前よりも答えを欲しているようだった。
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