優秀な軍略家
「やっと見つけた……!」
艦橋目指して歩いていると、背後から声が聞こえた。
「……誰だっけ?」
振り返ると視界に入った、走ったのだろうか膝に手をついて肩を上下している金髪の少女に、空は首を傾げた。
「何言ってんのよ」
「冗談だ。敵のトップに引き金を引けなかった臆病者」
空は表情を崩して、息が整ってきたらしいシトラの視線を受け流す。彼の目には侮蔑の色がにじんでいた。
「空も共感覚を持っているんだったわね」
「手に入れた、が正しいけどな。こっちの世界に来たときは持ってなかったわけだし」
もしかしたら才能は眠っていたのかもしれない。イリーナと会話できていたのが何よりの証拠だ。
「じゃあ正直に言うわ。戻ってきて」
「……なんだって?」
意味が分からない言葉が聞こえてきたので、聞き間違いだと思った空は聞き返す。
「シュテルンと手を切って。もう一度一緒に戦いましょう」
シトラの瞳は真っ直ぐ空へと向けられていて、嘘を吐いているようには見えない。実際空の共感覚も彼女の言葉に嘘はないと告げていた。
シトラは本気だ。本気で空との共闘を望んでいる。
「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか? よりにもよってシュテルンの首魁に自分の組織を裏切れだと?」
シトラにとって空はシュテルンであり家族の仇であり倒すべき敵のはずだ。
「甘すぎるだろ。俺はもうお前らの敵だ。エイロネイアの甲破空は死んだんだよ」
仲間だったのは過去の話。空はエイロネイアを裏切り、健太郎を殺した。
シトラの望む甲破空はもういない。
「まだ、和解できる」
「楽観視もいい加減にしろ。根拠もないくせに」
「根拠ならあるわ」
シトラはスカートのポケットから丁寧に折りたたまれた紙を取り出した。
空は知らなかったが、機密文書でもあるその紙は彼女が盗んだものだ。
「――それは、手紙か?」
「そうよ。あなたの宣戦布告の手紙。いつの間に仕込んだかは今度詳しく教えてもらうから」
「お前が薄着なのが悪い」
「手で渡せばいいじゃない――話を戻すわよ」
ジトーと睨んでくるシトラに、空はぶっきらぼうに言い返した。
シトラをメッセンジャーにしたのは思い付きだ。彼女と再会したことがただの偶然だったのだ。用意なんてしているわけがない。
手紙をシトラに持たせるためにはどこかしらの収納スペースに入れないといけない。気付かれたら面白くないのでこっそりと入れるしかない。
結果仕込めたのはスカートのポケットだったわけだ。決して下心があったわけじゃない。太ももとか触るのも仕方ないなあと喜んだりしていない。本当だ。
「イリーナは人格がオーラとして見える。エンは音に色を感じる。ならアタシはどういう共感覚を持ってると思う?」
「……知らないな。そういえば」
イリーナやエンの共感覚は有名だし何度も助けてもらった。ついさっきも苦汁を飲まされたところだ。
だがシトラの共感覚が話題に上がったことはあまりない。シナスタジアシステムが使えるから共感覚を持っているらしいと分かるが、エンやイリーナと比べたら弱いのだろう。
共感覚が弱いにもかかわらず自他ともに認める最強の座にいるのは、彼女の技量がそれだけ卓越している証だ。
「アタシは文字に色を感じるの。書いてある文字の色、とは少し違うわ。文章に色を感じるの」
「あっそ。それで? 俺の宣戦布告から何を感じたんだ?」
「アタシたちを守ろうとする意思よ」
シトラの共感覚に興味はなかったので適当に流すと、彼女はしてやったり顔で胸を張った。
お前それで間違えてたら目も当てられなかったな。共感覚だから外さないんだろうが。
「アナタはまだアタシたちを気にかけている。敵としてではなく、助けたいという仲間意識で」
「ああ、そうだよ。俺は感情の操作は受けていない」
健太郎を殺したことで躊躇の感情がなくなったが、それは操作の内に入らないだろう。物理的な肉体改造をはじめいろいろと手を加えられてきた空だが、洗脳だけはされていない。
やれと言われれば躊躇いなくシトラを撃てるが、彼女を大切だという気持ちを失ってはいなかった。
「だったら戻ってきなさい。スイならアタシが説得するから」
「それは不可能だ」
説得の糸口を見つけたとばかりに話すシトラに、空は首を左右に振った。
「見ていたし感じただろ? 俺はエイロネイアを壊滅まで持ち込んだ。パイロットのほとんどを戦闘不能にしてな」
誰も殺していないとはいえ、強化された轟龍はエイロネイアのパイロットのほとんどを奪った。
彼らにも仲間がいただろう。友がいただろう。愛する人がいただろう。空はそれらすべてをシュテルンのエゴのためだけに奪った。
空を、あの黒く巨大な鋼鉄の塊を憎んでいる人は数知れない。空を殺したいと願っている人は、彼の想像を遥かに上回るだろう。
「あれは、空じゃないかもしれない」
「現実から目を逸らすな。優秀な軍略家なんだろ?」
現実をありのまま受け入れる。それがシトラの信条だったはずだ。
受け入れようとしない理由に見当はついている。
「もう俺は戻れない。このまま進むしかないんだ」
「そんなこと――」
「お前も割り切れよ。俺たちの道は違えたってことを」
だからこそ、前を向こうとしない少女にはっきりと告げなければならない。
「それともお前が俺の仲間になるか? シュテルンとして一緒にこの文明を滅ぼすか?」
「そんなのできるわけないじゃない!」
「だよな。俺の知ってる女は絶対に敵の甘言に乗るような人間じゃない」
シトラは強い。空が知るすべての人間の中でも一番強い。兵士としての実力はもちろん、精神であっても。
前を向けないはずがない。シトラが空を殺せないはずがない。
既に答えは出ている。後は結末に向けて歩くしかないのだ。
「だからこそ俺たちは戦わなければいけない。それとも負けるのが怖いか?」
「なっ」
「怖いのも仕方ないか。お前は一度も俺を落としたことがないものな」
エイロネイアの甲破空は死んだが、記憶まで無くなったわけじゃない。
例えば、事実を受け入れられずとも戦意をたぎらせる言葉はまだ覚えている。
「はぁっ? アタシが全戦全勝だったんですけど?」
「嘘吐くなよ」
「嘘じゃないし」
「じゃあ次の戦いで証明してくれ」
空は相変わらず負けを認めないシトラに苦笑いを浮かべて、彼女の首筋にスタンガンを当てる。
油断していたシトラは一瞬で気を失い、その場に倒れこんだ。
「さて、と。これで邪魔者はいなくなったぞ」
空が辺りに聞こえるよう大声で呟く。
「そうだな。ようやく話ができるな」
物陰から銃を持った兵士を引き連れたスイが現れた。
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