できるメイド
「――くぁ」
空は小さく欠伸をこぼした。
見飽きた青空が広がっているいつもの空間にベッドだけが置かれており、空は知らぬ間に寝かされていたらしい。かなりシュールな光景だ。
最後の記憶はアガペが虚空から召喚したカプセル型の機械に入り込んだところまでだから、多分終わったということなんだろう。
「おはようございます空様」
「アガペか。お出迎えご苦労」
体を起こして寝起きで考えがまとまらない空に、メイド服を着た親友の奥さんが笑顔で挨拶をする。
ふっ、どうやら絶好のチャンスをまた潰したみたいだな。俺は五体満足だぞアガペよ。
思ったが口には出さなかった。アガペの表情の裏側に心配しているような感情が見えたからだ。
「気分はいかがですか? 数値上では大丈夫だと分かっているのですが」
どうやらアガペは空の体調が気になっていたらしい。
まあ物理的な肉体改造をしたわけだし、後遺症とかが気にならないのもさすがに無神経すぎるか。
「本人に聞かないと心配か? 意外と神経質なのな」
「わっ私は空様を思って」
「分かってるって怒るなよ」
心外だと言葉を詰まらせながら眉を吊り上げるアガペに空は苦笑いを浮かべてベッドから降りた。
そういえば服を着ていない。そうかアガペが焦ったような口調になっていたのはそれが原因か。
空は右手を一振り。するとどこから現れたのか分からない、空がまだ学生だった頃の制服が袖を通した状態で召喚された。
シュテルンの総体になってよかったこと。この空間限定だが自動お着替えシステムが使えるようになったことだ。もう一度右手を振れば、先ほど空が寝ていたベッドが音もなく消える。
「見ての通り気分は上々だ。今なら世界も滅ぼせる」
「頼もしい限りです」
「そっちはどうなんだ? 俺が寝ている間の首尾は?」
安堵したようにアガペが息を吐くが、空にとって自分の体調なんて些細な問題だった。
最も気になるのは空が改造のために意識を失っている間に何が起こったか。シュテルンの作業進捗がどれぐらい進んだのか知る方がよっぽど大事だ。
「もちろん上々です。とは言えないですね。敵の妨害が激しく、遅々として進まない状況です」
「そんなことは分かっている。どれぐらい陽動を活かせているか聞いているんだ」
いつまでも求めている情報をくれないので機嫌を悪くしていると、アガペが目を丸くしていた。
「いつから陽動だと気付いていたのですか? 空様が総体様となる前からの作戦だったんですが」
「総体と同化せずとも分かる。日本を狙っていたのは二つの理由からだろ?」
空は指二本を立てて、顔の前に持ってくる。
どうやら彼女が驚いたのは空が搖動だと見抜いていたかららしい。
それほど変なことを言ったつもりはない。ただ、少々特殊な立場の空だ。いつごろからシュテルンの搖動に気付いていたかで大問題になる。
顔を青くしているアガペには申し訳ないが彼女の期待には応えられそうもない。搖動だと気付いたのは健太郎を殺した後だからだ。
「一つは俺の成長を促すため。信号機の情報を集めるのも目的だろう」
空は中指を折った。
これはエイロネイアの内部でも気付かれている可能性が高い。空個人はともかく、エイロネイアが誇る最強チームの情報の価値の高さは誰もが理解していることだろう。
「もう一つは一か所しか攻撃しないことによって戦力が集中するよう扇動する。そうすれば世界規模で行方不明者が増えても気付かれない。秘密裏に動くことが条件になるけどな」
今度は人差し指を折った。
エイロネイアは現在日本に戦力を集中させている。そしてシュテルンの円盤たちを情け容赦なく叩き落としている。それこそがシュテルンの目的だとは知らずに。
健太郎は本当にすごいと思う。誰一人疑問を抱かせていないのだから。
「さすがです。あの人が未来を託しただけはあります」
「お世辞はいらない。今は情報が欲しい」
まだ戦争は終わっていない。褒められるとしたら人類の救済が終わってからだ。
「現状あちらの世界生まれの人間は一割ほど救済しています。こちらは開戦当時と比較した場合のデータです」
「準備がいいな。何か企んでいるのか?」
資料を手渡しされてはさすがの空も警戒してしまう。
予想していたのだろうか。だったら初めから簡潔に答えてくれればよかったのに。
「できるメイドですので」
「自分で言うか」
空の責めるような視線をアガペは胸を張って受け止めた。
何故だろう。既視感がある。
「あの人が対抗勢力を組織してから一時的に救済率は下がりますが、司令官としての立場を利用してゆるやかに回収を続けていました。向こうの世界での協力者の存在も大きいでしょう」
「協力者って言うと教授とかか」
ニタニタと薄気味悪く笑う白衣の男が脳裏によぎって、空の気分は急降下した。
できることなら忘れてしまいたい。インパクトが強すぎて三千年経っても覚えてしまっているのが残念でならない。
「くすっ、そんな嫌な顔をしないでください。確かに言動は問題でしたが、優秀な協力者だったんですよ」
「分かってるよ。だから余計と嫌な気分なんだ」
ネオン教授は人間側からすれば問題だらけの人だったが、シュテルンにとってはまさに使いやすい駒だったんだろう。何せ空と同じ試験管ベビーを作って渡すだけで報酬になるのだから。悪い噂が出てきても揉み消すだけのずる賢さもあったわけだし。
まあシュテルンに協力してくれたからといって、あの男を許せるわけではないのだが。
「今も複数の協力者たちが殺人誘拐失踪という形で救済を続けています。反抗勢力の手前大規模には動いていませんが、その数は決してバカにはできません」
「物騒なやり方だな。だから復讐者を増やすんだよ」
「あの人の具申があったため家族単位で回収しています。復讐心を抱かれることも少ないはずです」
「やるな健太郎め。シトラを増やさないだけでも勲章ものだ」
シトラという最強は、復讐心が生んだ怪物だ。
健太郎が上手く舵を取ったおかげで怪物は人間に戻ったが、そもそも怪物なんて作らない方がいい。
合理的判断を下した今は亡き親友に、空は心の中でサムズアップを送った。
「さてと、資料はまた後で目を通しておくよ」
「どちらに?」
資料を適当に投げると、紙の束だった塊は虚空に消えた。また読みたいときに手でも振れば新しく召喚されるだろう。
「決まってんだろ。試運転に行くんだよ。こちとら新しい機体を試したくてウズウズしてんだ」
「かしこまりました。そうおっしゃると思ってすでに準備はできています」
「さすがアガペ。頼りになるな」
「できるメイドですので」
ドヤッと音が聞こえた気がしたが、空は一切触れなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は明日午前8時更新予定です。