司令官の仇
「あぁー! 慣れないぃー!」
休憩のためシミュレーション機から飛び出したシトラが叫びながら髪をかき乱した。
エンとイリーナは訓練の真っ最中らしい。専用のシミュレーション機が稼働しているからシトラみたいにイライラが爆発していないようだ。
「慣れない戦術を身に着けると自分で言ったんだな」
「分かってるわよ! いいじゃない叫ぶぐらい」
シミュレーション室に取り付けられた大型のモニターで三人の戦闘を眺めていたスイが呆れていた。
冷静な声が余計とシトラを苛立たせる。頼んでいる立場じゃなかったら手が出ていたかもしれない。
「ぺたんこが戦うのは、やっぱり空君を連れ戻すためなのかな?」
「ぺたんこ言うな。ええ。空を助けるために力が欲しいの」
さりげない悪口をきっちり拾ってから、シトラは頷いた。
そういえばスイと二人きりで会話する機会はなかった気がする。基本的に誰かが一緒にいるとシトラもスイもそれぞれの立場を考えて話をしなければならない。そのため本音を言い合うことも滅多にない。
「それはやっぱり仲間だからかな?」
「そうよ」
言葉が短くなってしまうのは単純に疲れているからだ。
「君は、分かっているのかな?」
「何をよ」
そしてスイの表情から何やら不穏な雰囲気を感じたからだ。
「確かにボクも空君には借りがある。エンとのこじれた関係を直してくれたのは間違いなく空君だからな」
シトラは二人、いや三人の間に何があったのか知らない。スイと空が裸で語り合ったことも知らないしエンと空が抱き合うように寝ていた事件の真相も知らない。
だが、兄妹の間の問題を空が解決したことは何となく察していた。そしてスイがそのことを心の底から感謝していることも。
「でも、空君は司令官の仇だな」
スイの率直な評価に、シトラは反論できなかった。
「ボクには理解できないな。彼は裏切ったな。それも最悪の形でな。なのにどうして君もエンもイリーナ様もまだ彼を仲間だと言えるのかな?」
「……他の二人は知らないけど」
スイの瞳は疑問に溢れていた。分かる。彼の気持ちはシトラも共感できる。
「正直アタシは貸し借りをした覚えはない。それに司令官には数えきれないほど助けてもらったもの。空の味方はできないと自分でも思うわ」
「それじゃあどうしてなのかな?」
指揮官でもあるシトラは、合理的に考えておかしい行動をしていると自覚していた。
スイがシトラを理解できないのも合理的に考えているからだろう。離反行為をした以上空は立派な裏切り者だ。助けたいと思うことすら異常なのだ。同じ裏切り者でもネオン教授を倒すことには躊躇しなかった。
「アタシが空と話をしたのは知ってるわよね」
「知ってるんだな」
「アイツ、泣きそうな顔をしていたのよ。そうね、初めて戦った後と同じ顔をしていた」
彼女が空を連れ戻したいと思ったのは、彼と直接会ってしまったからだ。
いつも通り、それこそ司令官を殺したとは思えない笑顔を作っていた空。しかしその笑顔はただの仮面で、ひどく脆いものだった。本当は泣き叫びたいのに気丈に振る舞っている。シトラにはそうとしか見れなかった。
「アタシは空に生きろって言った。死のうとするぐらいなら出ていけって言ったわ」
「司令官を殺す前の、それこそボクと出会う前の話かな?」
「ええそうよ。まだ空がシュテルンとしての自覚を持っていなかった頃の話」
空のあんな顔を見たのは初めてではない。
初陣で大戦果をあげた後も、人を殺したと言って同じ顔をしていた。あのときは健太郎が半ば強引に戦場に引きずり込まれて覚悟が固まっていなかったのだろう。
「だけど今の空はアタシの命令を忘れてる。いえ多分覚えているんでしょうね。だからこそ誰かに殺されることを望んでいる」
それは一時期とはいえ彼の上官だったからこそ分かる変化だ。
イリーナもエンも気付いただろう。空は案外分かりやすい性格なのだから。
「空君が、死を望んでいるのかな?」
「理由は分からないわ」
スイの顔には信じられないと書いてあった。
エイロネイアの、敵対組織のトップを暗殺したのだ。そんな偉業にして大罪を達成した彼が、死を望んでいるだなんて考えられない。それでは殺された健太郎は報われないではないか。
スイの言いたいことは分かるが、シトラは首を振ってそれ以上の期待には応えられないと言外に告げる。
「でも今の空はシュテルンで一番偉い。誰かの恨みも期待も一身に背負ってる。アタシたちも似たような状況だけど、空に比べたら大したことないんでしょうね」
敵組織のリーダーになってしまった空はかつての味方に恨まれ敵に慕われるようになった。
そしてシュテルンの目的がシトラたちにも関係している以上、下手に投げ出すこともできなくなっていた。
「空の正義をアイツは自分で正しくないって否定しているのよ。だからあんな情けない顔をしているんだわ。きっとね」
誰かに殺されることで、空は合法的に歩みを止めようとしている。
シトラはとても悔しかった。誰にも頼ろうとしない彼に、お前では役に立たないと言われている気がした。
「君は空君を想っているから止めるつもりなんだな」
「どうなのかしらね。まあでも確かに一発殴ってやりたいって思ってるわ」
シトラの拳は固く握り締められていた。
目の前に空がいれば、間違いなく鉄拳制裁していただろう。
「憎くはないのかな?」
「憎いわよ。司令官はアタシの親みたいなものだった。それを奪ったんだもの。許せるわけがない」
シトラが今こうしてエイロネイアのパイロットでいられるのは、健太郎に拾われたからだ。彼に拾われなければ、シトラは路頭に迷い才能を開花させる機会もなかった。健太郎がいなければ、今のシトラはいなかったのだ。
「でも後悔している奴を責めるつもりはないわ。一番辛いのは空だから」
「強いんだな」
「昔空にも言われたわよそれ」
シトラはつい笑ってしまった。
確かにパイロットとしての強さは誰にも負けるつもりはないが、人間性という意味でなら自分より強い人はたくさんいる。
「アタシは強くない。ただ憎悪を燃やすのに疲れただけよ」
そう告げる彼女の瞳には、憎悪とは別の炎が宿っていた。
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