新しい翼
眠気眼に朝日が刺さる。青い海が光を反射して輝いている。いつもなら綺麗だと感動していたかもしれないが今はただただ恨めしい。
空は甲板にいた。平坦で見晴しがいい。おかげで余すことなく日光が目に刺さる。船の進行方向右側に唯一日光を遮ってくれる建物があった。艦橋だ。目を凝らしてみれば窓の向こうで忙しなく動いている人影が見える。
甲板には二つ滑走路があるように見える。しかし空母中央から前方に伸びている方が発艦用、進行方向から少し傾けて艦橋を避けるようにして伸びている方が着艦専用となっており、二機同時に出撃するためのものではない。アングルド・デッキと言って、発着艦を同時にしつつ着陸が失敗した場合にやり直せるようにする目的があるそうだ。
空は元の世界で聞きかじった知識を内心で披露して、少しでも気を紛らわせようとしていた。
「皆おはよう――なんだか眠そうだね」
「気のせいだ。なあ皆」
「ええ」
「せやな」
「ん」
健太郎の訝しげな視線を、目の下にクマを作った四人が息を揃えて否定した。
眠いか眠くないかで言えば、今すぐ布団に飛び込みたいくらいには寝たい。その原因は予想以上に負けず嫌いの少女たちにあった。
シトラたちは、空に勝つまでゲーム機もといシミュレーション機にこもった。よく言えば個性的なエイロネイアたちはやっぱり彼女たち専用のものだったらしく、それぞれ長居しても平気なようにカスタマイズしていた。エン曰く、ジャンケン感覚で対戦をしてきたようだ。しかも結構な頻度で。
ただ、わざと負ければ彼女たちが満足すると理解しつつも、空は一切手加減しなかった。建前で言えば、全力で向かってきている彼女たちに失礼だと思ったから。本音は三人の渾身のドヤ顔を見たくなかったからだ。
意志と意志は互いに一歩も引かず、そうして結局一晩中対戦していた。その結果、四人はほとんど睡眠をとらず甲板に集合させられる羽目になったのだ。
「今日皆に集まってもらったのは他でもない。空の新しい翼のお披露目のためだ」
……お披露目も何も目の前にあるだろうが。
空はわざと意識から外していた目の前の物体、百八十センチメートルの空ですら思わず見上げてしまう更迭のカラスを、冷たい目で眺めた。
信号機と比べると細身な印象を受ける。
翼は綺麗な二等辺三角形を描いており、エンジンの排気口は一つで尾翼も一つ垂直に伸びるのみ。そして何よりも、綺麗な三角を描く翼下部にはミサイルが取り付けられていた。信号機は機体内部に収納していたから、ことごとく信号機とは対照的だ。実に空好みの機体だった。
寝不足だったはずの少女たちの目が輝き、ヒソヒソと静かに騒がしくなっていく。その姿は年相応で、空はちょっとだけ彼女たちの評価を上方修正した。が、なんだか癪に障るのでなかったことにした。
「一個いいか」
空はなんとなく機嫌が悪いと自覚して、気持ちを切り替えるためにも健太郎に質問しようと右手をあげる。
「なんだい? 美少女三人と夜通し楽しんだ空君」
「テメェ分かってて言ってんな。じゃなくて」
空の額に青筋が走った。気持ちを切り替えるどころか火に油を注がれてしまった。
「俺は素人だぞ。なんで戦闘機がもう支給されるんだおかしいだろ」
空は正式に健太郎たちの組織、エイロネイアに加入したわけではない。そもそも彼は拉致された身だ。異世界出身なのは疑いようがなかったが、それでも何をどうやって生活していくかまだ決まったわけではない。もしかすれば元の世界に帰る方法だって見つかるかもしれない。未来は自由のはずだ。
だから空は戦闘機を渡されることに少なからず抵抗があった。
帰還の手掛かりが探せなくなる。シトラたちと一緒に、命がけでUFOと戦う未来が確定する。それは避けたかった。ゲームと現実は違う。単純な事実は、誰でも知っている常識のはずだから。
そしてもう一つ、空には気になる点があった。空がこの世界に来てまだ一日しか経っていない。にもかかわらず、どうしてもう専用の戦闘機が用意できる。
「細かいことは気にするな。夜遊び好きの空君」
「なんだ仲間外れにされて怒ってんのか?」
「はっはっはー誰が怒るか。例え美少女に囲まれてワイワイ騒いだ結果乗組員たちに睡眠不足をプレゼントしたとしても怒ってないからなー」
視界の端で、エンがアチャーと言いながら額を抑えている。
空は知らなかったが、シミュレーション室の近くには一部乗組員の居住スペースがある。一部なのは万一に備え、各々の持ち場近くに居住区が用意されているからだ。中でもシミュレーション室は艦橋の近くにあり、必然的に健太郎の個室も近くでもある。
確かに騒ぎすぎたかもしれない。でも健太郎は関係ないだろう。と事情をまったく知らない空は半ば開き直りに近い考えを巡らせる。
「不可抗力だ」
「面白いことを言うな空。次やったら甲板で寝てもらうぞ」
「悪かった。謝るからそれだけはやめてくれ」
空は光の速さで頭を下げた。
夜の海は潮風の影響もあってなかなか冷える。しかも潮風のおかげでベトベトになり、不快指数もうなぎ上りだ。たとえ一晩であっても、体験したくはない。
「話を戻すと、空に専用機を渡すことはどこもおかしくないぞ。シトラなら分かるだろう?」
健太郎が空からチームを引っ張っているシトラへと視線を移す。その瞳には試すような色が浮かんでいた。
「空は共感覚がないにもかかわらずアタシの次ぐらいに強い。戦闘機に乗らないなんて宝の持ち腐れ以外でしかないわ」
未だ自分の方が強いと評価しているシトラにその場にいた全員が苦笑した。
ついでに一晩中対戦を繰り返した結果、空は無敗だ。ほとんど引き分けだったが、勝ち星もいくつか掴んでいる。シトラより空が強いと成績が証明している。もっとも、教えたところで聞き入れたりはしないだろうが。
「そういうわけだ。分かったか?」
「あぁ。まあな」
シトラの自己評価の高さには呆れてしまうが、彼女の話した理由は素人の空でも理解できた。要は優秀な人材を手放したくないのだ。
「ですが司令官。アタシが納得いきません。アタシの記憶にないってことは、この機体は新型機ですよね?」
「さすがシトラ。よく覚えているな。確かにこの轟龍は新型機だ」
どうやら空に支給される機体の名前は轟龍というらしい。
空が一瞬目を見開いた。
記憶にないから新型機だと断言したシトラの記憶力にも驚いたが、一般人に渡す機体が新型機とはどういうことだ。頭がおかしいとしか思えない。
「空の実力は認めます。ですがどうして昨日来たばかりの人間に新型機が支給されるんですか?」
シトラの質問は、まさに空が感じていた疑問そのものだった。
新型機ということは最新鋭の技術が総動員されており、性能とは違う意味で信号機以上の価値がある。軍事兵器の最新鋭とは、言い換えれば機密情報の塊だからだ。
その最新鋭機が、戦闘機の操縦経験がない空へと渡される。
空の実力は確かにシトラたちを超えている。伊達に己のすべてをかけて攻略に明け暮れたわけじゃない。だが、それでもエイロネイアという組織に所属すらしていない空に対して厚遇すぎる。
考えるまでもなく、どうかしている。何か裏があったとしてもおかしくはなかった。
「確かにそうやな。ウチが蒼龍渡されたときはめちゃくちゃ訓練したのに」
「ん」
「ええ、アタシも紅龍を渡されたのは入隊して数か月は経っていたわ」
エンはようやくシトラの疑問の意味が理解できたようで、ウゲーと舌を出した。彼女の言うめちゃくちゃ訓練したときの思い出が蘇ったのだろう。イリーナも無表情で分かりにくいが、わずかに顔を苦痛に歪めていた。
シトラは腕を組んで何度か頷いていた。彼女は二人のように顔をしかめるなんて真似はしていなかったが、それでも何か思うところはあるようだ。
「司令官と空は旧知のようですが、まさか身内びいきですか?」
「相変わらずズバズバ聞いてくるな」
あまりの物言いに、健太郎は怒るどころか苦笑した。
相変わらず、ということはいつも不満があれば即座に問い質すのだろう。そういえば、空を拉致したときも理由を問い詰めていた。その時も健太郎は苦笑いを浮かべていた気がする。
健太郎がコホンと咳払いして、表情を引き締めた。空の知る親友ではなく、エイロネイアという組織の頂点に立つ司令官の顔だ。
「理由は二つ。一つは実戦経験がないとは言え三人に並ぶほどの実力を既に有していること。もう一つは機体の問題だ」
「機体の、ですか?」
一つ目の理由は空を含む四人の予想通り。だが機体の問題は予想の範囲外だった。
「この機体、轟龍は三人の機体を元に設計した。俗にいう試作機というものだ」
三人の機体の長所も短所も熟知している空は直感した。
信号機はそれぞれが突出した性能を持つ。黄色はスピード、青は攻撃力、赤は柔軟な対応を可能にする操作性だ。
ならば多少劣化することに目をつぶってそれぞれの長所を組み込めばどうなるだろうか。答えは簡単だ。あらゆる状況下でも十二分に活躍できる最強のバランス機が完成する。
「試作機だから情報が足りない。実戦経験がないからどこまで動いてくれるのかもわからない。もちろん実際に飛行試験は行っているから欠陥品というわけじゃないが、それでも並みのパイロットを乗せるわけにはいかない。人だって大事な資源だ。無闇に消耗すべきではない」
――なるほど。だから俺に与えられるわけか。
「空なら入ったばかりで役割がない。しかも技量は保証されている。試験パイロットになるのにこれほど選びやすい人間もいない」
空は納得した。自分という人間がどれほど組織にとって都合がいい存在なのか。
納得したからこそ、空にはもう疑問は残らなかった。
「それはつまり、空を実験体にするってことですか?」
「ああそうだ」
親友にはっきり言われて、思ったより堪えた空はたまらず苦笑いを浮かべた。
シトラやエン、イリーナの視線が厳しいものに変わる。彼女は空の代わりに怒っているようだ。気持ちは分かる。たとえ親友だったとしても体よく利用すると断言したのだ。いい気分はしないだろう。
「了解した司令官殿。俺は轟龍の試験パイロットとして機体データの収集を務めさせていただきます」
空は彼女たちの怒りを逸らすために、昨日シトラたちが見せてくれた敬礼の真似事をしてみせた。
同意の返事。
空はこの瞬間、帰る方法も戦う恐怖もすべて放棄した。
「断ってもええんやで空。さすがにひどい思うわ」
「いいんだエン。どんな理由であれ、入ったばかりの俺に専用機を与えてくれたんだ。感謝こそすれ責めることはできない」
エンが笑顔を崩してまで空のために腹を立ててくれる。それだけで嬉しくなった空は、敬礼を解いて微笑んでみせた。自分は心配いらないと証明するために。
彼女の顔がさらに辛そうに歪められていく。どうしてそんな顔をするんだ。大丈夫だって言っただろ。
「……ん」
「大丈夫よイリーナ。訓練プログラムは既に組んでるはずだから。そうですよね司令官」
空の意思は揺るがないと共感覚から理解したイリーナが、その心配そうな視線を健太郎へと注ぐ。
彼女の呟きを共感したシトラは厳しい視線で健太郎を睨みながら、司令官としての技量を知っているからこそ問いかける。
「ああ。急ピッチではあるが乗れるようになってもらう。数日でな」
本来ならたった数日で戦闘機に乗れるはずがない。しかし健太郎はエイロネイアの司令官である。あの手この手で資格やらの書類仕事は片付けるだろう。後は空が戦闘機を乗りこなすほどの技量を得るだけだ。それもリアルさが売りのゲームである程度は身に着けている。
「話はそれだけか?」
「ああ、十分後に訓練を開始する。三人に聞いて準備をしといてくれ」
「了解した」
必要なことはすべて伝えたのだろう、健太郎は空の返事を待たずに踵を返して本来の持ち場である艦橋へと戻っていく。
もう一度敬礼して、空は変わってしまった親友の背中に言葉を送った。
――何があったんだよお前。
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次回は明日午前7時頃更新予定です。