最後のピース
青空が上に広がり、波一つない水面が青空を映しながら広がっている。
空とアガペしかいないはずの空間に、第三の影が横たわっていた。
「これがメルセデス」
ところどころ禍々しい装飾がなされている。戦闘機というものは空気抵抗の影響を大きく受けるため流線型となるため、当然装飾なんて邪魔になるだけだ。エンジンは三つ。翼は両翼四対にもなり、考えれば考えるだけ何故まともに飛べているのか理解に苦しむようなデザインだ。
実物をまざまざと見るのは初めてだ。これまでに二度実物を見たがどちらも殺し合いの相手としてだ。じっくりと観察する時間はなかった。
憧れの機体を前に、空の声はわずかに弾んでいた。
「強化型です。空様にしか操縦はできません」
「何となくそれは分かるよ。サイズが桁違いだし」
会えて嬉しいが記憶と違う点が一つあった。メルセデスの大きさだ。
本来のメルセデスはゲームということもあり、信号機や轟龍とほとんど同じ大きさだった。現に過去に対峙したときも期待の大きさはほとんど変わらなかった。
だが、目の前にある機体は違う。
目の前にあるメルセデスは空の知っているものの倍はありそうなサイズだ。
「装甲が厚くなっており、豆鉄砲がいくら当たったところで意味がありません」
「ふむふむ」
アガペの説明を聞きながら空は頷く。
機銃程度では落ちないのなら、黄龍の攻撃はほぼ無力化したようなものだ。
実際は弱点であるエンジンやレーダーが集まっている機体先端等の弱点を狙われるだろうから安心はできない。
「ミサイルはご存知の通り電子機器を無力化します。加えて搭載数は以前の倍。戦場で使い切るのはほとんど不可能なぐらいです」
「それならサイズが膨れ上がるのも納得だな」
アガペの見立てを聞きながら空は腕を組む。
メルセデスの大きな特徴であるミサイルは健在のようだ。しかし蒼龍には既に対策を打たれているだろうから多用は禁物である。
「機動力も最高速度も以前より大幅に上昇しています。技量がいくら劣っていようと操縦さえできれば信号機を圧倒できるでしょう」
「この大きさでか。どんなエンジンだよ」
アガペの予想を聞きながら空は呆れる。
機動力も速度も優れているのなら確かに圧倒できるだろう。紅龍が機転を利かさなければの話だが。
「それだけではありません。総体様でなければ使いこなせない機能がもう一つあります。それはまだ調整不足ですが」
「総体にしか使えないってことはつまり、シナスタジアシステムを使っているのか」
「はい。健太郎の知識がありましたから。再現自体は戦争が始まったころから」
健太郎はシュテルンの一人だ。信号機のカタログスペックなら健太郎を伝って情報を手に入れていたとしても不思議ではない。事実シュテルンは信号機のコピーを作っていた。当時の空が瞬殺したからか、一度しか出番が与えられていないのは少しだけ申し訳なく思う。
「技術では圧勝していたのか。ホント、あの三人の凄さを実感しちまうな」
「三人の少女がいなければ空様の覚醒もなかったでしょう」
「公式チートだもんな。攻略も大変だったし」
地獄のようなトライアンドエラーを思い出して、空は遠い目になった。
両親に心配されるゲームのモデルが実の娘だったとは、大した皮肉である。
「この機体は空様と同化する前の総体様が組んだ計画の産物です」
空の様子に気付いていないのか、アガペは話を続ける。
「信号機を倒せる技量のパイロット。世界を支えてきた存在の育まれた共感覚。そして最強の機体」
ゲームとして技量は磨かれ続けた。シュテルンの総体として共感覚は覚醒した。
アガペがあげた三つのうち、空は既に二つのピースを集めている。
「これが信号機を倒す最後のピース。触っても?」
「もちろんです。この機体は空様の一部なのですから」
アガペが頷いて一歩下がるのを確認してから空はメルセデスに近づき、つま先立ちになりながら機体を指でなぞった。
「――なるほど。お前は最後まで俺と一緒に戦ってくれるのか」
「何か感じましたか?」
「何度も激戦を共に抜けた相棒の存在をな。轟龍をそのまま使っているんだろ?」
「さすが空様です。これは私の独断ですから総体様の記憶にないはずなのに」
「俺が相棒に気付かないわけがないだろ」
アガペの賞賛の瞳を、空は笑って受け流した。さらりと独断で動いたみたいな内容も聞こえたが同じように笑って受け流す。
一撫でで分かった。共に死線を潜り抜けていた相棒の存在を。ステラから脱出して以来見ていなかったが、どうやら一足先にパワーアップしていたようだ。
「でもこの機体は俺には乗りこなせないな。スペックが高すぎる」
そして共感覚で分かった性能に、空は首を横に振る。
武装や装甲が強化された機体で、黄龍よりも速く移動する。言葉にすれば簡単だが戦闘機にするには難しい。
機体ではなくパイロットが耐えられないのだ。体にかかる負荷は体重の何倍という世界は操縦するだけで人を殺す。
目の前の機体も人間が乗るようなものじゃない。性能を引き出すにはアンドロイドになるしかない。
「はい。そのとおりです」
アガペが笑顔で頷いた。とてもいい笑顔だ。
「ですので、空様を物理的に強化する必要があります。この機体に乗っても壊れないように」
「……まさか」
「はいしばらく薬漬けです。ご心配なく。意識はありませんから苦痛を感じることもありません」
なるほどいい笑顔の理由が分かった。普通に考えて、誰だって薬漬けは嫌だろう。
あれ、アガペは本当に俺を許してくれたのか?
「それってつまり意識があったら耐えられないって意味だよな?」
「当然です。物理的に肉体を強化する必要があるのですから」
初めて見る笑顔を浮かべ続けているアガペだが、その言葉は正しい。
気持ちの持ちようで耐えられるようなGではない。どれだけ気合を入れていようと最高速度に到達すれば潰れるのは間違いない。人間の限界を超える強化を施さなければならないのだ。
「――はぁ。分かったよ後は任せる。それで、どこで薬漬けにするんだ?」
合理性があるのなら従わない道理はない。それに何か企んでいたとしても、一度チャンスを与えた手前警戒するのもおかしい気がする。
空はため息に諦めの感情を詰め込んで吐き出した。これで余計な考えはしなくて済むだろう。
「ついてきてください」
アガペの声はどこか軽やかで、ついていく空の足取りはとても重かった。
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