似合わないぜ
暗い。気分の問題もあるだろうが、湿気も多分にある。ジメジメとした気分だ。正直言って、長居などしたくない。
「休憩してくれって言われても、そういえば何がどこにあるのか全然分かんねぇ」
シトラを探すエンたちと別れ、空は一人空母の甲板を目指して歩いていた。だが目の前にあるのは倉庫代わりに乱雑に段ボールが積み重なっている廊下だ。どことなくオイルのにおいがする。漏れているのだろうか。だとしたら管理はかなりずさんだ。健太郎め、艦内の清掃も立派な仕事だろう。
空は心の中で親友に悪態をついた。決して迷ったわけではない。すべては複雑な通路にした健太郎が悪い。
「はぁー。せめて人いねぇかな」
ため息を吐いて、空は踵を返した。どうもこの廊下はここで行き止まりらしい。なら引き返すしかない。空は外の空気を吸いたいのだ。
物音が聞こえてきた。
空は勢いよく振り返る。人を探していた。できれば空より艦内を熟知しているような人間を。そして空母ステラの乗組員なら全員が空よりも土地勘ならぬ艦勘を持っていた。
「ぐすっ、アタシが負けるなんて」
――うっわーめんどくせぇのに遭遇したぁー。
空は口いっぱいの苦虫を十回ぐらい噛み潰したような顔になった。確かに空は人を探している。だけどそれは道案内をしてくれそうな人だ。決して倉庫代わりに置かれた段ボールの陰に隠れている少女に声をかけたかったわけじゃない。というかなぜシトラがここにいるんだ。そしてなぜ泣いているんだ。あれか、悔し泣きというやつか。人に見られたくない的なアレか。
「逃げよ」
「――誰っ!?」
「ちくしょういい運だなまったく」
空はもう一度踵を返した。クルクルと回っていると考えるとなんだか虚しい気持ちになってくるが、今はシトラから少しでも早く離れたい。エンとイリーナに慰めるよう勝手に任せたのだ。空は面倒ごとを避けたかった。
しかしそんな彼の気持ちを嘲笑うように、物音に気付いたシトラが警戒心を露わにして叫ぶ。気付かれてしまっては逃げられない。シトラの実力は認めている。姿を見せないまま背中を見せ続けていれば、後ろから刺されてしまうかもしれない。エンやイリーナ同様、空は肉弾戦でシトラに勝てないのだ。
空は降参したように両手をあげて、彼女に歩み寄った。
「アンタ……何笑いに来たの?」
「違う違う。甲板に出たいんだって」
「甲板? それなら真反対よ」
「あっそうなの? どうりで人が減ってくわけだ」
目元を袖で乱暴に拭ったシトラがジト目になって睨んできたので、空は誤解を解こうとわざとらしい笑顔を作ってヒラヒラと手を振る。空を、その向こう側の通路を指差してシトラの視線がさらに冷たくなった。
空母である以上、人は甲板に集まっていくはずだ。空母の役割は戦闘機を出撃させるための滑走路になること。人が集まるのは仕事が集中しそうな場所になる。つまり戦闘機が飛び立つ甲板に集まるはずだ。
そこまで考えて、空は自分の考えが間違っていることに気付いた。よく考えてみれば潮風の中に晒していれば戦闘機だって錆びる。金属の塊なのだから、錆びない方がおかしい。いやもちろん対策をしているのかもしれないがそれでも精密機器の集まりだ。普通屋内に収納しているのではないだろうか。例えば格納庫とか。
「よっこらせっと」
空は考えるのを辞めた。なんだか悲しくなってきたからだ。
多分疲れたんだろう。まだ昼前だ。なのに濃密すぎる数時間を体験して頭が回っていないに違いない。休憩しなければならない。
心の中にいる誰かに言い訳をしながら、空は腰を下ろした。
「……なんで隣に腰かけてるのかしら?」
「歩き疲れたんだ」
「あっそう」
シトラが嫌な顔をして、空から距離を取ろうと腰をほとんど上げずに移動した。器用に段ボールの隙間を抜けていく。
「おい逃げんなよ。俺が変な奴みたいじゃないか」
「みたいじゃなくて変な奴なの。どうしてアンタなんかと仲良く寄り添わなければいけないのよ」
「仲間らしいからな」
シトラのジト目がますます冷たくなっていく。もはや絶対零度だ。
空はシトラから目を逸らして、先ほどエンに言われたことを適当に告げた。
空だって仲間だと認めたわけではない。拉致しといて一方的に仲間だと認定されたところで、信じられるわけがない。
「司令官の命令? 言っとくけど、アタシは認めてないから」
シトラはジト目を緩めて、分かっているのに釘を刺してくる。
いけ好かない奴だ。空は思わずにはいられなかった。泣きべそかいていたから少しばかり弱まっているにも関わらず、未だに高い自尊心が顔を覗かせている。
気に入らなかったので、空は傷口を思い切り抉ってやることにした。
「いい加減認めろよ。自分は負けたんだってこと」
「はぁ!? 引き分けじゃない! 負けてないわよ!」
シトラは言いながら悲痛な顔になった。
三人がかりで相手して二機を失い自らも相打ちで沈んだ。しかも単騎を相手に手も足も出せなかった。
健太郎は言っていた。エイロネイアの最高戦力であると。そして先ほども彼女たち三人しか出撃しなかった。
空を強引に連行した責任を、リーダーだからと一身に引き受けようとしていた。責任感も強いのだろう。だからぼろ負けの悔しさを余計に感じているのかもしれない。
「ああ、そうだな。引き分けだ。事前情報の差がどれだけあっても、それが限界だった」
「事前情報?」
「……お前らの戦いは一度見た。なのに俺は手札を隠したままだった。戦う前から差があったんだ」
――もちろん、一度だけじゃすまないぐらい戦ってきたけどな。
空は口の中で呟いて、嘘を吐く感覚に眉を寄せた。シトラには真面目な話をしているからしかめっ面になっていると思ってもらえるだろう。
空は信号機と何度も何度も何度も何度も戦った。しかしシトラたちは空と初めて戦った。本来なら有り得ない情報の差。空が勝利を得られたのはあくまでその情報量の差でしかなく、実際の技量では三人の誰よりも低い。シトラが悔し泣きするほど戦力に開きはない。むしろ負けているのは空の方だ。
「一度見ただけであの動きなんて、とんだ化け物じゃない」
「俺だってそう思うよ」
「何それ」
事実とは異なるからこそ、空はシトラの言葉に同意した。まさか化け物呼ばわりしたのに同意されると思ってなかったシトラが口元に手を当てて小さく吹き出す。
「だから悔しがるなよ。最強の戦闘機乗りに悔し涙なんて似合わないぜ」
空は両膝に手を当てて、勢いよく立ち上がった。そしてズボンを二度叩いて埃を落とす。
もう蹲っている必要はない。最強は常に気高く、前だけを見て進まなければならないのだから。
空は右手を、人類そのものの未来を背負っている最強の少女に差し出した。
「るっさい。泣いてないわよ」
「ああ、そうだな。目から汗が出ただけだもんな」
「バカにしているでしょ?」
「いや、そんなことないぞ」
「だったら目を逸らすんじゃないわよ――ったく」
シトラは空の手を強く握り引き寄せる。しかし空は男だ。単純な力勝負ならシトラにだって負けない。
だがシトラの目的は空を引き寄せることではない。揺らぎもしない空に内心頼もしく思いながら、シトラは彼の右手を支えにして立ち上がる。
「よしっ、こんな奴に引き分けるなんてただのまぐれよ。アタシは最強なんだから、何度もまぐれは続かせないわ」
「そうだな。次こそ俺が勝つぜ」
「はん! 言ってなさい」
一瞬睨み合って、二人が同時に吹き出した。
空は初めてだった。これほどまでに負けたくないと思える相手に出会えたのは。信号機のパイロットが生きた人間だと知ったときから、あるいは彼女に連行されたときには既に、この女にだけは絶対に負けたくないと強く思った。
シトラは初めてだった。最強である自分を倒すような人間は。悔し涙や誰かに慰められるという経験は。甘ちゃんだと思った相手が実は自分よりも強いのだと知ったとき、彼女は悔しいと思いながらも確かに別の感情が芽生えていた。
「おっようやく見つけたでってアレ? もしかしてウチら邪魔やった?」
「ん?」
恐らくシトラを探していたんだろうエンとイリーナが、気まずそうに苦笑していた。
「ふふん。ちょうどいいところに来たわね二人とも。さあ反省会をするわよ」
「へ?」
エンが理解できない言葉を聞いたと自分の耳を疑った。
「何をボサッてしているのよ。反省会よ反省会。次こそこの男に勝つの」
「俺でよかったら手を貸すぞ。実際に戦った人間がいた方が捗るだろ」
シトラと空が同時に歩を進め、信号機のリーダーがエンたちの手を取る。
シトラの目はキラキラと輝いていた。つい先ほどまで涙を流していたとは思えないほど生き生きしている。
「んげー。ホンマ? 今やらなアカン?」
「当たり前よ。少しでも早くこの敗北を覆してやるの。一秒であっても惜しいわ」
どうやらエンは乗り気ではないらしい。戦意漲るシトラにドン引きしている。
「…………ん」
エンの袖を引いて、イリーナは首を横に振った。
「イリーナ。やっぱり諦めなアカンか」
「ん」
今度は首を縦に振った。
「はぁー。まあえっか。ウチもはらわた煮えくりかえりそうなぐらいには悔しかったしな」
「ん」
エンが重たいため息を吐いて、イリーナが今度は深く頷いた。その表情はシトラ同様、戦意に溢れていた。やはり笑顔の裏で思うところがあったのか、と内心で空は警戒を強める。
この後、せっかくだからと昼食を挟みつつ話し合おうとなり、空たちは食堂で腹を膨らませつつ反省会および作戦会議を繰り広げた。食堂の飯は美味しかった。
「やっと見つ――いやまた後にしようか」
時計が三時を回った頃、仕事の合間にシトラを探していた健太郎がようやく彼女の姿を見つけたが、近寄ろうとはしなかった。視線の先では昼食の食器を片付けることも忘れ、話に没頭する空たちの姿があったからだ。
やれやれと首を振って、健太郎は食堂を後にする。お披露目の予定があったが今日は無理そうだ。困ったように笑いながら、健太郎の瞳には父親のような慈悲が宿っていた。
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