取り乱して
「放して!」
「落ち着きいや!」
紅龍に乗り込もうとするシトラを、エンは羽交い絞めにしていた。
空を取り逃がしたシトラは自分が飛び出した仮眠室に向かった。そして、左胸から血を流す健太郎と一発だけ銃弾を撃った痕跡のある拳銃を発見する。状況から見て、誰がどう使ったのかは一目瞭然だった。
たまたま居合わせたエンがいなければ、シトラは健太郎の後を追っていたかもしれない。
「空に話をしないといけないの! だから追いかけないと!」
「無理や! もう見失っとうし今は夜! 追いつけるわけあらへん!」
そして今、何とかギリギリの状態で気持ちを保っているシトラは、紅龍に乗り込もうとしていた。
だがそれはあまりにも無謀すぎる。
一つは夜間飛行の危険性。空も海も陸も同じ漆黒に塗られる夜の飛行は平衡感覚が優れていなければ瞬く間に激突事故を起こす。そしてもう一つが、空が飛び立ってから時間が経ちすぎているからだ。
イリーナの機体ならともかく、紅龍と轟龍の最高速度はほぼ同じ。追いつけるわけがない。
「それでも行かないといけないの!」
理屈では理解していても、だからといってはいそうですかと納得はできない。
シトラは自分に課せられた拘束を外そうと暴れていた。すると努力の甲斐あってエンの拘束が解かれる。
さっそく向かおうとしたシトラの左頬に、焼けるような痛みが走った。
「シトラが取り乱してどうすんの!」
「――っ」
エンの一喝。彼女を見ると、右手を振りぬいたような恰好になっていた。
叩かれたのだと、一瞬理解できなかった。
「司令官は死んだ。ならウチらを率いるのは誰や!? 最強のパイロットやないんか!?」
襟首を掴まれて、シトラはエンの叫びを真正面から受け止める。
「気持ちは分かる。ホンマに空が司令官を殺したなんて今でも信じられへん。それでも!」
至近距離まで顔が近づいて初めて、シトラはエンの目尻の輝きに気付いた。
エンも健太郎の惨状を目撃している。決して平然を保っているわけではない。
「空を捕まえて話をする! それまでシトラは、最強のパイロットは冷静でおらなアカンやろ!!」
エンの叫びにも似た訴えは、確かにシトラに冷静さを取り戻させた。
怒りであろうと悲しみであろうと、感情を乱せば力は鈍る。空との初戦闘で負けた理由も彼女の頭に血が上ったことが原因だった。いくら猪突猛進の自信家であろうとも、反省は活かすのが最強パイロットだ。
「……そうね。とりあえず」
シトラはゆっくりと頭を下げて、勢いよく前に振った。ゴチンと鈍い音がした。
「いっつぅ!?」
あまりの衝撃に、エンの目から星が飛び出した。ように見えた。
「目が覚めたわエン。ありがと。これはそのお礼よ」
「お礼って、ただやり返しただけやんこの負けず嫌い」
額を押さえて一歩下がり、シトラに恨めしげな視線を送るエン。しかし上司はどこ吹く風とまるで気にしていない。
「空を縛り上げる。そのために、協力してくれるわよね?」
「もちろんや。リーダー」
立ち直った親友の申し出に、エンは笑顔で即答した。
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